第260話 人形少女の名前
――おかしい。
いつもみたいに身体が動かない。
もっと私は軽やかに動くことができるはずなのに…謎の女の剣がこれっぽちも見えなくて…剣が身体をかすめるたびに、その雷が奔るたびに激痛が襲う。
「いたっ…!」
こんなはずじゃあ…いつもならこんな…!
…いつも?いつもってなんだっけ…?私はいつも何してたんだっけ…?というか私…こんな喋り方をしてたか?
頭がぐちゃぐちゃになる。
何か大切な事を忘れていってる気がするのに、どんどん頭の中の靄が増えていく。
そんなわけのわからない状況なのに女は執拗に私を痛めつけてくる。
「くそっ…!うっぜぇんだよ!なんなんだてめぇ!!」
手に持ったナイフを無我夢中で振り回す。
腹の立つことに女はそんな攻撃を軽く躱していく。
うぜぇ…うぜぇうぜぇ!なんでこんな意味の分からない状況に突然放り込まれなくちゃいけないんだ。
怒りに任せてむかつく女の顔を殴りつけようとしたが…そこに女の姿はなかった。
「ああ!?どこいきやがった!おい!」
辺りを見渡しても女はいない。
「───」
上から音が聞こえた。
弾かれたように空を見上げると女が馬鹿みたいにでかい雷を纏った剣を振り下ろそうとしていて…雷が私に落ちた。
「あああああああああぁぁああああああああ!!!!!?」
身体が灼かれ、たまらず私は身体を抱えるようにして地面に倒れた。
痛い…痛い痛い…。
なんなんだ…なんで私がこんな目に…ふざけんじゃねぇ…。
ズキズキと痛む頭に手を当てるとぬるりとした感触がして、血がべったりと手についた。
「血…?」
なんで血が…?私は人形だから血なんて…いや何を言ってるんだ、私は人形なんかじゃない。
私は…。
「紗々(ささ)ちゃん」
誰かが「私」の名前を呼んだ。
「あ…?」
頭上から聞こえたその声に顔をあげると、先ほどまで見えなかった女の顔がよく見えるようになっていて…。
「新崎…?」
それは私が大っ嫌いだった女…新崎麗羅(にいざきれいら)の顔だった。
「久しぶりだね紗々ちゃん。元気にしてた?」
どういうわけか妙な音としか認識できなかった声もクリアに聞こえる。
雰囲気は少しだけ違う気もするけれど、顔も声も間違いなく新崎麗羅のものだ。
「ふざけんな!今お前が散々ボコボコにしてくれたじゃねえかよ!」
「あははは。そうだね、ごめんごめん」
笑いながら新崎が手を差し出してきたので、それを払いのけて無理やり立ち上がる。
不思議とさっきまでの激痛は消えていて、ケガもしていない。
「お前…いったいさっきのはなんだ!ここはどこなんだよ!」
「落ち着いて紗々ちゃん。よく聞いて?そして答えて」
「あ?」
「あなたの名前は?」
新崎は真剣な顔をして馬鹿みたいな質問をしてきた。
何を言ってるんだこいつ?馬鹿だとは思っていたがついにイカれたのか?
「ふざけんなよ」
「ふざけてない。いいから答えて」
「な、なんだよ…名前くらい知ってるだろ!?」
「いいから」
なんなんだ。
私の名前がどうしたってんだよ…私の名前は──。
「糸倉紗々(いとくら ささ)…今さらなんなんだ」
「そっか…完全にそっちで認識してるくらい未練があるんだね」
「あ…?」
「紗々ちゃんここに来る前何をしてたか思い出せる?」
「いや…それが何も思い出せねぇんだよ」
どれだけ記憶を辿ろうとしても…ぷっつりと記憶が途切れていて何もわからない。
ここがどこなのか…なんで新崎がいるのか、さっきまで戦っていたのはなんなのか…謎だらけでイライラする。
まぁどうせ思い出しても家でゲームしてたくらいしかないんだろうけどさ。
「そう…ねえ紗々ちゃん」
「なんだよ」
「帰りたい?」
「は?」
さっきからこいつはなんなんだ。
何かを知っているようではあるけど何も説明しない。
探るような…いや、なにかを私に求めているような視線を向けて来るばかりだ。
「紗々ちゃんが生きていた世界に帰りたい?」
「私が生きていた世界…?」
また妙な言い回しだ。
こいつこんな不思議ちゃんだっただろうか?
いや…そんなはずはない。
確かに不思議な奴だったが、わけのわからないやつではなかった。
私…糸倉紗々と新崎麗羅はいわゆる幼馴染だった。
確か幼稚園の頃からの付き合いだっただろうか?当時、家に帰りたくなくて公園にずっといた私と遊んでいたのが新崎だ。
両親が家に帰らなくて、いつもテーブルの上に金か高そうな市販の弁当が置かれている毎日で…幼い私は家に帰るのがたまらなく嫌だった。
広い家にひとりぼっち…怖くて寂しくて泣いてしまいそうだったから。
だから日が暮れるまで公園にいた。
そして新崎もまた、いつも遅い時間まで公園にいた。
そんな私たちが一緒に遊ぶのは必然じゃないだろうか?当時はまさに親友…と言ってもよかったと思う。
毎日毎日二人で夜まで遊んで、またあしたと別れる。
しばらくそんな日々を過ごしていたがある時を境に新崎は公園に来なくなった。
嫌われたのかもしれないと不安になりつつも私は涙をこらえながらブランコを漕ぎながら新崎の事を待っていた。
そして数か月後、新崎は再び公園に現れるようになった。
「にいざき!」
「ささちゃん…ごめんねしばらくこれなくて」
私は嬉しくなって新崎に抱き着いた。
きっと新崎も抱きしめ返してくれると思ったけど、返ってきたのは違う反応で…。
「いたっ…」
私が身体に触れると新崎は顔を歪めて痛がった。
後に知ることだが、この時に新崎の両親は離婚していたのだ。
母親に引き取られたようだが、新崎の母親は離婚以来壊れてしまったようで、新崎の事を虐待していたらしい。
そこからだろうか…私たちの関係がぎくしゃくしだしたのは。
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