真相を求めて

「なんだよ」


 セレネは急遽きゅうきょ顔を出したパウルスを直視しなかった。いや、できなかった。ふとしたことで彼を殺めてしまうのではないかと恐れたからだ。


「話がしたくて。少しいいかい」


「どうぞ」


 セレネがぷいっと顔をそむけて許可した。パウルスが、セレネの隣に腰を降ろす。


 間隔を開けたかったのか、それとも心の距離を示したかったのか。セレネが彼から距離を取ろうとして体を動かした。それを無言で見つめるパウルス。事情を知らない人が目にすれば、喧嘩したばかりの父子に見えたろう。


「君は自分を責めているのか」


「当たり前だろ。あんたは人を殺して、何とも思わないのかよ」


「思わない――と言ったら嘘になる」


 そう言うとパウルスは、セレネを気遣うように言葉を繋げて自身を責めないように促した。戦場に慣れている彼なら気にも留めないことでも、一八歳の少女には割り切れない。それを念頭に置いて彼は語る。


「私は君を恨んでもいないし、恐れてもいない。だから、私の話すことに答えてほしい。どうかね?」


「恨んでないってことは信じてやってもいいよ。でも、怖がってないなんて嘘だ」


 セレネは心を開かない。変化の力がある以上、自分は普通の人間ではない。どうせ隣の男も同じ気持ちだろう。そうに決まってる……。


 そんな彼女に回される手。引き寄せられる体。肌に感じる温もり。パウルスはにこやかに言った。


「私は君を、どこにでもいる普通の女の子だと思っているよ」


 セレネには意外な行動に思えた。グラエキアを含め、イラクリスの住民に触れるとけがれるとの言説が流れていることを彼女は知っていたからだ。


 だというのに、目の前の男は迷うことなく自分を暖かく抱き寄せてくれた。


 それは建前でしかなかったのかもしれない。しかし、


「ありがとう……嘘でも嬉しいよ」


 セレネは人生で初めて、よそ者から「普通の人」として扱ってもらえたのだ。それを生涯忘れることはなかった。



 陽は沈み、夕闇が迫る。ポルス港の浜辺では宴が催され、香ばしい匂いが辺りを包んでいた。焼かれているのはタコの足。串に刺されたそれが磯の香りを漂わせる。


「これが海賊の料理なのか?」


「違うよ、おじさん。あたしの得意料理さ」


 パウルスをおじさん呼ばわりしながら、セレネは焼け具合を丹念に確認する。それを不審な目で見るのは、捕虜の兵士と議員たち。


「海の生き物を食すのか」


「汚らわしい」


 共和国のエリートたちは露骨に不快感を示したが、パウルスはセレネからそれを受け取ると、躊躇ちゅうちょせずに嚙みちぎった。彼は顔をほころばせて、


「美味い!」


と感想を述べた。執政官がそうのなら、と腹をすかせた兵士と議員たち――ラコニキアの飯は不味くて食えたものではなかったから、彼らは空腹だった――も串に刺さったタコ足を手に取り食べてみる。


「塩が効いてて美味だな」


「思ってたよりは食える」


 セレネは「だろ?」といった感じで誇らしげだ。自分の料理が高評価をもらえて、女性らしいところを見せられてよかったと思ったのだろう。


「なあ、君?」


「何だい、お偉いさん?」


 ある議員がセレネにこんなことを尋ねた。


「僕たちは捕虜なんだぞ。どうして、こんな風にもてなすんだ?」


「どうして? それは――」


 セレネは、パウルスに目をやってからこう答えた。


「あんたのとこの一番お偉いさんが、とても良い人だからさ。あたしを普通だって言ってくれた。あと――あたしのせいで死んじゃう人をもう増やしたくないから」


 彼らがろくに飯を取っていないことを、セレネはどうにかしたいと思っていたようだ。それでこのようなことを考えたらしい。


 潮が満ちていた。セレネも大粒の涙をこぼした。


 もらい泣きをする宴の参加者たち。皆が純朴なセレネの思いに感化されていた。


「今日はお嬢さんの好意を無駄にしないよう、皆で騒ごうじゃないか!」


 パウルスが湿った雰囲気を吹き飛ばし、宴が本格的に進行していく運びとなった。

 海賊がリュートを弾きセレネが躍り、それにグラエキア人が音頭をとる。それが終わると今度はグラエキア人の番となり、本国で歌われる物語をパウルスが韻を踏みつつ語っていく。


(あ、これか。あの時に言ってたの)


 セレナは宴が催される前、仮住まいでパウルスが語ってくれたことを思い出した。


 君の持つ指輪はいわくつきの物だ。


 指輪を求める知人がいて、商船を夜に航行させてまで欲しがっていたことまでは分かっている。


 だけど、なぜそこまでして指輪を求めるのか。それを突き止めたかった。


 パウルスがセレネに伝えたのは以上の三点。そして今、パウルスが語っているのは、その指輪にまつわるもの。


「ルビーの指輪。それを創りしはヘルメイアス。我らが人の創造者。嵌めた者に大いなる力が与えられん」


 まさか、指輪を嵌めた者に大いなる力が授けられるとは、その場に居合わせた誰もが真実とは思っていなかった。


 指輪を嵌めたセレネが強大な力を見せるまでは。


 そして、パウルスには新たな疑問が生じた。


 どうして、指輪の発見者はそれを自分の所有物にしなかったのだと。


「カタナーの王は何かを知っているはずだ」


 そこでパウルスはセレネに持ち掛けたのだ。


「私と共にカタナーに来てほしい。君を苦しめる原因を突き止められるかもしれない」


 パウルスはセレネが苦しむのを見過ごせないでいた。そこで指輪について手掛かりがあれば、彼女を救う方法が探れるかもしれないと考えた。事実、海戦を経てセレネはより指輪に依存する素振りを見せていた。


 それを苦い気持ちで見守る男がいた。アレクサンドロスだ。


「あなたがセレネさんを助けてくれるなら、俺も協力します」


 彼はパウルスを信用したわけではないが、このままではセレネが壊れかねない。仕方なくパウルスの申し出に賛同したのだった。



 セレネを取り巻く情勢は大きな変転を遂げていた。指輪に関する真相が明らかをなる日は近い。


 一方で、レス島に向かうクロエ一行にも戦争の足音が近づきつつあった。

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