「ほお。で、これを海底でね」


「そうです。入り江から遠くない場所に船の残骸があったらしいのです」


 ミュリナは兜を受け取り、隅々すみずみまで観察する。その後、ダフニスに手渡した。


「まさか、本当にこんな物があるとはねえ」


「同感だよ、姉さん。でも、すごいな。さび一つない」


 感嘆している二人にクロエはこう勧めた。


「女王陛下。これをあなたが付けて先頭に立ち、私たちを導いてください。そうすれば、士気が上がると思うのです」


「いや、それは出来ない」


 だが、クロエの提案はあっさりと拒絶されてしまう。納得がいかない彼女は食い下がった。


「どうしてですか?」


 すると、ミュリナは兜を被ろうとしてみせた。深く被ることが出来なかった。


 ダフニスも同じだった。


「被れないからだよ。あんたが被りな」


 ミュリナはそう言ってから兜をクロエに被せ、武具室へと向かった。ダフニスも彼女に従う。


「大丈夫かしら。私」


 寂しい思いをするクロエ。心細かったのだ。


 女王の前では意気揚々と戦う気概を見せたが、それは恐怖を隠すための虚勢。戦場で自分の体から鮮血が吹きだし、瞳孔が開くのが怖くて仕方がなかった。


(安心して。私も生きてる時は同じだった)


 クロエの被る兜から声がした。それは彼女の鼓膜に訴えてくる。


(死ぬかも、と思って怖がらない奴はいない。二人も同じ。お前だけじゃない)


 声の言い方は不器用だったが、クロエを勇気づけるには十分だった。


「なら、私も負けない! セレネのようには戦えなくたって!」


 クロエの顔には一点の曇りもなかった。



 翌日、グラエキア・メートー連合軍はメートーから北西の小高い丘に進軍した。高所からミュトゥムの情勢を見定めるためだった。


「見渡す限りの森と土と海! 退屈だなあ」


 丘のいただきに到着早々、ルキウスはつまらなそうだ。彼には都の喧騒しか興味がない。こんな遠征をさっさと終わらせて、お友達――徴兵され、傍に置かれた悪仲間とグラエキアの女たちとで楽しい夜を楽しみたかった。


「将軍殿、ご安心を。素人兵でも女ばかりの国など一日で灰にできましょう」


 議員の一人がコーネリアスの息子にごますり。彼もルキウス同様に早く帰宅して贅沢な暮らしに戻りたいようだ。


「まあ楽勝だろうよ。あとは戦利品を手に入れたら……おい、お前たち。分かってるだろうな。女を一人でも多く生け捕りにするんだぞ。俺の言う通りにすれば、親父はそれに見合った褒章をくださるからな」


 陣営に設置された天幕の椅子に座りつつ、ルキウスはもう勝った後の話をしている。女性を戦利品と呼び、近くに集めた悪仲間と一緒に山分けの方法にうつつを抜かしている彼に、陣頭指揮など期待できなかった。


 仕方がないので、ルキウス抜きで戦闘の作法に詳しい議員たちが別の天幕で卓上に駒を置き、作品立案を行おうとした。


 その時だった。


「イルカが!」


 議員たちの耳に入る叫び声。「イルカ」という単語に一部の者が過敏に反応する。


「イルカがどうしたのだ? ここに来て報告しろ」


 レス島の北側に送り出された斥候が議員の前まで来て、目にした事をつぶさに報告する。


「イルカに人らしき者が乗って、東へ向かうのを見ました」


「なんだと? 見間違いではないな」


「間違いありません。数えきれない程のイルカがグラエキアの方へ」


「そうか、分かった。ご苦労。仕事に戻れ」


 議員が斥候を退しりぞかせる。その場にいた他の議員全員が冷や汗をかいていた。ある懸念がよぎったからだ。


 まさか、ミュトゥムは国を捨ててでもグラエキアに侵攻するつもりか?


 彼らの焦りも的外れとは言えなかった。なにせ、だったのだから。


「斥候の見間違いだろう」


 議員の一人が作り笑いをして、それを誤報と思いたがる。


 一方のルキウスは相変わらず、天幕内でのんびりとワインを飲んでいた。

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