第255話 純粋なる邪悪

───パリン


もう何度、ガラス玉が砕ける音を聞いたのだろうか。


「もう…やめて…くれ…」


背後に10数人いた部下が次々にあげる悲鳴のせいで男の鼓膜はズタズタで…それでも音が聞こえなくなることは無かった。

目の前でぬいぐるみを抱える少女は平気な顔でガラス玉を砕く。


「やめて?ねねね、いま私に言ったの?やめてって?どうしておじさんが私に「めいれい」するの?おかしいよね?おかしいよ。まぁでもいいよ。これが最後だから許してあげる」


リフィルはぬいぐるみの口の中からもはや慣れた手つきでガラス玉を取り出す。


(これが最後…そうか…やっとおわるのか…)


男は力無く背後を見た。

そこにいたはずの部下たちは趣味の悪いオブジェのように全員死んでいた。

部下はもう誰も生きていない。

この場で生きているのは男とリフィルのみ…そしてガラス玉はもう一つ。


「は…はははは、はは…」


男はようやくこの地獄から解放されると安堵する。

しかしリフィルの指に挟まれたガラス玉を見ると異常なほど苦しんで死んでいった部下たちの顔と絶叫が思い起こされて…。


「い、いやだ…あんな死に方したくない…おねがいだ…せめて苦しまずに…」

「おじさんって本当に自分勝手だね。それとも頭が悪いの?どうして一回言ったことを分かってくれないの?おじさんが私にめいれいするなんておかしいよね?お願いするのは私のほうでしょ?」


リフィルの言葉には悪意も悪気もない。

まだ幼い彼女は本当に思っている事だけを口にしている。


深い考えなど何もなく、ただ単純に生まれつき人を自分の足元を拝むことすらおこがましいほどの下等種だと思っているだけなのだ。

なぜならリフィルはこの世界に誕生したその瞬間から神様なのだから。


「お、おね…お願いします…」

「そうそう、おじさんはそうしてるほうが人間ぽいよ!…でもちょっと遅かったね。残念」


額を血や糞尿で汚れた床にこすりつけて、涙を流しながら懇願する男を無表情で見下ろしながら、リフィルはガラス玉を握る手に力を込めようとした。


「ちょっとだけいいかな、お嬢さん」

「ん~?」


リフィルは突然聞こえた聞き覚えの無い女の声に動きを止めた。

一体誰だろう?と部屋の中を見渡すも勿論自分達以外には誰もいない。

悪魔たちが起きたかな?と思いはしたものの明らかに声が違うのでリフィルは頭に「?」を浮かべていた。


「ここだよ、ここ」

「おじさん?」


女の声はあろうことか先ほどまでリフィルに許しを乞うていた男の口から発せられていた。


「ああ…これじゃあ不気味だね?ちょっとまってね」


少しすると突如として男の目が見開かれ、青白く光り出す。

その光は空中でとどまると何かを映し出す。

それは一人の女性の姿だった。


「だぁれ?」

「私はマナギス。よろしくね」


「マナギス…おじさんたちをここに行くように言った人だよね?」

「おや?一部始終見てたけど君がその情報を得る機会はなかったはず…ふふふっ!もしかしてお嬢ちゃん、人の心でも読めるのかい?」


「どうだろうね」

「ふふふふふっ!いいねいいね!実にいいよお嬢ちゃん」


まるで幼い少女のように屈託ない笑顔を見せるマナギスと、一切のぬくもりを感じさせない無表情を張り付けるリフィル。

二人の間には何とも言えない張り詰めたような空気が漂っていた。


「ねえお嬢ちゃん。私のところに来ないかい?」

「いや」


「まぁまぁ、そう言わずに。私のところに来れば君が望むものはだいたい手に入るよ?大好きなお菓子でも玩具でも好きなだけ買ってあげる。その代わりすこ~しだけ協力してほしいんだ」

「…」


「お嬢ちゃんのその力、近くで見たわけじゃないから詳しくは分析できていないけど…どうやら人から不可視のエネルギーを形として取り出せる力だよね?さっきは魂を直接引っこ抜いてたみたいだけど…魂なんてものを取り出せるんだ、きっと魔力だとか、精力とかも持っていけるのでしょ?間違ってる?」

「しらなーい」


ニコニコと何が楽しいのかマナギスは笑みをどんどんと深めていく。


「お嬢ちゃんの力はとっても素晴らしい!その力があればいろんなことができる!どうだろう?最大限君のいう事を聞くから協力してくれない?」

「…お姉さんが二人目」


「ん?」

「前もね、そんな風に私にね?一緒に来てって言ってきた人いたんだけどね?行くわけないよ~私はここが一番好きだから~」


「うーん…でもお姉さんはどうしても君が欲しいからさ~…素直に来てくれないならいろいろとやっちゃうかもよ?」

「いろいろ~?」


マナギスは一枚の地図を取り出すと、ある場所を指さす。


「ここね、今君たちのお家があるところ。場所が分かってるから今日明日くらいからどんどん私のお友達を差し向けちゃうぞ~?私のいう事を聞いてくれる人はいっぱいいるからさぁ、大変な事になっちゃうかも?」

「何人きてもいっしょ~。お姉さんのお友達がばいばいしちゃうだけだよ」


「はたしてそうかな?わかるよ、キミは人間じゃない。きっと矮小な私たちでは想像もできないほどに遥か上の人智外の存在だ。でもね、あまり人間を舐めちゃあいけないよ?私たち人間には無限の可能性がある!どんなことだって前向きに必死に努力をすれば可能にできるだけの力がある!…だからあんまり油断してると足元を掬われちゃうかも」

「何言ってるのかわからなーい…でもね、お姉さん」


「なにかな」

「きっとお姉さんはもう少ししたら死んじゃうよ」


「あははははははは!そうかそうか!なら私はその時を楽しみに待っているよ!そしてキミに見せてあげようじゃないか。人間というのは存外にしぶといのだという事を」


ある意味で二人の怪物はお互いを見つめ合う。

今にも破裂してしまいそうな空気の流れを変えたのは邪神が何よりも大好きな声だった。


「お姉ちゃん!」

「アマリ?どうしたの」


扉を乱暴に開き、リフィルに抱き着いたのは慌てた様子のアマリリスで、瞳に涙を浮かべて姉の服を握りしめていた。


「あ、あのね!リリちゃんが!…リリちゃんが!うぅ~!」

「リリちゃん?落ち着いてアマリ、リリちゃんがどうしたの?」


慌てすぎてうまく喋れていないアマリリスをリフィルは優しく抱きしめて落ち着かせようとした。

どうやらリリに何かがあったらしいことは理解できたがそれ以上は分からない。

そして問題が起こっていたのはマナギスも同じだった。


「うん?なんだこれ…地震?」

「マナギス様!大変です!」


「なになに?一体何が、」


ブツンと空中に投影されていたマナギスの姿が消えた。


「ありゃ?お姉さんも消えちゃった…ほんとに何があったんだろう?」

「リリちゃんがぁ~」


リフィルはアマリリスの手を引いて隣の部屋に行き、先ほどまでアマリリスが覗いていた窓から外の様子を見た。


「うわぁ~」


そこに広がっていた光景にリフィルは放心したような声を出したのだった。

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