ひと悶着

 レス島の西部に位置する国ミュトゥム。


「テイテュスに味方し続けた、多島海で唯一の国」


 それがミュトゥムに付けられた蔑称べっしょう。そのいわく付きの島に舳先へさきを向けて進む船団があった。


「クロエ様。下船の準備をお願いしやす」


 デメトリオが、船の後方にある天幕にいるクロエに連絡した。ここまでに何度も船酔いをし、寄港を余儀なくされた彼女は元気を取り戻した。顔も心無しか明るくなる。


「分かりました」


 クロエを乗せた船団はイラクリス出航から十日を経て、遂に目的地のミュトゥムまでやってきた。澄み切った空に照り付ける太陽、そして、


「わっ、すごい!」


 船のすぐ近くを飛び跳ねるイルカの群れがクロエを暖かく出迎えてくれた。彼らは船の周りを跳ねて、海のならず者たちをなごませる。


「イラクリスじゃ、こいつらには会えないっすからね。クロエ様、見ておくなら今のうちっすよ」


「じゃ、お言葉に甘えて」


 クロエが自分に近寄ってくる一頭のイルカに手を差し伸べると、イルカは彼女の手に自らのヒレをペタンと置いた。握手のつもりだろう。これにはクロエも破顔はがんする。


「可愛い」


「あっしもそう思うっす。しかも、こいつはそこいらの生き物より賢いらしいっすよ」


「本当? じゃあ、あなたと知恵比べをさせようかしら」


「クロエ様……冗談きついっすよ」


「あら、この子たちに負けるのが怖い?」


「いやそういう意味じゃ」


 デメトリオを揶揄からかえるぐらいに、クロエは回復したようだった。それを見て安堵あんどするデメトリオ。しかし、


(うん?)


 海上で行われた行為にまゆをひそめた。現場から流れて来る血が凄惨さを物語る。流れてきたのは力尽きたイルカの死骸。


「ひどい」


 目を背けるクロエ。デメトリオが仲間と協力して、イルカの死骸を彼女の視界から遠ざけてやった。


「どうして、こんなことを?」


「まったくっす」


 ミュトゥムではイルカが神聖視され、殺すことは大罪とされていた。クロエも嫁ぎ先の文化を予習済みだったから、このような行いをミュトゥム人がする訳がないと考えた。


 では、どこの誰がこんなことを?


「おーい。そいつを取ってくれ」


 東からイラクリスの船団に近づいてきたのは、彼らの船よりもずっと貧相な漁船。それに乗る男数人が叫んでいた。


「なあ、早くイルカをこっちに」


「あ、あなた方は」


「クロエ様、相手にしない方がいいっす」


 人のいクロエが彼らに応対するのを、デメトリオが制する。手で彼女を後ろにやると、


「下がるっす。なんだってこんなこと――」


「なんだあ? いけすかねえ奴だなあ」


 漁船の乗組員の中で特に大柄な男がデメトリオに噛みついた。


「俺の女に手を出すなってかあ? すっこんでろ、優男!」


「おい、あまりうっせえとあっしにも考えがあるっすよ」


「ほお、どうすんだあ?」


 大男はデメトリオへのあざけりをやめない。


「よお、姫様。俺っちと結婚しない?」


 次に、大男の隣にいるやせっぽちの男がクロエに話しかける。無視をするクロエ。彼に背を向けて知らんぷりを決め込む。


「なんだあ、つれねえなあ」


 大男は恐れることなく、漁船をクロエの船に寄せていく。距離はざっと五〇メートル程になる。


「おい、あれを」


「デメトリオさん、何をなさるんで?」


「いいから寄越せっす!」


 デメトリオは仲間に命じて、弓を持ってこさせた。


「無駄無駄、そんなもん当たるわけねえ」


 大男は尚もデメトリオを揶揄からかう。彼は漁で使う三又みつまたもりを掲げると、


「これに当ててみろってんだ!」


と挑発。すると、


バキンッ!!


という音とともにもりの持ち手部分、それも大男が掴む箇所のすぐ上を矢が射抜いた。大男は開いた口が塞がらない。


「これは殺されたイルカへの弔いっす! おとといきやがれっす!」


 漁船は離れてていき、大男はデメトリオを睨みつけることしかできなかった。

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