第56話そして少女は悪魔となる
身体の震えが止まらない。
何故かなんてわかりきっている…身体が本能に抗えなくなってきているんだ。
ううん、もうとっくの前から抗えてなんていなかった…だけどもう本当に限界だ。
「お腹が…すいた…」
異常な空腹感に…満たされることなく暴れまわる食欲…まだ魔界なら辛うじて我慢ができた…だけどここはダメだ。
美味しそうな匂いがそこら中にあって…人間を見るたびに、あの柔らかそうなお肉に嚙みついたらどれだけ気持ちがいいだろう、どれほど美味しいだろう…その血を啜ればこの渇きも癒されるのだろうか…ともう食べることしか考えられなくなる。
私は食べ物が食べられないわけではない…リリさんから良くお菓子とかもらっている。
だけれどそれは全く私の糧にならないのだ。
食べても食欲と空腹はこれっぽちも満たされない。もう私は人間を食べることでしかこの衝動を解消することはできないと認めたくはなかった。
正直、ほんの少し…本当に少しだけリリさんを恨んだ。
なぜこんなところに私を連れてきたのか…私をいじめたいのだろうかあの人は。
違うとは言い切れない…私はあの人の事をこれっぽちも理解できていないのだから。
宿屋の大きなベッドの中でシーツで全体を覆い隠して身体を抱き込むように丸くなる。
そんなことをしたってどうしようもないけれど、どうすることもできない。
あぁ…このシーツからもかすかに人間のいい匂いがする。
「どうしたら…どうしたらいいのぉ…」
空腹を訴え続けるお腹を抱いて、涙を流した。
そしてこんな時、私の抱えた苦痛も涙も関係ないとばかりに無視して聞こえてくるのはまたあの明るい声。
「メイラ~たっだいま~っ!…どしたの?部屋暗くして」
その宝石のような真っ赤な瞳が私を覗き込む。
リリさんからは美味しいそうな匂いがしていて…きっと外で人の匂いがついたのだろうけど…今の私には耐えがたいもので…。
「お腹が…」
「お腹?すいたの?ならちょうどよかった!いろいろ持ってきたよ!ちょっと待ってね」
リリさんが果物を数種類と干したお肉のようなものを取り出して置いていく。
やっぱりこの人は私の事をよくわかっていない…もちろん私の事を詳しく説明したわけじゃないから仕方ないのだけれど…それでも悲しい気持ちになってしまうのは理不尽なのだろうか。
「いや~このあたりはあんまり美味しそうなの無くってさ~…でもでも上ってところに行けばまだまだ美味しいのあるんだって!具合よくなったら行こうね」
「・・・あの」
その時、私が何を言おうとしたのかわからない…だって私の思考はあっという間に吹き飛ばされてしまったから。
強烈な匂いが私の鼻腔を刺激した。
美味しそうなお肉の匂い…甘い血の匂い…。
慌てて私はベットから飛び起きた。
「リリさん…それ…」
「驚いた?」
にっこりと笑うリリさんの足元に人間が二人いた。
一人は少しだけ太り気味の男性…もう一人は目つきの悪いおばあさんだった。
二人は赤い糸のようなもので全身を縛られていて、目を見開いて何とか逃げ出そうとしているのか身体を動かしていた。
「ど、どういうつもりですか…?」
「うん?いやメイラがずっと食事してないなって思ってたからさ、持ってきたよ!ごはん!」
「い、いりません…!いらないですから早くその人たちをどこかに…!」
慌ててまたシーツに隠れる…だけどリリさんはそれを許してはくれずシーツをはぎ取られ、美味しそうな人間を見せつけられる。
「いらないはずないでしょ~そんなに見つめちゃってさ。やっぱり我慢してたんだね?だめだよちゃんとご飯は食べないと!私なんてお腹すかないのに食べてるからねごはん!」
「リリさんが食べるのと私が食べるのでは意味が違うじゃないですか!わかるでしょう!?」
「ん~?まぁそうだよねぇ…私は生きるのに必要ないもんね食べる事。でもさ、その私がこんなに気軽に食べてるんだからメイラはちゃんと食べないと!」
「私が…私が食べるのは人間なんですよ!?食べちゃったら死んじゃうんですよ!私が食べちゃったら人殺しになるんです!そうしたら…どこかで誰かが絶対に悲しむ…私はだから食べるわけにはいかないんです…!」
私がずっと抱えてた「食事」に対しての気持ちを洗いざらいぶちまけてしまった。
恐る恐るリリさんの表情を伺うと…変わらずその顔は笑っていた。そして─
「いいんだよ」
「え…?」
「食べていいんだよメイラは」
「な、なにを…」
リリさんがその特徴的な手で私の顔を包み込むように触る。
キィ…キィ…と特徴的な音が聞こえる。
「だってメイラは人間じゃないんだもん。だから人殺しがどうとか誰かが悲しむとか気にしたってしょうがないでしょう?人間だってきっとご飯食べる時ほとんどの人は気にしてないよ」
「…人間じゃない」
「そう、メイラは悪魔でしょう?人を食べないと生きていけないのなら食べないとダメなんだよ。そういう生き物なんだから、人間がご飯を食べるように、メイラも人間というご飯を食べるだけ」
「で、でも…そんなこと許されるわけが…」
リリさんの顔がずいっと近づいた。
まるでキスでもされそうな距離だ…その綺麗な瞳に私の顔が映りこんでいる。
「いいんだよ。メイラはここにいるんだから…それって生きる事を許されてるってことでしょう?だからいいんだよ。食べようメイラ。そしてちゃんと前を向いて生きていこうよ。ご飯がおいしければだいたいの事は楽しくなるよ」
「いいですか…私は食べてもいいんですか…それは許されることなんですか…?」
「許されることだよ。生きるために食べるんだから…ね?メイラはそういう生き物で、ここに存在してて…だからいいんだよ。ほら」
「リリさんも…許してくれますか…?」
「うん、許してあげる」
「そっか…私…食べてもいいんだ…!」
その恐ろしいくらいに澄んだ綺麗な声が私の頭の中のモヤモヤを全て洗い流していく。
リリさんが許してくれるのなら、私はきっと食べてもいいのだ…だってこの人は私の神様だから。
その瞳に映る私は…嬉しそうに笑っていた。
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