月は人を狂わせる

 ヒエロニムスとアケイオスの使節は子犬のように、大人しくセレネとパウルスの指示に従った。


 カタナー王国はイラクリスと「公に」同盟を結ぶこと。


 これはセレネの希望で、イラクリスの産業をおこす人材をカタナーに融通してもらいたかったから。カタナー王国は土木建築に優れた国柄だったので、その分野に優れた人々を誘致したかった。


 グラエキア共和国の執政官コーネリアスと、カタナー王国のヒエロニムスの「裏取引」の証拠を提出すること。


 こちらはパウルスが下調べで二人に怪しい金銭の流れがあったことは分かっていたが、コーネリアスを叩いても「記憶にない」の一点張りだったことから。


「では、最後に血判を」


 パウルスがヒエロニムスに己の血で判を押すよう迫る。上記二項を実行する旨を認めるダメ押しの一手。僭主は苦い顔をしつつ、指先を切り血判を押した。


「ありがとうございます。では我々はこれで。全て聞き出せましたから」


 もう用事はないとばかりに、さっさと帰り支度をしようとするセレネ一行。その去り際にパウルスがヒエロニムスに釘を刺す。


「もし、約束を反故にした場合は……分かっていますよね?」


 パウルスはサーベルから炎を出し、セレネは腕をムカデに変え、暗に僭主を脅しつけてから、王宮を後にするのだった。



「はあ、すっきりした!」


 セレネとパウルスはカタナー市内を歩きながら、西に沈みつつある夕日をながめた。もうすぐ夜が世界を支配する時間となる。


「今日は月を隠さないでくれよ!」


 空に浮かぶ雲にセレネは願った。綺麗な月を眺めたかったからだ。


「君は月を見るのが怖くないのか?」


「え、どうして?」


 パウルスの問いは、セレネには意味不明だった。陰鬱な夜に浮かぶ唯一にして神聖な光。それを恐れるとはどういった了見りょうけんだろうと。


「我が国では『月は人を狂わせる』と信じられているのだよ。ほら、ここに来るまでの航海で、私は一度も月を見上げはしなかっただろう?」


「そういや、そうだったかな」


 セレネは傍らを歩くパウルスに顔を向け、明るい顔をした。


「でも、あたしには最高の眺めなんだ。女王様と何度も一緒に見てさ」


「女王様?」


「あ、ごめん。あんたたちにとっちゃ嫌なんだよな。ごめんよ」


「いや、そんなことはない」


 足を止めるセレネ。パウルスも彼女に同調して立ち止まる。


「その話、聞かせてくれないか。君が夜に同じ時を過ごす、あの女王のことを」


 別に隠すほどのことでもない。そう思ったセレネは、パウルスに捨てられた神殿における女王と二人きりの月見について話して聞かせた。


 崩壊した神殿。影も形もない天井。


 神殿内部に降り注ぐ月光。それを玉座から見上げて夜を過ごす。玉座の背後にある女王のフレスコ画と一緒に。描かれている女王も上を見上げるポーズをしていたから、玉座に座って見上げれば同じ月を見ている気分になれる。


 私は女王と同じことをしている。女王と同じ体験をすることで、孤独感を彼女と共に紛らわすことができる。そう勝手に考えて、事あるごとに父や姉の目を盗んで「寂れた神殿の特等席」に走った。裸足の足が傷つくこともいとわずに。


「だから、あたしには月って特別なんだ。はは、やっぱ変?」


「変ではない。ただ、少し心配ではある」


「な、なんでさ?」


「君は本来、人を脅すのは嫌なのではないか? そんな君が女王の影を使って、王と使節を脅す策を私に提案してきた。まさか君はわざと――」


「さあ、帰ろう。仲間を待たせてんだ」


「おい、話は最後まで」


「あんたは捕虜だ。あたしに口答えすんな」


 自分の立場を利用して、セレネは会話を強引に終わらせた。彼の手を掴むと港へ急いだ。自分の本心を探られないために。

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