第190話 ある神様の御伽噺4

「お母さん、私…人間の国に行く!」


それは余りにも突然の話だった。

レイが15歳になったその日、突如として彼女は神様にそう言い放ったのだ。


「な、何を言っているのレイ!?そんないきなり…」

「いきなりじゃないよ!ずっとずっと考えてたの」


レイは今まで見せたことの無いような真剣な瞳で神様の瞳を正面から見据える。

そんな娘の様子に神様は少し気圧されながらもとにかく話し合わなければと混乱する頭を無理やり落ち着かせる努力をした。


「考えてたって…どうして…」

「私は自分が魔族じゃないって知ってる…自分が人族だって気づいてから色々な事を調べた。魔族のみんなやレリズメルドにいっぱいいっぱいいろんなことを教えてもらったの」


神様は弾かれるように自らの後ろに控えていたレリズメルドのほうに振り返った。

なぜそんな話をレイにしたのか。そんな少しばかり怒りが含まれた結果、神様は友である白銀の龍を睨むような形になってしまった。


「すまない。だがレイが人である以上はどうしても避けては通れない問題だ。私も当初は悩んだが…それでも本人が知りたいと、学びたいと言うのならばそれを尊重するべきだと思ったんだ」

「ならなぜ私に黙っていたのですか!」

「レリズメルドを怒らないでお母さん!…私がお母さんには黙っててって頼んだの…」


再び神様はレイに視線を戻し泣きそうな顔になった。


「どうしてですか…なんでそんな…」

「ごめん…だってお母さんが心配すると思って…」


「するに決まってるでしょう!?だってあなたは私の…」


大切な娘なのだからと何故かその時の神様は言葉にすることができなかった。


「聞いてお母さん。私は魔族と人についていっぱい勉強した。そしてお母さんがどんな存在なのかも知った。だからね私は人の世界に行ってみることにしたの!」

「どういうことですか…?」


レイは胸の前で何かを決意するようにギュッと手を握りこむとまっすぐ、力強く母である神様を見た。


「私がお母さんの夢を叶える」

「…え?」


「私は魔族の元で育った人だから、きっと両方の種族を繋ぐ手段を見つけられると思うの!だからまずは人について知りたい…ううん私は知らないといけない。だから人の国に行きたいの!」


神様の夢…それはすでに夢とも呼べないほどに消えかけた理想。


人と魔族という種族同士の和解。


皆が手を取り合っていける世界。


悲しみの末、神様が諦めた物を娘が叶えようという。


その気持ちが嬉しくないと言ったら嘘になる…なるがしかしそれ以上に神様の心には言いようのない不安や焦燥感、そういったものが溢れ出していく。


「それはあなたがやる事ではありません!それに人と魔族の融和なんてどれだけ難しいと思って…!」

「それでもお母さんは私を愛してくれたから」


焦りが高まり口調が激しくなっていく神様とは対照的にレイは落ち着いた声色でゆっくりと神様に向かって言葉を紡いでいく。


「私は「ずっと」誰かに愛してほしかった。この世界に来ても結局私を愛してくれる人なんていなくて…だけどお母さんは私を愛してくれた。本当の子供じゃないのに…神様なのに人の私をちゃんと愛してくれたから」

「あなた何を言ってるの…?」


レイが言いたいことはなんとなくわかる。

だが言葉の端々、一部がうまく理解できない。


まるで捨てられていた時の記憶があるような言いぶりに「この世界」という単語。

だがそれを説明する気はないらしくレイは少し泣きそうになりながらも必死に神様に対して話を続けた。


「だから私はきっと人と魔族もいつか分かり合えると信じてる!お母さんが私を愛してくれたように。そしてそれが神様であるお母さんができなかった事なら、その娘であり人である私がやるの!もう決めたんだから!」

「…」


神様はついに相槌を返すことさえできなくなってしまった。

そんな神様に背後からレリズメルドが申し訳なさそうに話しかける。


「すまない…まさか私もこうなるとは思わなかったんだ」


もはやそんな話をしてもどうしようもない。

今はどうすれば娘を踏みとどまらせることができるのか、そのことで頭がいっぱいだった。


「これもいい機会ではないですか神様」


そんな神様たちに割り込むように現れたのは魔族たちをまとめている老人。

かつて神様にレイの処遇について物申したのも彼だ。


「いい機会…?」

「子はいつか親元を離れるものです。ましてや子自ら世界という広いものを見たいというのなら優しく送り出してあげるのが親という物ではないですか」


「親…でも…」

「神様は娘が手元を離れるのが寂しいのですな。その気持ちは我らとてよく理解できます。ですがここは彼女の意志を尊重しようではありませんか。それがもとで本当に我らと人の争いが無くなるかもしれないというのなら希望を託してみるのも悪くはありますまい」


言われて納得がいった。

神様は娘と…レイと離れ離れになるのが嫌だったのだ。

そしてそれに気が付いてしまえばもうレイの事を止めることは神様には出来ない。

なぜなら神様は自らの勝手を娘に押し付けるつもりはないから。


「…そうですね、わかりました。私は…レイの意志を…尊重します」

「私が言えることではないかもしれないが本当にいいのか?」


レリズメルドが心配そうに語りかけるも神様は力なくうなずくだけだった。


「ありがとうお母さん」

「はい…いえ、やはりせめて私も一緒に…」

「なりませんぞ神よ!あなた様は人には関わらぬと宣言したではないですか!それは我ら魔族と、そして人族をも裏切る行為ですぞ!」

「口が過ぎるぞ貴様!!」


意思が揺れる神様を止めた魔族に対しレリズメルドが怒りをあらわにしたがそれを神様が制した。


「いいのですレリズメルド。確かに私が軽率でした」

「だが…」


神様が思い起こすのは以前の出来事。

自分が人と魔族の争いに介入してしまったがゆえに起きた悲劇。

それを繰り返さないために、自分は人の世界に降りるべきではない。

それは神様が自ら決めたルールなのだから自分で破るわけにはいかなかった。


そしてそこから数か月後、レイは人の世界へと旅立つのだった。

夢と希望を胸に旅立った一人の少女。

その背についぞ神様は喉に引っかかった言葉を投げかけることができなかった。


そこから少女が背負ったものが悪意によって黒く汚されていくのにそう時間はかからなかった。


────────


「見つけたぞアルソフィア…それに近くにお前もいるんだな?ならもう…今しかない…私にだって守りたいものくらいあるのだから」


白い空間で虚ろな目をしたフィルマリアが小さな鍵のような物をもって立ち尽くしている。

そのまままるでそこに鍵穴があるかのように鍵を開けるような動作をすると鍵を手放し、鍵はそのまま地面にぶつかり、カツンと小さな音を立て跡形もなく消え去った。


「「行かないで」…その一言が言えていたのならお前の今も変わっていたのか?なぁ「私」」


そんな呟きと共にフィルマリアはゆっくりと目を閉じると数瞬ののちに目を開く。


「ん…?私今なにを…?はぁ…やはりまだ本調子ではないみたいですね。たまに意識が飛んでしまうなんて」


頭を軽く押さえるとフィルマリアは無造作に地面に身体を横たえた。

そこにはもちろん寝具などなくただただ白い地面が広がっているだけの硬い床だ。

しかしフィルマリアは一切気にせず特徴的な色の長い髪が絡まることも気に留めずに瞳を閉じた。


「何もかもがめんどくさい…もういっそのこと目が覚めなければいいのに」


全ての現実を忘れ、まどろみの中に沈もうとした時にフィルマリアはある気配を感じて目を開けた。


「おや…なるほどそういう事ですか。生きていたのですねあの皇帝と悪魔。魔王とリリのところにいたのですね?今まで気配が掴めないなんてとんだミスです。ちょうど欠片持ちも近くにいるようですしついでに色々用事を済ませるとしましょう…あぁでもその前にやはり少し眠らないと…この世界は気持ちの悪いものが多すぎる…」


フィルマリアは眠る。

世界の全てを呪いながら。


そして叶うのならこのまま二度と目が覚めないようにと願いながら。


せめて夢の中では望んだ過去の中で笑えますようにと。

人知れず彼女が流した涙を拭うものは誰もいなかった。

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