第149話 魔界に広がる恐怖
魔界は今現在閑散としていた。
外に出る魔族はほとんどおらず、誰もが自らの家に引きこもり自らの身体を抱えて隠れるようにして震えていた。
魔王の宣言から一か月もしないうちに魔界全体は恐怖に覆い尽くされた。
何の前触れもなく「それ」はやってくる。
建物中で耳を塞いでいるのに耳に届くキィ…キィ…という歪な何かが軋む音。
それが聞こえたら最後、そこにいる魔族はほぼ間違いなく死ぬことになる。
「それ」は不自然なほど美しい女性の形をした黒い髪の人形だ。
その人形は腕から突き出ている刃で次々と魔族の命を刈り取っていき、たくさんの首が、肉片が地面に散らばっていた。
幼い子供だけは何故か殺されなかったがそれを利用して追い詰められた魔族たちが子供を盾にするような行動に出た結果、等しく、そしてより惨たらしく死体が増える結果となった。
また、魔族たちに恐怖を植え付けたのは笑顔…その人形は魔族を殺す際に女神と見違うほどの美しい笑顔を浮かべるのだ。そして次の瞬間にはその笑顔は血に濡れて…次の犠牲者を選び出す。
そうして行われる殺戮の人形劇に魔族たちも抗わなかったわけではない。
魔王の宣言の後、その人形が現れだした時に数々の腕に覚えがあった者、もしくは軍を所持している領主など様々な魔族が結託し人形に対抗しようとしたが…そんな彼らも人形にとって道端の子供と何ら変わらず、強い者も弱い者も等しくただの肉片となった。
そこまで事態が進みほとんどの魔族が恐怖に身を震わせるようになってようやく彼らはある事を考えだした。
なぜあの優しい魔王をないがしろにしてしまったのだろう、と。
力と恐怖によって独裁政治を敷いていた先代の魔王…寿命が長い魔族はその恐怖の時代を生きていた者も珍しくはなく、今でもその時の辛かった日々を思い出せて…そのはずなのになぜ魔界を良くしようと動いてくれていた現魔王を、あのひたむきに努力して民のために邁進していた少女を疎ましく思うようになってしまったのか。
追い詰められてようやく理解した。あの平和な日々がどれだけ素晴らしいものだったのか。
だがもはやそんな後悔は何の役にも立たず…それを考えていた魔族が顔を上げるとそこに笑顔の血濡れた人形がいた。
────────
「…魔族の数がどんどん減っていく。私の言葉で」
娘たちを寝かしつけた後に魔王は自室の窓から夕焼けに染まる空を眺めていた。
「でもまだ足りない。もっともっと私に対する恐怖を魔族たちには知ってもらわないと。怖いってどういうことか、痛いってどんなことなのか…そうすればきっと…」
魔王は自らの胸を押さえた。
最近はいつもこうだ、まるで心臓を握り潰されるように胸が痛くなる。
魔族に対する罪悪感…ではもちろんない。
罪悪感を抱いているとしたら嫌な役目を押し付けているリリに対して、そしてそんな手段をとることしかできない自分の不甲斐なさに対する怒りだ。
だがそれでもそんな自分を受け入れて前を向かなくてはいけないから。
リリにも遠慮はしないと決めたから。
全ては自分の大切なものを守るため、愛する人たちを無くさないため。手に入れた全てを奪われないため。
一人の少女は真の意味で魔王になる決心を固めた。
「本当にそれでいいの?」
「っ!?」
自分以外は娘しかいないはずの場所で問いかけるような声が聞こえてきて魔王は反射的に振り返った。
そこに異常なほど顔の整った不思議な髪色の女性がいた。
魔王はその人物に一切見覚えは無いはずだが、誰かに似ている気がしていた。
「アルギナ…?」
「んー、まぁ当たらずとも遠からず…いや、やっぱり遠いかも」
その不思議な言葉通り、目の前の女はアルギナとは似ても似つかない。
しかし長年共に暮らしてきた魔王はどうしてもアルギナの存在を感じてしまう。
「何者ですか」
「私が何者かなんてどうでもいいの、今はあなたの話」
ゆっくりとした足取りで女が近づいてくる。
下がろうにも後ろは壁で逃げ場がなく、魔王は赤いオーラを発生させて臨戦態勢をとった。
「そう、その力…それをいったいどうやって手に入れたのです?あなたはその力を持てるように設計されてはいない。なのになぜ?あなたに何があったの?」
「設計…?」
「おっと口が滑ってしまいました。気にしないで。それよりも、ね?もうやめにしませんかこんなこと。悲しいでしょう?辛いでしょう?あなたは心優しい娘ですから今の魔界の状況に心が痛いのでしょう?」
「知ったようなことを言わないで!」
「私はあなたの事をもしかすればあなたより知っているかもしれませんよ?」
「何を言って…」
女が魔王に向かって手を伸ばし、その頬に触れる。
「難しい事は考えないで。私ならあなたにとって理想の環境を提供してあげられる。もう苦しい思いをしなくてよくなる。だから、ね?もうこんなことはやめてしまいましょう。ほらいつものあなたに戻って、アルソフィア」
「…私をその名前で呼ぶな!!」
魔王の叫びと共に赤いオーラが爆発するように広がり、女が数歩後ずさった。
「おやまぁ。怒らせてしまったかな」
「好き勝手いろいろ言ってくれてるけど私はもう一人楽してるわけにはいかないのよ!辛い?苦しい?馬鹿な事を言うな!私は私の大好きな人たちと幸せになるために努力をしているの!どこの誰とも知らない女に理想だなんだとか言われてはいそうですかってついて行くか!」
「そうですか。はぁ…人が優しくしているうちに頷いておけばいいものを…ではもう強引な手段を取らせてもらいましょう」
女の雰囲気が変わり、強烈なプレッシャーが魔王を圧し潰そうとする。
「うぅ…っ!?」
「力を得たくらいで調子に乗りすぎましたね小娘が。また手間がかかりますがあなたを消して新しい魔王を作るのもありかもしれません…とにかくあなたの役目はもう終わりです」
再び女の手が魔王に伸びてその身体に触れようとした時。
「だー!う!」
「…は?」
女の身体が突如として光の粒子になってほどけるように崩れて消えだした。
本人も何が起こっているのか理解できていないらしく、自分の消えていく身体をしげしげと見つめて顔をしかめていた。
女はそのまま甲高い声が聞こえた気がしたほうを見るとそこにいたのは黒をベースに様々な色がまじった不思議な髪色をした幼子で、その姿を確認した女が大きく目を見開いた。
「…なるほど。そういうことか…あぁ~めんどくさいなぁ…」
それだけを言い残すと女の姿はそのまま跡形もなく消えてしまった。
それと同時に腰が抜けたようにその場に魔王は座り込んだ。そんな魔王の足に小さな手がそっと触れる。
「あう?う?」
「リフィル…あなたが守ってくれたの?」
「んな~?」
「ありがとう。お母さん嬉しいよ」
魔王は小さな手の持ち主、愛しの娘リフィルを優しく抱きしめた。
何が起こったのかは分からないけれど、それでもこの小さな娘が自分を守ってくれたことは確かだと思ったから。
「ふぇえええええん!」
そうこうしているうちに周りに誰もいないと気づいたのかもう一人の娘が泣きだしたので魔王はその顔に優しげな表情を浮かべて泣き声のするほうに歩いて行った。
────────
「次から次へと問題ばかりおこりますね本当に」
消えたはずの女…フィルマリアは魔王城のアルギナが使っていた部屋に佇んでいた。
この場所にはいろいろと重要な物が置かれており、それを回収するためだ。
「突然だったので整理されていないのがさらに面倒だ」
部屋を物色していると物音が聞こえ、フィルマリアの様子を窺うようにして一人の子供が見ていることに気が付いた。
「ああ、君ね」
「あ、あの…どちら、さまですか」
「私はフィルマリア。ちょうどいいから君も私と来なさいな「レイ」」
「ぼ、ボクはギナさん、待っていない、と」
「アレは死にましたよ。魔王がざっくりといってしまいました。それにアルギナは私の破片の一つですし私と来ても問題はないでしょう?ほら」
フィルマリアはレイに手を伸ばしたがレイは首を横に振りながら後ずさる。
「あなた、は、ギナさんじゃ、ないです…」
「そうですね。ですがそれはそこまで問題ではないでしょう。いいから来なさい」
「っ!」
レイはフィルマリアに背を向けどこかに走り去ってしまった。
「…所詮は6割程度の未完成の欠陥品ですね。まぁいいでしょう。しばらくは好きにしていなさい」
その後、ひとしきり部屋の中を調べまわったのちにフィルマリアの姿は今度こそ魔王城から消えたのだった。
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