乙女vs巨漢の将軍

 クロエは悲鳴とともに馬上から落下した。


「何が起こったの……」


 落馬の衝撃で足を痛めてしまったクロエ。見ると目の前に、首と後ろ足を射られた自分の馬が絶命している。


 震える体に動かぬ足。そして、彼女に近づく黒く大きな影。


「おい、嬢ちゃん。よくも俺様の兵どもをやりやがったな」


 ルキウスだった。クロエよりも頭二つ分は長身の肥満男が、白肌の戦乙女へと食指を伸ばす。


「来ないで!」


 ズキズキと伝わる痛み。早く逃げないと殺されてしまうと分かっているのに、体は言うことを聞かない。


「つれないな。俺は良い男だぜ? ほら、見ろよ」


 ルキウスは羽根飾り付きの兜を脱いで素顔を晒す。それが父コーネリアスの遺伝子を受け継ぐ禿頭に赤ら顔。ただし、父と違い贅肉がたっぷりと付いている点だけが違った。


(酒臭い……)


 丘に陣取る直前にもルキウスは陣地で酒を飲んでいた。数時間が経った程度では抜けきらなかったようで、彼の吐息を浴びせられたクロエは酒臭さを感じた。


「なあ、嬢ちゃんも兜を外して素顔を見せてくれよ」


「嫌よ!」


「おお、怒った顔も美しいな。気に入ったぜ!」


 ルキウスがクロエの上から覆い被さろうとした。両手を前に出してクロエは抵抗するが、巨漢の腕に手足の自由を封じられてしまう。


「クロエから離れるんだ!」


 その時、ダフニスが大急ぎで駆け付けた。彼はクロエが押し倒され、ルキウスの手にかかりそうになっているのを見ると遮二無二しゃにむに突進する。


「あん、なんだ。小僧!」


 だが、ルキウスはダフニスの馬の前足を掴むと、力任せに空中に投げ出した。


「ダフニス!」


 クロエに目に映ったのは、天高く投げ出されたダフニスの姿。それは間もなく視界から消えて、


ドスンッ!!


と大きな音がした。彼は地上に叩きつけられてしまった。


(ごめんなさい。私のせいで……)


 泣きじゃくるクロエ。もうダフニスは死んでしまったのだ。そう思うと悲しみが一気に押し寄せてきて、涙が止まらなくなった。


「へへ、これで邪魔者はいなくなったな。さあ、可愛いお顔を見せておくれよ」


 ルキウスがクロエの兜を剥ぎ取る。汗にまみれながらも、美しく気品のある顔がそこにはあった。


「綺麗だ! 今まで見てきたどの女も、君には敵わない!」


「私はあなたの女にはなりません!」


「言うね。でも、無駄だぜ。俺様には逆らえん」


 ルキウスは腰の短剣を抜くと、クロエの喉笛に突きつけた。


「どうする? 俺の女になるか。それともここで死ぬか。選べ」


 クロエの両手両足にのしかかり、選ぶよう強いるルキウス。どちらを選ぼうが自由は与えない。巨漢の目が情欲を満たそうと必死だった。


 もう自分はおしまいだとクロエが諦めかけた時。


「ウッッキイー!!」


 南からけたたましい鳴き声がして、武具に身を包んだサルの群れがルキウスに襲い掛かった。彼らは乙女を守る勇敢な騎士のように、敢然かんぜんと巨漢ルキウスを引っ掻いてまわった。


「ぐわあ、いってえ! 何だ、小賢しい!」


 ルキウスがサルたちを追い払おうと、クロエから手を離す。


(今なら!)


 クロエは両手から青白い炎を出し、おぼつかない足取りでルキウスに向かっていく。サルたちに気を取られている瞬間しかチャンスはない、と思った。


「炎だと!」


 魔法を目にして、ルキウスが焦りを見せる。体を焼かれると思った彼は纏わりつくサルどもを全て振り落とし、クロエを無力化しようと走り出す。


「キイー!!」


 だが、一匹だけ全身を傷つけられながらも巨漢に立ち向かうサルがいた。周りの仲間が息絶えた中、彼らの無念を晴らすかのように、そして愛する乙女を守るために勇敢なサルは、


「ウッキャー!!」


と吠えて、ルキウスの左手に噛り付いた。それに続いたのは野太い男の悲鳴。


「てめえ!」


 ルキウスが噛り付くサルを右手で引っ掴み、地面に叩きつけた後に左足で踏みつけた。


 だが、それが命取りとなった。


「うぐっ」


 ルキウスに当てられた手。それはクロエの右手だった。


「さようなら!」


 そう言うとクロエは、ルキウスの喉に青白い炎を噴き出した。


「がっあー!」


 短い悲鳴と同時にルキウスは一瞬のうちに炎に包まれる。彼はもがき続け、クロエも道連れにしようとしたが、


ドッスーン!!


と大きな地響きを立てて、ルキウスは炭となった。


(助かった……)


 力が抜けたクロエ。もう一歩も歩けない。今狙われたら間違いなく死んでいただろう。だが、彼女を攻撃する者は現れなかった。


 戦闘がミュトゥム側の勝利で終わったのだ。それも三〇人の戦死者を出しただけの大勝利で。

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