第109話 終わる少女と口無し人形2
少女はその巨大な人形と見つめ合っていた。
そのただただ巨大な…宝石のような瞳にボロボロの自分が映りこんでいて少しばかり気恥ずかしくなった。
しばらくすると巨大な人形が動き出し、その指をそっと近づけてくる。
その指でさえ少女の身長より長く…少しばかりの恐怖を覚えない事もなかったがそれよりも少女はその人形を綺麗だと思った。
やがて人形の指から赤と青の混ざり合った液体のようなものが染み出してきて、その雫がぼとりと少女に落ちた。
人形からすればほんの一滴でも少女にとってはバケツをひっくり返されたような量になる。
謎の液体でずぶ濡れにされてしまった少女だが極度の疲労や体の不調により動くことはできなかった。
「…なに、これ」
その問いに口の無い人形は答えず、じっと少女を見つめるだけだが時折なにか疑問を感じているように首をひねったり、再度少女に謎の液体をこぼしたりと謎の行動を繰り返していた。
液体自体は少女に触れると共に無色になるうえ無臭なので不快感は無いのだがこのままでは溺れてしまう。
「まって人形さん…死んじゃう…死んじゃうから…」
そこまで言ってもしかしてこの人形はやはり自分を殺すことが目的なのでは?という考えが頭をよぎったがそれを聞いた人形は慌てたように首を左右に振って両腕もせわしなく動き出す。
その様子を見守っていると人形の指から今度は赤い糸が垂れ下がってきて、その先から普通の人程度の大きさのデッサン人形のようなものが現れ、その手に持ってるタオルのようなもので少女の身体を丁寧に拭いていく。
続いてさらに現れた別の人形が少女の上半身を起こし、木のコップに注がれた水を差しだしてきたので恐る恐る受け取り口に含んだ。
その水は優しい温度に温められておりカラカラになっていた少女の身体に染みわたっていく。
「おいしい…」
そんな様子を巨大な人形は相変わらずじっと見つめており、上半身を起こされたことでどうしても見上げる形になってしまう少女もその瞳をまっすぐと見つめ返している。
続いてさらに現れた人形が手にしていたのは四角い箱だった。
それを渡された少女は上の蓋を開けるとそこには様々な形のクッキーが詰め込まれていてバターの甘い香りが漂いだした。
「食べてもいいの…?」
巨大な人形の首がゆっくりと縦に動く。
それをおそらく頷いたのだろうと受け取った少女はクッキーを一つ摘まんで少しだけ口に含んだ。
サクッとした小気味のいい食感と甘い風味が少女を満たしていく。
一つ食べれば次のクッキーに手が伸びて黙々とひたすらにクッキーを食べ続けた。
いつの間にか少女の瞳からは涙があふれだしていて、それを拭いながらひたすらに食べ続けたのだった。
「ごちそうさまでした」
少女が人形にぺこりとお辞儀をすると、それに返すように巨大な人形も頭を下げた。
「ふふっ!」
少女はそんな様子が何だか面白く見えて自然と笑みをこぼしたのだった。
「あなたは私が召喚したお人形さんなの?」
口の無い物言わぬ人形はその問いに天を仰ぐように上を見た後に斜め下に顔を下げる。
「…どっちだろう」
少女には肯定なのか否定なのかわからなかったが自分に敵意を持っているわけではないことは今までの行動でわかっていたので自分が召喚したのだと信じることにした。
いや、正確には信じたかった。
最期に自分のささやかな願いが叶ったのだと信じていたかったから。
「ねね!あなたのお名前は?私はルティエ!」
「…」
人形は首を横に数度振った。
「もしかして名前がないの?」
今度は縦に振られた。
「そっか!じゃあ私が考えてあげるね!召喚主の役目だよねそういうの!うむむ…」
ルティエは必死に頭を働かせ人形の名前を考えたが、何かに名付けた経験が一切ないのでいい名前が浮かぶことは無かった。
「…ごめん、また考えておくね」
人形はゆっくりと頷いたのだった。
それからルティエはしばらくいろんな話を人形にした。
自分の境遇、大好きだった祖父母の事、読んだ本の事、行ってみたい場所…もちろん何か相槌が返ってくるわけではなかったがちゃんと聞いてくれているのが伝わってきて嬉しくなりずっと話し続けた。
「けほっけほっ…ちょっと話し過ぎちゃった。私のお話を聞いてくれる人なんていなかったから…楽しかった!ありがとう人形さん」
「…」
表情もないし喋れないけれど、ルティエはこの人形の事を初めてできた友達のように感じていた。
闇の中から覗く巨大な顔と腕という奇妙だが綺麗な友達…またルティエは自然に笑みをこぼした。
「ところでそれどうなってるの?人形さんって顔と腕だけなの?」
その問いを聞いた人形が闇の中から覗く顔を前に突き出した。
腕も少しづつ闇の中から這い出すように伸びてくる。そしてたっぷり数分をかけて人形がついにその全貌をあらわにした。
「その黒いのお洋服だったんだね」
闇の中から這い出してきた人形は、その闇と同じ色の黒いワンピースのようなものを着ており、その身体は通常の人形と同じような見た目をしていた。
服が闇に溶け込み顔と腕だけがあるように誤認させていたのだ。
「やっぱりすごく綺麗だね」
「…」
巨大な人形は少し考えるようなそぶりを見せると糸でつながれた小さな人形が闇の中に消え、戻って来た時にその手に色の同じで通常サイズの黒いワンピースを手にしていた。
そしてものすごい速さで人形はルティエのボロボロの服をはぎ取り、黒いワンピースを着せる。
何が起こったのかわからなかったが自分はどうやら着替えさせられたらしい。
「わぁ~いいの?」
「…」
巨大な人形はこくりと頷いた。
それからは眠気に襲われるルティエを巨大な人形がその大きな掌に布団と共に寝かせ一夜を過ごした。
今日この日、消えゆくはずだった一つの命は物言わぬ人形の手によって明日を迎えることになったのだった。
翌朝、目覚めたルティエを迎えたのは肉が焼ける香ばしい匂いだった。
「ん…?」
まず目を開けると視点の高さに驚いた。
驚きのあまり一気に脳が覚醒して自分が寝ていた場所が巨大な人形の掌の上だという事を思い出し冷静になる。
そして振り向くと、そこに巨大な瞳があり再び驚いた。
「…おはよう人形さん」
「…」
巨大な人形はとくに反応することもなくルティエを地面に下ろす。
そこでは糸に操られた人形たちが火をおこし、何かの肉を焼いておりそれがいい匂いの発生源だった。
そして焼き終えた肉を木のお皿に盛りつけるとそれをルティエに手渡した。
この場に食事を必要とするのはルティエしかいないのだから当然であるが、自分が食べられるとはこれまでの境遇から考えもしていなかったルティエは少しばかり驚いたが人形たちにお礼を言ってその場に座り両手を合わせる。
「いただきます」
一口かじると甘い肉汁とあっさりとした酸味のようなものが口いっぱいに広がる。
どうやら焼いただけではなく何らかの味付けもされているようで夢中でルティエは肉を堪能した。
「ふぅ…おいしかったぁ~ごちそうさま。あれ?」
食べ終えるといつの間にか巨大な人形は姿を消していた。
先ほどまで肉を焼いていた人形たちも消えている。
「人形さん…?どこ行ったの?ねぇ…」
途端に心細くなり辺りを見渡す。
言いようのない恐怖に襲われルティエはその場を動こうとした時、近くの茂みが揺れ数人の人間たちが姿を現した。
「ひっ!?」
ルティエはその人間たちが武装していたこともあり、両親が放った追っ手かもしれないと思い恐怖した。しかし人間たちは切羽詰まった表情をしており、ルティエの姿を確認すると同時に叫ぶ。
「おいあんた!早く逃げろ!」
「え?」
それと同時に森の中から巨大な何かが姿を見せる。
おどろおどろしい叫び声と共に現れたそれは巨大な体躯に二足歩行で豚のような顔を持つモンスターだった。
「くそぉ!やっぱりこんな足場が悪いところじゃ逃げ場がない!」
「諦めんな!こうなったら迎え撃つしかない!」
しっかりとした鎧を着込んだ男が背にした大剣を構え、また動きやすい軽装に身を包んだ男が弓を構える。
「あなたこっち!」
ローブにとんがり帽子といった装いの女がルティエに近づき、手を引いてモンスターから距離を取る。
「あ、あの!これはいったい…!?」
「大人しくして!あれはテラーオーク…私達ハンターのランク付けでもA級越えの化け物よ!」
ルティエにはその言葉が正確には理解できなかったが、どうやら彼女たちはハンターと言われる人たちで、あのモンスターはかなり危険なものみたいだとは理解した。
「とんでもない事になっちゃった…」
ルティエは震える身体を何とか抑えることで精いっぱいだった。
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