月が綺麗

 アケイオス半島の北西部はグラエキアの支配に服せず、かといって南部のラコニキアと戦争状態にあるわけでもない。中立の状態だった。


 いや、厳密には違う。海賊を沿岸に留め置いているのを中立とは言えないだろうから。


「月はどこで見ても、やっぱり綺麗だ」


 半島の地峡付近にある岩礁地帯にいかりを下ろし、甲板に装備されたハンモックに寝そべっていたのはセレネだ。


 女王の海域で見るのと変わらぬ美しい月。いつどこで見ても月は月だ。


 だけど、今の自分はただの乙女ではいられない。自分は海賊女王。もう後戻りはできないのだ。


「なあ、あんたもそう思うだろ?」


「ええ、俺もそう思います」


 セレネがばっと体を起こし、返事をしたアレクサンドロスを見つめる。彼女が語り掛けていたのは心の中にいる女王であり、彼ではなかったからだ。


 セレネはそれを悟られないために調子を合わせる。


「やっぱり、そう思う?」


「はい、女王……いえ、セレネさんと同じくらい綺麗ですよ」


 とくん、と心臓が脈打つ。


 自分を「女王陛下」ではなく名前で呼んでくれたアレクサンドロスに、特別な感情を抱いている? あり得ない。自分は愛されちゃいけないのに。呪いを持つ自分がいる限り、皆が幸せにはなれないのに……。


 同じ船に乗り、同じ時間を共有している。たったそれだけなのに、どうして彼に特別な思いを募らせているのだろう。


「アレクサンドロス、仕事の具合いは?」


 話題を作業の進捗しんちょくにすり替えるセレネ。自らの心境を見破られまいと考えての行動だった。


「え……あ、順調です。遅れはありません。丸太をこっそりと運び出してます。それと地峡の東側で動きがあったようです」


 アレクサンドロスは女王の部下としての職務に戻り、事務連絡と小耳に挟んだ情報を示唆した。


「どんな情報?」


「地峡の東側がグラエキアの支配下に入って以来、その港で奇妙な形の戦闘艦が建造中だそうです」


「ふうん」


「ガレー船二艘を繋げた大型艦だそうです。そんなもの、作れるんですかね?」


「ん? 今なんて?」


 セレネが喰いつく。その理由はアレクサンドロスが口にした「ガレー船二艘を繋げた大型艦」という文言。


 その形の船を見たことがある。祖国の神殿に飾られたフレスコ画の中で、テイテュス女王が同型艦の甲板に立っているのを。


(へえ、私が欲しがった奴じゃないか)


 テイテュスの魂がセレネにささやいた。心無しか嬉しそうだ。


(アケイオスの大型戦艦ね。分捕ってやろうと思ったんだけどさ。色々あって)


「あんたの昔話には興味ないから黙ってて」


「セレネさん?」


「ああ、気にしないで。独り言」


 アレクサンドロスを心配させまいとするセレネ。だが、誤魔化せなかった。


「セレネさん。俺に何か隠してませんか?」


「そ、そんなことはない」


「嘘だ。仲間たちからも聞いたんです。『姉御は呪いのせいで、見えない誰かと話してる』って。本当なんですか?」


 親身になって自分を心配してくれる優しい青年。


 もし、彼に訊かれたのでなかったら「考えすぎだ」と言って、それ以上の追及を躱そうとしただろう。


 だけど、訊いてきたのはアレクサンドロスだった。彼にだったら……。


「実はさ。驚かないでくれよ……」


 セレネは父、姉、デメトリオにしか明かしていたなかった心の声のことを、アレクサンドロスに説明した。


「そうだったんですか」


「変だよな。あたし」


「いえ――」


 アレクサンドロスはセレネを決して否定せずに、彼女の手を取ると、


「俺はあなたの全てを受け入れますよ」


と顔を赤らめて告白した。対するセレネは、


「かっこつけんなよ。んなことされても困る」


と返しつつ彼の手を突き放した。


(本当は嬉しかったくせに)


 心の声にセレネは「うるさい」と呟くことしかできなかった。

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