第228話 悪魔ヒーローは母を思う
マナギス女史の家の中は妙に重い雰囲気に包まれていた。
しかしそんな空気とは反比例して僕のテンションは上がる一方だ。
何故なら探していた母上にようやく会えたのだから。
最初は僕自身から母上の元から離れたのだが、まさかその後母上自身が行方をくらませるとは思わなくて焦ったものだ。
とにかく僕は嬉しさのあまり母上と謎の幼女をマナギス女史の家まで案内し迎え入れた。
そして眠るレクトと、用事があると言って出て行ったマナギス女史以外のみんなに紹介しようとしたのだがこの何とも言えない雰囲気の完成というわけである。
「どうしたみんな?この人が僕の母上だ!」
「どうも~」
母上が優し気な表情でひらひらと手を振った。
レイは控えめに手を振り返したが、フリメラとレクトは肩をビクッと振るわせて気まずそうな顔をしている。
「本当にどうしたんだ?」
「まぁまぁ、それくらいにしておきましょう怠惰」
「母上がそういうのなら。ところで母上、どうして車椅子に乗っているのですか?」
僕は嬉しさで頭の隅に追いやられていた疑問を口にしてみた。
すると母上は心底嬉しそうに微笑むとゆっくりとワンピース状になっている服の裾の部分を少しだけまくり上げて脚を露出させた。
いや、そこには本来あるべき足が脛の途中くらいからなくなっていた。
「母上!?これはいったい!?」
「くすっ落ち着いてくださいな怠惰。これは私の愛の印なのです」
「愛…?」
「そうです。大切な人が私にくれた愛の鎖」
今まで見たことないような本当に、本当に幸せそうに笑って母上は自分の膝の上で足を組んでいる幼女を優しく抱きしめた。
当の幼女はブスッとした顔でされるがままになっている。
「…とにかく悪い事は起こっていないのですね?」
「ええ、私は幸せです」
母上は嘘は言わない。
そしてこの世界の誰よりも欲望に忠実な人だ。
言い換えれば究極の自分勝手なわけで…つまりその母上が幸せだというのなら僕が口を出すことじゃない。
「わかりました。しかし母上、何かあれば僕はいつだって母上の味方ですからね」
「ええ、ありがとう怠惰」
僕は母上の手を取って甲に軽く口づけをした。
「なんだ?随分と懐かれているな」
幼女がそこでようやく口を開いた。
というか先ほどもそうだがなんというか…随分と粗暴な子だ。
「そうなんですよ。不思議な事に」
「てめえの事だろうに」
「ん~…自分で言うのもなんですが私は母親として褒められるような女ではないと思うのでどうして怠惰がそんなに私を母として慕うのかよく分からないところはあるんですよね~」
「僕はあなたの事は素晴らしい母だと思っていますよ」
確かに普通とは違うかもしれない。
母上の痴態を見せつけられたのなんて1度や2度ではない…いや10,20でも足りないくらい見せられたし僕の信念と母上の欲望は相容れないところもある。
それでもこの人は間違いなく僕の母上なのだ。
僕が目覚めたのはいつだったか、ある日突然悪魔としてこの世に生を受けた。
その時から僕は何か「ズレ」のようなものをずっと感じていた。
周りの悪魔たちが自分とは違う種族にしか思えない、自分が悪魔だと思えない。
人間を殺した、血を奪った、精を絞った。
そんな会話をする同胞たちが不気味で怖かった。
それどころか人間側に肩入れして考えてしまう始末で…。
そしてさらに運が悪いと言えばいいのかなんというか僕はもう一つ、さらに「致命的なズレ」も感じていて…とにかく世界は僕にとって生きにくい場所だった。
だから僕はキレた。
何にキレたのか自分でも全く分からないけれどとにかくキレた。
日が沈んで闇に包まれた世界で、いつものように人間たちの欲望で全身を彩った後の母上に襲い掛かった。
性的にではない、物理的にだ。
拳を握りしめ、一周回って美しさすら感じる汚れた母上に叩きつけた。
殺されてもいいと思った。
むしろ殺されたいと思っていた。
理由のわからない「ズレ」に絡めとられて、身動きもできず息苦しく死んでいくのならこの胸に詰まったものを吐き出して死のうと思ったのだと思う。
だが当時の予想に反して母上は抵抗せず僕の拳をその身に受け続けた。
母上を殴るたびに拳に伝わる肉の感触と飛び散る誰かの欲望の証が気持ち悪く感じた。
それがしばらく続いた後に、母上が不意に口を開いた。
「やめにしましょうか」
「…っえ?」
「私を殴りたいのならと受け入れましたがそういうわけでもないみたいですしね。ちょっと待っていてください」
母上はそのまま湯浴みを始めてしまったので僕は茫然とその場に立ち尽くした。
僕が殴った場所はお湯に染みているのではないかと不安になったりもしたが、いつもの半分以下くらいの時間で母上は湯から上がり、僕に向き合った。
「それでどうしたのですか?」
「…」
どうしたのかと聞かれても何も答えられはしない。
なぜなら僕でさえ僕がどうしてしまっているのか分からないのだから。
「ダメですよ怠惰」
「え…」
「あなたは悪魔なのですから。そんな悲しい顔をしてはいけません」
「──だって好きでこんな顔をしてるわけじゃない」
「それならなおさらです。好きでもない事をやるなんていけない事です悪魔として、」
「──は!悪魔と自分を思えないんだ!」
そう叫んだところで母上は僕の手を取った。
人を安心させるような優し気な笑みを浮かべるとその豊満な胸に僕の手を置いた。
「大丈夫、私は全てを受け入れます。だから全部話してください。大丈夫ですから」
不思議と涙があふれて止まらなくなった僕は抱えていたもの全てを母上に吐き出した。
たぶんだけど文脈もめちゃくちゃで、嗚咽交じりだったしかなりわかりにくかったと思うけど母上は適度に相槌を打ちながら僕の話を最後まで聞いてくれた。
そして全てを話し終えた後で怒られた。
「いけませんよ怠惰。やはりあなたは間違っています。あなたは悪魔なのですから無理やり自分を抑え込むようなマネをしたら不安定になるのは当たり前です」
「なにを…」
「悪魔が行っている行為に不快感を覚えるのならやらなければいいではないですか。人に肩入れしたいのであればすればよいのです。簡単な事で考えるまでもないでしょう?」
「で、でもそれは…」
それは悪魔達にとっては裏切りではないのだろうか?
「でももだってもありません。悪魔は己の欲望に素直でなくてはいけません。自分の心の赴くままに、それが全てです。嫌ならやらない、やりたいことをやりたいだけやる。自分の心に正直に、欲望をさらけ出す。それが正しい姿です」
「それは…あなたにとっては裏切りなのではないですか…?──はきっと心のままに行動すれば悪魔を殺しますよ…あなたのやろうとしていることも邪魔するかもしれません。それでも…やっていいというのですか…?」
「言いますよ?それがあなたの欲望に基づいた行為なのであれば私はその全てを受け入れます」
ふわっと母上に抱きしめられ僕は再び泣いてしまった。
そこで僕はようやく自分が悪魔だと思えた。
自分の思うままに生きていいのだと思った瞬間に一気に心が軽くなった。
同時にこの人は間違いなく僕の母上なのだと認識できた。
「母上…──は…」
「その一人称も辛いのなら変えてしまいましょうか。練習すれば私たち悪魔は悪魔としての特徴を消すことは出来ませんが「姿を多少偽る」ことくらいはできますから。しばらく私と特訓してみましょう」
「はい…はい…!──は…「僕」は…うぅ…」
「いい子ですね~いい子いい子。周りに合わせようとして自分が傷つくなんてきっとあなたはいい子なのでしょう。でもこれからは自分のために生きましょうね。大丈夫ぜ~んぶ私が許してあげますから」
あの日の出来事があったから僕はこうしてここに居る。
だからこの人は誰がなんと言おうと僕の大切な母上なのだ。
「なんか勝手に感傷に浸っているところ悪いがそろそろ本題に入らないか?」
昔を思い出してじ~んと来ていた僕に幼女が横から冷や水を浴びせてきたのだった。
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