女王の遺産

「姉さん、本当にこんな作戦を?」


「もちろんだ」


 使節の来訪後にミュリナは即座に方針を固めた。彼女は戦えない非戦闘員にこのような布告を出した。


「西端の入り江にある洞窟に集合。隠し船に最低限の荷物を持って乗り、合図があるまでそこからの移動を禁ずる」


 これは妥協の末に出されたものだった。


 彼我ひがの戦力差を考えれば、ミュトゥムは長期戦に耐えられない。もって数日だろう。ならば、上陸してくるだろうグラエキア・メートー連合軍に一撃を加えた後、西端の隠匿いんとくされた入り江から脱出した方が最善と考えたのだ。


「でも、奴等がこんな見掛け倒しにかかるかな?」


「それでもやるしかないんだよ。敵を分散させるにはさ」


 ミュリナ女王は、どうにかして脱出が行えるように手を打っていた。そのためならあらゆる手段を講じた。それが傍目には滑稽こっけいと嘲笑されようとも。


 女王と弟が打ち合わせを進めていると、ゆっくりと扉が開く音と共に一人の女性が応接間に入って来た。


「誰だ? そなたは」


 ミュリナ女王はその女性がクロエだとすぐには分からなかった。


 クロエは不思議な造型の兜――イルカの顔と背びれが青銅で象られ、頬の部分は胸びれの意匠が施された代物――を被って現れたために、顔を確認できなかったのだ。


「女王陛下。私はもう覚悟を決めました」


 クロエは決意を伝えに来た。彼女はデメトリオに指示し、敵を海上から攪乱かくらんすること、そして乗組員には西端の入り江に向かわせ、住民の収容に務めさせていることを告げると、


「私は海では戦えないので、陛下と共に陸で戦います」


 そう言って頭を下げてから、クロエは自分が被ってきた兜を外し、うやうやしく女王に差し出す。


「これはどこで見つけた? 確かこれは」


、だそうです。デメトリオが見つけてくれました」


 クロエは兜を発見した経緯を語った。



 少し前のこと。デメトリオと共に入り江に入ると、彼女の耳にある声が届いた。


(お前を助けてやろう)


「誰ですか?」


「どうしたんすか? クロエ様」


 デメトリオには聞こえぬ声。クロエはこの時、妹セレネと同じ感覚になっていたらしい。彼女は妹が時折見せる「見えぬ者との会話」を見かけていたから、もしかしたらそれが自分にも起こったのかと思った。


「あなたは何の目的で、私に話しかけているの?」


女子おなごを救いたいだけ。お前も気持ちは同じはず。手を貸して)


 私に尽くしてくれた? それはおそらく……。


 クロエは隣にいたデメトリオに尋ねた。


「ねえ、デメトリオ。聞いてもいい?」


「どうぞ。クロエ様。でも、どうしたんすか? 急に真面目な顔をなすって」


「いいから。確かあなたはテイテュス女王の逸話については詳しかったわよね」


「ええ」


「なら詳しく教えて。女王はどんな最期を迎えたの?」


 クロエ自身にも不謹慎な質問だと思った。祖先の死に様を教えろと促しているのだから。


 デメトリオは頭の引き出しから、該当する箇所を抜き出して答えた。


「今いる入り江で、裏切った漕ぎ手の代わりにイルカを使役することを思いついて……確かその背に女たちを乗せて、グラエキアに攻め入るつもりだった。そいで、その後は『女王は特注の船に乗り込み出航したが、沖合に出る直前に船ごと姿を消した』だったすかね」


「それ、どういう意味か分かる?」


「出航直後に起こったことなら多分……、船に穴が開いて沈んだんじゃねえかと思いやす。昔の船はって陛下から聞きやしたから」


 船に詳しくないクロエでもフナクイムシは知っている。木材を喰らう虫で対策しないと危険だと、妹セレネが教えてくれたことがあったから。


 となると、女王の船は今もこの近くに……?


「ねえ、デメトリオ。あなた、深くまで潜れるわよね」


「ええ、姉御よりもずっと深く潜れやす。それがあっしの自慢っすから」


「なら、お願い。入り江の近くの海を潜って探してくれないかしら?」


「何を?」


「女王の沈没船よ!」


 デメトリオはぽかんと口を開けた。これから戦闘が始まりそうなのに、トレジャーハンターよろしく沈没船探しを命じられるとは思ってもみなかったからだ。


「冗談よしてくだせえ」


「本気よ、私は。いいから調べて」


 クロエが強引に話を進めようとするので、デメトリオも折れるしかなかった。


(急に姉御みたいになっちまって)


 内心でちょこっと不満を感じつつも、デメトリオはすぐに朗らかな顔をした。クロエはセレネの姉。いい意味で似た者同士だと思えたのだ。

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