海賊王の出陣

 クロエのともした光は南に伝達され、またたく間にイラクリスへ届けられた。


 また、島民の中にはグラエキアの動向を知る者もいた。議員と裏で交易する商人――「穢れた人々」が持ち寄る海の幸を、珍味として口にしたい者がいたらしい――が共和国の慌ただしさを島民に伝えたからだ。


 様々な噂がイラクリスに届いた。獲物探しのためにアケロン王は間諜を島々に送り込んでおり、その網に引っかかった。その内の一人がミュトゥムの灯台点火の前に、


「グラエキアで動員令が出されたとのこと。どこかを攻めるつもりだ」


と連絡。アケロン王はドレッドヘアをいじりつつ、


「いつでも船を出せる準備をしておくように伝えろ」


と執事に指示した。「かしこまりました」と言って、彼はその場を去る。一人になるとアケロンは嘆息した。


(セレネもデメトリオも不在。指揮を執れる二人がおらん以上、私が船団を率いて――いや、それは無理だな)


 満足に動かせない右足をさするアケロン。王の自分が島を空けて船団を指揮する。言うのは容易いが、揺れる船上での指揮はそう簡単にはいかないことは分かっていたし、イアソンを置いての出発も躊躇われた。


「陛下、大変です!」


 王が黙考している時に触れ役が、例の情報を伝えに来た。


 青白い炎のともしび。間違いなく娘の出したものとアケロンにはすぐに分かった。


「何かを知らせようと――」


「クロエ、待っていろ。今すぐに助けに行くからな!」


 突然吠える王に触れ役は度肝を抜かれた。てっきり冷静に考えた後で答えるだろうと思っていたからだ。


「陛下、まだ詳細は伝わっておりません。姫様が心配なのは分かり――」


「うるさい! 私が船団を率いていく!」


 そばに執事はおらず、デメトリオも遥か遠くにいる。ブレーキ役が存在しない今、王を止められる者はいなかった。



 アケロン王は触れ役に右側を支えてもらいながら、イラクリスの港に姿を現した。驚く海賊たち。王が港に顔を出したのは3年前。つまり、足を負傷して以来アケロンはそこに足を踏み入れていなかった。


 そのアケロンが迷いのない顔でやってきたのだ。それも王専用の小札鎧こざねよろいにサーベル、さらにはムカデをかたどった飾りの施された兜も装着して。誰が見ても臨戦態勢と分かるよそおいだ。


「陛下、何をお考えで?」


「見れば分かるだろう。これからクロエを救いに行く。出航の準備はできているな?」


 アケロン王は国王命令で船団の出港を指示。だが、海賊たちは王の出陣を認めない。


「無茶です。その足で戦えるのですか」


「出来る、出来ないの話ではない! 行かねばならんのだ」


 答えになっていない。王は娘を心配する余りに無理をしてでも港から出るつもりでいたから、正論は通じなかった。


(ああ、クロエよ。今頃お前は酷い目に遭っておらんよな。メートーの男共は悪辣あくらつもっぱらの噂だから、まさか奴らの毒牙にかかってなど……)


 アケロンの心配は膨らむばかり。まさか、男共に衣服を剥ぎ取られ、いたぶられ……。娘がはずかしめを受けているかもしれないと思うと、彼は王としてではなく父として、すぐに現場に行きたかった。


「陛下、ですから――」


「うるさい! 行くったら行く!」


 アケロンは触れ役に介助をしてもらいながら、そのまま王専用の快速船に乗り込んでしまった。彼は船に備えられた特注の詰所つめしょの椅子に腰かけた後、


「住民に知らせろ。『王が出航する』とな」


と触れ役に伝言を頼んだ。


「陛下」


 触れ役が去るのと同時に、執事が事の次第を聞き知り、王の元に走ってやって来た。


「私は決断した。お前が何を言おうが無駄だ」


 執事は呆れるほどの王の過保護っぷりを見て来ただけに、もはや彼を止めるのは無理と考えた。自分の言葉はやかましいの羽音にしか思われないだろう。なら、どう答えればよいか。


 王の近くにはべる身の執事に、それが分からないはずがなかった。


「陛下、無茶はなさらないでください。陛下がセレネ様やクロエ様を心配なさるのと同じくらい、王宮で働く私や召使い、イラクリスの人々も陛下を気遣っているのですから。どうかそれだけはお忘れなく」


 執事の言葉に、アケロンは自身満々に返した。


「当たり前だ。私は王。人を導かねばならない立場の人間だ。無茶は控えるよ」


 こうして、アケロン王は十


(待っていろ、クロエ。私が命に代えてもお前を守ってみせるからな)

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