女性の国

 ミュトゥムはイアソンが「輪っか」と形容した場所の北側にある。市内には二千人が住み、海の幸に恵まれた港湾都市だ。


「良い香りね」


 船を降りたクロエは、港内の食料市場から溢れてくる香りに思わず食欲をそそられる。それに続くように腹が鳴った。


「何か買ってきやすか?」


 頬を紅潮こうちょうさせたクロエは「お願い」と小さく呟き、デメトリオに買い物を命じた。彼は仲間数人と露店街へ入っていく。


(ええっと……私も旦那様に会う前に準備しないと)


 もうすぐ自分は妻になる。船酔いでやつれたクロエはこのままでの顔合わせはマズいと考えて、香水の匂いを漂わせている店に入った。


「すみません。少しよろしいですか?」


と店主に挨拶あいさつ。クロエに声をかけられた店主は青いマントの下に白チュニック、長ズボン姿でうつむき、敷物の上に座り込んだままだ。返事がない。


「あの、すみません」


 クロエが不審に思い再び声をかける。すると、


「ウッキー!!」


と店主は返事をした。彼(彼女?)は顔を上げ、クロエをまじまじと見つめてきた。まばたきもせず、ただ一心に海賊の姫を見つめる。


「あら?」


「あ、ごめんなさいね。うちの子が迷惑かけませんでした?」


 慌てて姿を見せたのは香水店の「本当の店主」だ。ということは、先ほどクロエが挨拶したのは……。


 サルだった。うつむいていたからクロエには判別がつかなかったのだ。


「いえ、何も。お利口さんでしたよ」


「なら良かったわ。お手洗いに行きたかったから、あの子に店番をさせたんです。ご無礼をお許しください」


「お気になさらず。故郷でこの国の風習は学んできてますから」



 ミュトゥムにはこんな格言がある。


「サルは忠実で、人間の男よりも賢く従順だ。サルは裏切らない。だが、人間の男は金で裏切り、女を簡単に見捨てる。もし、神々がサルを夫に迎えることをお許しなさったならば、この国に残された女たちは夫選びに困らなかったのに」


 中々に物騒だが、この国の成立を知れば合点がいく。


 ミュトゥムを建国したのはテイテュスで、彼女は同地に流されるとすぐに原住民と協力し、祖国への復讐を画策するもグラエキアにバレてしまう。テイテュスに仕えていた男が、金銭に目がくらみ彼女を売ったのだ。


 それから間もなく祖国から船隊が上陸し、ミュトゥムはあっさりと陥落。テイテュスはさらに遠くのナクサス島へ島流しとなった。


 だが、テイテュスは諦めない。彼女はナクサス島にある僅かな居住可能地域を開拓し、イラクリスを建国する。それに留まらず、彼女と同じように流刑とされた人々を煽り立て、戦争へと駆り立てていったのだ。


 その最中に、テイテュスはある有能な男を見出した。船作りの技能を持った解放奴隷だった。


「ガレー船は無理ですが、小型の快速船ならどうにか。幸いこの島にはかしもみ、松の木が手つかずで残されてるみたいなので」


 テイテュスは富の獲得と海の支配、そして祖国への復讐を同時に果たせる重要な人材を手に入れた。そこで彼女は男に命じた。


「快速船を造れ。木材はあるだけ使ってよい。これはだ」


 これから数十年の歳月が流れ、テイテュス女王は一世一代の大勝負に出た。


 自らを捨てた祖国への侵攻を企てたのだ。


 計画はレス島の捨てられた国ミュトゥムに辿たどり着くまでは順調だった。数十艘のムカデの帆を掲げる黒船の集団。獰猛どうもうな害虫を思わせる船団に、えてちょっかいを出そうとする国はなかった。彼らの噂は世界にあまねく広まっていたからだ。


 しかし、計画はまたもや破綻した。


 女王に付き従っていた男共――それも船の漕ぎ手が裏切ったのだ。グラエキアで発行されていた銀貨に目を奪われて。


 漕ぎ手は簡単にまかなえない。戦力の大半が失われた状況だったが、それでも女王は侵攻を押し進め、その道中で彼女は姿を消したという。


 女王の死没地点は伝わっていない。

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