陸で戦う二人の乙女

 土埃が、槍の突く音が、流れる血しぶきに悲鳴が、ミュトゥムの東に一kmキロメートルと先の平野を戦場に変えた。


「言うことを聞けえ!」


とルキウス将軍がむなしい指示を出し、自軍の混乱を加速させる。


「何も考えるな! 押せ、押せ、押せ!」


 対するミュリナ女王の指示は簡潔で明瞭。眼前の敵を倒せ。それだけだ。


「くそ! おい、騎兵隊に側面を突かせろ!」


 ルキウスは騎兵二〇〇を歩兵隊の後方から前面に出し、ミュリナ歩兵軍の左右両面に移動させようとした。


 女戦士たちは槍を持ち戦っていた上に密集していたから、即座の方向転換が出来ない。彼女たちは正面の兵士には対処できるが、側面攻撃への対応は困難だった。そこをルキウスは突き、戦況を好転させようとした。


「騎兵が動いたな。おい、ダフニス、クロエ。あたいらが阻止するよ!」


 戦場の後方で戦況を見守っていたミュリナが、城内に留めておいた騎兵五〇に出陣を命じる。そこにはダフニスとクロエも含まれた。


「これが戦場……」


 息を呑むクロエ。


 鼻には血の匂い。耳には金属音と断末魔。肌には土埃が付き、胸には悲しみが重くのしかかる。馬に乗る自分の足は小鹿のように震え、拍車をかける力すらえてしまったかのようだ。


 逃げたい。この場からすぐにでも。でも、そんなことはできない。してはいけない。自分は当事者で、今この瞬間も命を懸ける女性たちに背を向けることなど失礼だから。


 ふと、クロエの左手に感じた温かく包まれる感覚。彼女が左手に目をやると、そこにはぎこちない笑顔のダフニスがいた。


「僕も同じだ。でも、僕が君を守るから」


 王子の唇もよく見ればピクピクしており、動揺をのぞかせている。それでも彼女は安心できた。


 この人と一緒なら恐怖は半分に、勇気は倍になった気がする。気のせいでも良い。だって私は今からこの人と……。


「突っ込むよ! 続け。離れるな!」


 ミュリナの号令が戦場にとどろく。馬の蹄が土を蹴り出した。


「クロエさん、僕から離れないで」


「ダフニス王子、私をお守りください。そして、一緒に生きて帰りましょう!」



 正面衝突を続ける歩兵隊。対して、両軍の騎兵隊は運動性の高さを活かした戦闘を展開する。双方が槍に盾で武装し、投槍で馬上の敵を落っことそうと隙を窺った。


 胴体、首、頭部、または馬に槍が刺されば、馬上の人は落馬して死んでいく。だが、例外はあった。


「そうら、あたいの縄にかかりたい奴はかかってきな!」


 ミュリナは槍ではなく縄を振り回し、正確無比なコントロールで兵や馬の首に縄を引っかけて勢いよく引っ張った。哀れにも縄にかかった者は、首の骨を折られるか、地上に体をしたたかに打ち付けた後に別の兵に止めを刺されていく。


 死亡率は一〇〇パーセント。女王の縄にかかれば死が待っていた。


 女王のはしゃぎっぷりを見て、ダフニスが思わず呟いた。


「姉さん、調教の時よりも楽しんでる……」


 弟もおそれさせる勇猛さ。それが女性たちの指導者にして王であるミュリナの真の姿だった。


(いけない。クロエさんを守らないと)


 姉の活躍ぶりに度肝を抜かれたダフニスは注意が散漫になっていると感じ、護衛対象のクロエに目を移す。そして、目にしてしまった。


 ミュリナに負けず劣らず、戦場で得物えものを振り回す乙女の姿を。


 クロエは馬上でミュトゥムの旗を武器にし、力任せに振り回していた。イルカとサルの刺繍がされたそれは、味方を鼓舞するためにミュリナから持たされたもので、本来なら武器たりえないもののはずだった。


「えいっ!」


 だが、クロエは旗を殺傷力のある武器の如く扱っていた。近づく敵兵を旗の先で刺し、振り下ろし、馬の足を薙ぎ払い撃破していく。そこにはお淑やかさなど欠片かけらもなかった。


「クロエさん」


「ダフニス王子、さっき離れないって言ったじゃないですか!」


 そう言いつつ、クロエは迫りくる敵兵の頭に旗を振り下ろす。相手は頭頂部から血を流して力なく地に倒れ伏した。


「そ、そうでしたね」


 ダフニスはかしこまった返事をしたが、同時にクロエの疲労にも気が付く。


 滝のように流れる汗は、彼女がかなりの無理をしている証拠。今の勢いも長くはもたないだろう。それに敵はいまだ多数。いずれ、クロエは力尽きてしまうかもしれない。


「クロエさん、下がって!」


 休息を取らせた方が良い。ダフニスは、クロエを前線から下がらせようとした。


 クロエは彼の指示に従い馬に拍車をかけ、戦線を離脱しようとした。


 と同時に、彼女は馬上から振り落とされてしまった。

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