抜き差しならぬ事態

「姉さん、ところで」


 ダフニスが姉ミュリナの言葉を継ぐ。その表情は先ほどクロエに見せたのとは違い、いささかの緊張を伴ったものだった。


「クロエさんと会えたのは嬉しいけど、今は婚姻の儀を挙げてる場合じゃない気がするんだ」


 デメトリオは王子の発言からここに来るまでのことを思い返して、ミュリナに話しかけた。


「メートーがちょっかいを出してるんすか?」


「そうさ。あんたらも、ここに来るときに何かされなかったか?」


「男共のイルカ狩りを目撃して、その後にちょいと問答が。あいつら、何考えてやがるんだか」


「戦争したいのさ」


 ミュリナが眉をしかめて言った。


「あいつら、大義名分を欲しがってるんだ。自分たちの行いは正しいって言い訳をさ」


 イルカはミュトゥムの聖獣。それを殺害するなど冒涜ぼうとくだ。ミュリナは内心でいきどおったが、かといって挑発に乗るわけにもいかなかった。代わりにリンゴをかじって誤魔化そうとした。果実が砕かれる音が室内に響いた。


「あいつら、ミュトゥムの女を戦利品にしたいらしい。下衆げすやからさ。でも、うちらは戦わない」


「どうしてっすか?」


 デメトリオが追及する。ミュリナに何度か謁見している彼にしてみれば、挑発を無視するのは大変な苦痛のはず。なにせ彼女は「テイテュス女王の血を引く家系」なのだから。


 だが、サルの調教に躊躇ちゅうちょしない彼女がメートーの男共をらしめようと思わないのにはそれなりの理由があった。


「少し前にグラエキアの使節が来て、訳分からないことを言ってきやがったんだ。『。執政官殿がそれを受け取れば、貴国への攻撃を取りやめなさる』って」


 デメトリオは「あれだな」と心中で答え合わせをする。だが、困ったことにその持ち主はここにいない。強奪の依頼主が住む国へ向かう最中だろうから。彼があごに手を当てていると、


「心当たりがあるのか?」


 ミュリナ女王に問われたデメトリオは取り繕う暇もなかった。こうなれば隠さずに打ち明けた方が良いだろうと思い、正直に答える。


「その指輪なら、今は姉御の首かもしくは別の男の首にかかってるっす」


「姉御? じゃじゃ馬のセレネか」


「ええ、陛下に似た――」


 デメトリオはそこまで言ってから「まずい」と思ったが手遅れだった。ミュリナは右手に持つ鞭を地面に打ちつけて不満顔をしている。


「まあ、この難事が収まったらこいつの尻をぶつことにして」


 ミュリナは彼への罰を後回しにして、グラエキアへの対策を講じようとした。


「姉さん。間諜かんちょうの情報だとグラエキアとメートーが裏で密約を交わしているらしいけど」


「おい、どうしてそれをすぐに言わない!」


 ミュリナは弟が報告を怠ったと思い、問い詰めた。


「ね、姉さんはさっきまでサルの調教に熱中してたじゃないか。声をかけたら、僕をぶつでしょう?」


 弟になじられたミュリナは鳴らない口笛を鳴らしてみせた。それをジト目で見つめる人々とサルたち。


「ああ、もういい! それでだな――」


 女王がその場を仕切ろうとした矢先、王宮で数少ない女性の召使いが謁見の間に現れた。


「女王陛下。グラエキアの使節がまた」


「事前通告もなしに……で、なんだって?」


「回答を願いたいと」


「通しな」


 召使いに命じつつ、ミュリナは海賊たちとクロエに奥の小部屋に下がるよう目配せをしておいた。

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