第五章 乙女の怒りは火の海となる

海賊王の奮闘

 最悪のタイミングだった。


 コーネリアス率いるグラエキア船四〇艘がレス島の北側を航行中に、デメトリオの部隊と鉢合わせた。四〇艘対一艘とイルカたちでは勝負になりそうにない。


「ムカデは一艘だけだ。叩き潰せ!」


 号令を発するコーネリアス。彼はここに来るまでに、当初の目的を達成しており、上機嫌となっていた。


 アケイオス半島の北東部占領。


 元来が民主政国家で多島海を隔てて対立していた同半島の、特に反グラエキア色の強い地域を彼は独力で屈服させ、年賦金ねんぷきんの支払いを取り付けた。これで祖国……ではなく自分の懐がさらに潤うことに小躍りしていたコーネリアスは、新たな敵を見つけると神に感謝した。


「執政官殿。南から敵の援軍です!」


 視点を東から南に転じるコーネリアス。その目に飛び込んできたのは、ムカデの刺繍された黒い帆を掲げた一〇艘の船団。


 アケロンの率いる援軍がミュトゥム側の人々には最高のタイミングで、コーネリアスにとっては最悪のタイミングで姿を現したのだった。



 予期せぬ事態だったが、アケロンは迷わずに吶喊とっかんする。


「敵船団を分断する。日頃の成果を見せるのだ!」


 海賊王の号令に寸分違わず動く、働きアリならぬ働きムカデ。王の指示通りに彼らはグラエキア船団の戦列の隙間を見つけると、逃さずに突っ込んでいった。


「おわっ!」


 グラエキア船の甲板上にいる兵士は驚かされた。海賊船は互いのかいがぶつかるすれすれの距離にまで接近してくると、


「放て!」


 海賊たちの矢が間断かんだんなく飛ばしてきた。その破壊力は鎖帷子くさりかたびらを容易に貫通し致命傷を与え、対するグラエキア兵の放つ矢は明後日の方向に飛ぶばかり。


 揺れる甲板上で矢を放つのは、地上とは勝手が違う。照準を定めにくいのを想定したうえで訓練を積んでいる海賊と、陸の国グラエキア兵の練度は歴然だった。


「私も負けてられん!」


 アケロンも部下の奮闘ぶりに刺激され、右足を支えてもらいながら槍を投擲。彼が放ったそれは敵兵の胴体を貫き、その背後に控える兵の背中から槍先が飛び出る程の威力だった。腰を抜かすグラエキアの兵士たち。


「なんだ、あいつは!」


 わなわなと震えながら、恐怖を滲ませる敵兵の声に、アケロンは答えた。


「イラクリスの海賊王アケロンだ!」


 王の名乗りに海賊は一層勇気づけられ、対するグラエキア兵は怯えるばかりだった。もし、王がそのまま活躍し続ければグラエキア船団は壊滅していたかもしれない。


 コーネリアスの船が王に狙いを定めなければ。



 父が海上で戦っている時、入り江にいたクロエは無力感を味わっていた。


(お父様の助けになりたい。でも、私はここにいることしかできないなんて)


 ルキウスとの戦闘で足を負傷し、自分は戦うこともままならない。しかし、それは父とて同じはず。右足を満足に動かせない父が力を振り絞って敵を追い払おうとしているのに、自分は助太刀できない。


 悔しかった。何らかの形で父を、助けに来てくれた仲間たちに協力できないものか。


(できるぞ)


 兜から自身に話しかけて来る声。それはやはり女王のものだった。


「本当に? どうすればいいの?」


(イルカたちに指示を出しなさい)


「指示?」


(手を結んで、どの船を狙うかを念じるだけでいいから。敵の見える高台に行きなさい)


 クロエは声に従い、入り江の北西にある丘へと走りだそうとするも、


「痛い!」


 左足の激痛に顔を歪ませた。慌てたのはダフニスだ。


「急にどうしたんだい?」


「あそこに連れてって。ダフニス」


「え、ああ」


 クロエは、ダフニスに抱えられて北西にある丘――戦場から一kmと離れていない場所へと運ばれていった。

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