第203話 ある神様の御伽噺8

 魔界と呼ばれる場所に踏み入れた時に思ったのはあの姉妹に聞いた話とはずいぶんと印象が違うなという事だった。


人族に追い詰められているというには随分と発展している感じがしたからだ。

魔王に認められた一部の魔族しか入れない国…随分と変わってしまったものだ。


入り口にはご丁寧に簡単には入れないように結界が張ってあり、ご丁寧に不可視化の魔法までかけてあった。

そうまでして魔王は何がしたいのか…人に追い詰められているのなら魔族も団結するべきではないのか…どれだけ考えても答えは出なかったので直接魔王に聞くことにした。


「お久しぶりですね」


私に背を向けて夥しいほどの紋様が壁じゅうに描かれた怪しげな部屋で魔王は笑っていた。

声をかけると少しだけ肩を震えさせた後に魔王はゆっくりと振り返って…その顔は100年前に魔族のトップとして私のそばに居た老人だった。


「あなたは…これはこれはまさか復活されていたとは驚きましたぞ」

「ええおかげさまで」


レリズメルドに彼が今の魔王だと聞いた時は少しばかりの驚きと納得があった。


驚きは魔族の事を常に考えて行動していたように思えた彼が選民思想で行動している事。

納得は…まぁ彼が生きているのならもともとトップだったのだしそうなるだろうなという事。

だが…そんな事よりも…そう、そんな事よりもだ。


彼が今腕に抱えているこぶし大の石のほうが気になった。

私が持っている物は小指の爪くらいの大きさで…それに比べると何倍も大きく、そしてより強くレイの気配を感じられた。


「よくこの場所まで来れましたなぁ…結界やその他もろもろ他人にはなかなか見つけにくい場所だと思うのですが」

「私にそんなものが通用すると思いますか?」


「…相変わらず忌々しいお方だ」

「はい?」


「私はね神様…あなたの事がずっと嫌いだったのですよ。殺してやりたいほどに」

「…」


突然の申告にやはり私の心は何の揺らぎも見せない。

そんなことどうでもいい、それよりもその手に持っている石は何だと今すぐにでも問い詰めたい。


「我々魔族はもっともっと羨まれるべき…尊重されるべき種族のはずだ!なのにあなたは…いやお前は魔族を狭い場所に封じ込め、人族なんぞという汚らわしい種族に地上の支配権を渡した!それどころか人の子を招き入れ優遇するなどもってのほか!お前は我らの神ではない!醜い邪神だ!」


顔に怒りを滲ませてまくし立てるように叫んだ老人を見て少しだけ…そう、本当に少しだけ可笑しくなった。

人からは魔王と呼ばれ、魔族からは邪神と呼ばれる…私はいったい何者なのか。

考えれば考えるほどおかしくなっていく。


「なんだその顔は!ふざけおって!…いや、お前は先ほどから私の手にあるこれを見ているな?随分と関心がある様子だ…ふふふふ…そうでしょうねぇこれは何故ならあなたが可愛がっていたあの汚らわしい小娘のなれの果てなのだから」

「…どういう意味ですか?」


先ほどまでの怒りが嘘のように老人は狂ったように笑いだし、手に持った石を見せつけるように突き出してきた。


「これは「勇者」と呼ばれる存在の力の欠片だ!ありとあらゆる悪を切り伏せ神をも殺す究極の力!!どうやったのかは知らんが人間があの小娘から手に入れたこの力を少しずつ隙を見て奪いここまで集めたのだ!!」

「レイから手に入れた…?それは一体どういうことですか」


「ふふふふ…いい表情になってきましたなぁ…詳しく知りたければ人の国に行ってみてはどうか?中央都市と呼ばれる場所に面白いものがありますぞ?まぁもっとも…あなたはここでこの私の手によって再び眠りにつくことになるのだがなぁ!!!」


老人が手に持った石を自らの胸に押し当てた。

するとその身体の中に取り込まれるようにして消えていき…老人の存在感が急に膨れ上がった。


「くははあははは!!!素晴らしい力だ!これが勇者の力!これならお前を殺せるぞぉ!!そして忌々しい人族をこの世から殲滅し!地上の全てを我ら魔族の物とするのだ!!!」


その様子に私は吐き気を抑えるので精一杯だった。


あの醜悪な老人の中に…レイの気配が混ざっている。


――やめて、


やめてやめてやめて

やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて。


私の最愛の娘が…綺麗だったはずのあの子が…一方的に汚され老人と混ざり合っていく。


気持ち悪い…この世にこんなおぞましいものがあったというのだろうか…?


だめ…これ以上は耐えきれない…。


私は手の内に刀を出現させ先ほどの人族と同じように一刀の元に切り捨てた。


「…は?」


老人は何が起きているのか理解できていないようだったが私はもう気持ちが悪くて今にも吐きそうで…他人にかまっている余裕なんてなかった。

今はとにかくこの男からレイを取り戻さないと…その一心で二つに分かれた男の身体にさらに刀を突き立てた。


「うぐぅ!?舐めるな邪神めがぁ!!!」


男の放った魔法が私のお腹の辺りにぶつかったけれど、それは何の痛痒も私に与えることは無く消えてなくなる。


「な、なぜだ…!?あの小娘は確かにお前を殺せていたはず!なのにその力を使った私がなぜおまえに一方的に!!」

「いいから…!レイを返して!!」


男の中から石を探すようになるべく細かく斬りつけていく。

もはや男がどうなるかなんて私にはどうでもよくて、ただただレイを取り戻したい一心だった。

しかしそんな私を見て、今まさに身体を斬りつけられ続けている男が狂ったように笑いだした。


「ふははははは!!返してだと!これは傑作だな邪神よ!やはりお前は何も分かっていない、何も見えていない!なぜあの人の小娘が急にお前の元を去ったか…本当に分かっていないとはな!」

「…は?」


どうしてレイが私の元を去ったか…その話は本人から聞いたはずだ。


「くっくっくっ!私が!そして大勢の魔族が!お前の目の届かいところでずっとずっと、毎日毎日囁いてやったのさ!「お前は疫病神」「汚らわしい人間」「神様もお前の事なんか愛してくれていない」と!なかなか信じなかったが身体の見えにくい場所を痛めつけていたのにお前に相談すらしなかったところを見ると…あの小娘も綺麗事だけで助けてくれないお前に愛想をつかしていたのかもしれんなぁ!!」

「…それは本当の事ですか」


「ああ本当だとも!この国から出て行け、それが私たちと、そしてお前のためだと言い聞かせたらすぐに出て行く決心をしてくれたよ…ふふふっ!どうですかな!自分がどれだけ独りよがりの愚か者か理解しましたかな!?神としても…そしてなにより母としてもお前は!」

「黙れぇええええええええええ!!!!」



それから何度男を斬りつけて突き刺したかは分からない。

気が付けば部屋の中は不快な臭気と赤黒い水とぐちゃぐちゃに飛び散った肉塊だけになっていた。

人と同じく魔族の中身も…存外に醜い。


「フィルマリア…」

「…あった」


なにか言いたげだってレリズメルドを無視して私は地面に落ちていたこぶし大の石を拾い上げた。

その瞬間、私がすでに持っていた小さな石が大きな石にくっつくようにして一つになった。


「これは…本当に一体何なの…?」

「私にも分からない…だがろくでもない物であることは確かなようだ」


「…そういえば彼が何か言っていましたね…中央都市でしたか?レリズメルド心当たりは?」

「多分さっきの魔族を助けたところから逆方向に言った場所にある大きな町だとは思うが…」


「ではそこに行きましょう。今は一つでも手がかりが欲しい」

「…なぁフィルマリア。私がこんなこと…いや、私だから言わせてもらうがここいらでやめにしないか」


「はい?」

「この先に進めばあなたは二度と戻ってはこれなくなるような気がするんだ」


たとえ何が待っているのだとしても私は行かなければならない。

手元の石に目線を落とすとそれは存在を示すように淡く輝いている。


先ほどのあのような光景が…この世界にあっていいはずがない…私は見定めなくてはいけないのだ。

この世界の神様として。

だから私は友達であるレリズメルドの言葉を無視して歩みを進めた。


強烈な吐き気は未だに収まらない。

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