第230話 悪魔ヒーローは見惚れる
――僕は夢でも見ているのだろうか?
とにかく普通ではない光景がそこにはあった。
相変わらず偉そうな態度の幼女と、その足元でぼろ雑巾のように倒れ込む勇者レクト。
どうしてこんなことになったのか、それは数分前の事。
大きな音がしたレクトが眠る部屋に慌てて駆けつけると怯えたようにして丸くなっているレイと息を乱しながら部屋中を荒らしていたレクトの姿があった。
「レクト!?何をしているんだ!」
「っ!ヒート!よくも俺の前に顔を出せたな悪魔!」
おかしい、この前も酷かったが今の彼はまるで別人のように見えた。
今まで眠っていたのにも関わらず目の下には隈のようなものがあって瞳にも光がない。
完全におかしくなっているようだ。
「落ち着けよ勇者」
そんなわずかに舌足らずなフォルスレネスの声と共にカラカラと母上の車椅子の音が聞こえて二人が部屋にやってきた。
そんな二人…というかおそらく母上を見たレクトの様子が変わった。
「お前は…!悪魔の神!!」
「おや?私あなたにそうやって名乗ったことがあったでしょうか?覚えていないのですがどうでしたかね」
「うるさい!なんでお前のような邪悪がここに!やっぱりヒートも悪の手先だったんだな!?」
「落ち着いてくれレクト!」
「うるさいって言っているんだ!」
レクトがこぶしを握り締めて襲い掛かってきた。
とにかく落ち着かせないとと僕も拳を握りしめたのだがそこに水を差すように真っ黒な触手が現れレクトの身体に巻き付き、持ち上げた。
それは母上の力だった。
「ぐっ!」
「なあおい、声をかけたのは我だぞ?無視するなよ」
フォルスレネスがこの惨状の中でも変わらぬ態度でレクトに話しかける。
この状況でレクトを刺激するなと叫びそうになったが、あまりに堂々としているので何も言えなくなってしまった。
「子供…?なんでこんなところに…」
「子供扱いするなよガキが。表に出ろ、少し可愛がってやるよ」
レクトを掴んでいた触手が鞭のようにしなり、割れた窓からレクトを外に放り出した。
それを追うようにして母上が車椅子を操作して外に出る。
「くそっ!よくも…!」
「早く立てよ。まだ寝てるのか?」
フラフラとレクトが立ち上がり、母上を睨む。
まずいと思い、慌てて間に入ろうとしたが母上の触手に阻まれてしまった。
「怠惰…ヒートはそこで見ていてください」
「しかし!」
さすがに見過ごすわけにはいかない。
母上は戦闘面ではそんなに強くは無いはずだ。
レクトは正直言って強い…それに今彼からは不気味な気配が漂っていて何が起こるか分からない。
勿論母上が死ぬということは無いだろうが、その膝に乗っているままのフォルスレネスは無事では済まないはずだ。
「騒ぐな、お前も黙ってみていろ。アルス」
「はぁい」
いつの間にか母上の背後から伸びる触手がレクトの使っていた剣を回収しており、それを立ち上がったレクトの足元に投げた。
「どういうつもりだ」
「お前の手の感じや動きを見るに剣を使うんだろう?あとで得物がないからとか言い訳されるのも癪だからな」
「君には聞いてない。俺はその悪魔に聞いてるんだ」
「話しているのは我だと言っているだろガキ」
「子供は黙って…!?」
レクトが怒鳴り声を上げようとした時、母上の膝の上から跳びあがったフォルスレネスがその小さな手でレクトの頭を掴み、顔面に膝を入れた。
そのまま空中でくるくると縦に回った後、実にキレイな動きで地面に着地、その一連の動作で僕にはフォルスレネスがただものではないとようやく理解できた。
まるで自分の身体の使い方を全て知っているかのような華麗な動きに目を奪われる。
「なんだ、勇者と言えどこんなものか」
「この…!君も人間ではないな!?ならもう遠慮はしない」
レクトがフォルスレネスを睨みつけながら剣を手に取る。
まずいとは思うものの、僕はフォルスレネスの戦いをもっと見てみたいという欲求に駆られている。
母上も手を出すつもりはないようで涼しい顔で状況を見守っていた。
「おうおう遠慮するな。だが一つだけ言っておくが我は人間だ。少なくとも今のお前よりはな」
「黙れ!」
そこから始まった大人の男と幼女の戦いはあまりにも一方的だった。
ただしこの大人対幼女という文字列から想像される状況とは真逆の意味でだ。
「おいおい、まだ寝ぼけてるのか?それとも二日酔いか?ん?いいよなぁお前たちは酒が飲めて。我はあと十数年待たねば飲めんのだぞ?」
「フォス様は大人でも飲んだらすぐ寝ちゃうじゃないですか」
「うるせぇ。たまたまお前が見てた時が疲れてた時だっただけだ」
そんな平穏な会話をするフォルスレネスと母上だったが、フォルスレネスは地面に這いつくばるようにして転がされているレクトを土足で踏みつけている状態だ。
それは無駄のない動きだった。
フォルスレネスはその小さく軽い身体の利点を全て使い、大の大人をあっという間に制圧してしまったのだ。
特殊な能力や魔法を使った痕跡すらなく、完全に身体能力…いや、体術のみで優位に立った。
ひらりとレクトの攻撃をかわし、的確に小さな足で急所や関節を打ち抜き膝をつかせ、最後は後頭部を蹴り上げ今の状況の出来上がり。
見事というほかない。
一寸の無駄もない身体捌き。
まるでではなく、彼女は自分の身体で出来ることをすべて理解しているのだ。
「お見事…」
ついそんなある種の敬意すら宿った声が漏れ出てしまう。
母上はフォルスレネスをみてうっとりとした表情をしていて…。
なるほどなぁフォルスレネスが母上の想い人だったのか…まさか母親が幼女に恋慕していたとは思わなかったけどあれだけのものを見せられたのなら僕は素直に祝福しよう。
「ぐぐぐ…なめるなぁ!!」
「お?」
レクトが突然弾かれるように立ち上がり、フォルスレネスはその勢いを利用してぴょんと跳びあがり母上の膝の上に降りた。
「ははっ、最低限の根性は持ち合わせてるってか?」
「うるさいっ!」
フォルスレネスを鋭い目で睨みつけるレクトからは不穏な力のようなものが渦巻いていくが、それを正面から浴びせられているはずのフォルスレネスは薄笑いを浮かべ挑発的な表情を向けていた。
「力の差が分からんのはマイナスだな。一時の例外を除いて勝てない相手に挑むのは馬鹿だぞ?力無き勇気は蛮勇、勇気無き力は暴力だ。そこんとこどう思うよ?ん?」
「一回優位に立ったくらいで勝った気になるな!俺はそんな事では諦めない!」
「甘ちゃんだな。我が本気で殺す気ならその一回で死んでいるというのに」
「なら殺してみろ!」
「ほう…吐いた唾、飲み込むなよ?ガキ」
フォルスレネスの目がスッと細くなって異常な圧迫感が放たれた。
一瞬母上から放たれているのかもと思ったが、間違いなくこの力の主はフォルスレネスだ。
人間の幼女が出せるものじゃない…まさか本当に僕より年上なのか…?
「…っ!うおおおおおおおおお!!!」
レクトは一瞬だけ怯んだものの雄たけびを上げながら剣をもってフォルスレネスに斬りかかろうと走り出す。
それを迎え撃つためフォルスレネスも母上の膝の上から跳び下りる。
「気合だけは一丁前か、つくづく救えないなぁ勇者。まるで死に向かって進んでいるようじゃないか」
「黙れ!!」
レクトは急に足を止めると剣を地面に突き刺す。
するとレクトを中心に円状に衝撃波が奔り、辺りを破壊していく。
あれはまずい!
フォルスレネスの体術の凄さは疑いようもない…だけどあんな風に全方位に攻撃をばらまかれては対処のしようがないはずだ。
どこまで行っても身体能力は幼女のはずなのだから。
「くそっ!間に合ってくれよ…!」
僕は慌ててフォルスレネスを庇おうとしたのだけど…。
「邪魔をしてはいけませんよヒート」
母上の触手が僕の進路を塞ぎ、やんわりと止められてしまった。
「しかし母上!」
「見ていなさい。フォス様はあなたの憧れの具現なのですから」
「はい…?」
「昔から言っていたでしょう?誰かを助けられるようなヒーローになりたいって。フォス様こそまさに光の英雄…無敵のヒーローなのですから。まぁ私にとってのですけどね」
そう言って笑う母上はとてもキレイだった。
恋する女性の顔とでも言えばいいのだろうか…とにかく記憶にあるどんな母上よりも美しかった。
そして戦いに視線を戻すと、いつの間にかフォルスレネスの手には幼女サイズの光の剣が握られていて、一閃。
光が瞬いたかと思えばレクトが放った攻撃は綺麗に霧散してしまった。
そのまま駆け出したフォルスレネスは突然の出来事に茫然としているレクトの元まで駆け出し、その光の剣がレクトの身体を貫いた。
「レクト!!!」
僕はとっさに彼の名前を呼びながら駆けだした。
我ながら僕はどっちの味方なのだろうか?
母上は今度は止めることは無く…。
「ヒート、忘れてはいけませんよ。私たちが一番大切にしなくてはいけないものを」
すれ違いざまに耳元に届いたそんな言葉は、やけに胸の中に響いた。
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