決着

 白の陽光に赤と青の光が混ぜ合わされる。そこに人の悲鳴が加わり、かしや松の木がチリチリと調べを奏でた。

 

 地獄だった。他に例えようがない。


「もう止めろ!」


 パウルスだけが惨害さんがいを小さくしようと、必死に少女に呼び掛ける。


「やれるもんならやってみろ!」


 セレネは彼の忠告を無視。ムカデの少女は二重の声――本人のものと既に死んだ女のものとなり、同時に手を振るうと青白い衝撃波がパウルスへと向かう。それを避ける間もなく、彼女の手が老将の胴を狙ってくる。


「冷静になれ! 君自身も死にたいのか!」


「私は死なない!」


 少女の心はセレネの支配下になかった。今、支配しているのはテイテュス女王の怨念。自らに二度の追放を決め、しいたげられた者と共に祖国への報復を決意し、その後は……。


! お前ら全員を海底に沈めつくすまで!」


 何を言っているのだろうか。


 聞く者全てがセレネから発せられる言葉を理解できなかった。分かるのは女王本人だけ。体を乗っ取られつつあるセレネにも、真相はさっぱりだった。


「ぐあっ!」


 セレネが一直線に飛ばす衝撃波がパウルスの剣を粉々にし、彼女の攻撃をもろに食らった彼が船首へと吹き飛ばされる。叩きつけられた痛みで体が思うように動かせない。


「終わりだ!」


 少女はパウルスに止めを刺そう、ムカデの右手で彼の喉に向ける。老将の死はすぐそこだ。そう思われた。しかし、


「やめろ!」


 セレネが自分自身に制止を命じた。彼女は人の左手でムカデの右手を押さえつける。パウルスを傷つけないために。


(邪魔をするな! 殺させろ!)


「もう十分だろ。相手は武器を持っていないんだぞ」


依代よりしろが口答えをするな!)


 女王の遺志がセレネを再び乗っ取る。少女の皮膚にはムカデがうごめき、それは素肌をさらす全ての部位をカサカサと動いた。白い乙女の肌に映る黒い害虫。


「ムカデの女王か……」


 パウルスがぽつりと呟いた。


 共和国に伝わる「海賊女王」の逸話。そんなものを彼は深く信じているわけではなかった。しかし、その記述に違わぬ光景がまなこに映じている。


 もはや疑いようがなかった。


「命乞いはしない。ひと思いにやれ。だが、これ以上の蛮行はやめると約束しろ」


「紫マントの男よ。私の恨みはお前の首だけでは晴らせないのだよ」

 

 セレネの口調ではない。女王の遺志だった。


「では、さよならだ」


 淡々とパウルス殺害を実行しようとするセレネもとい女王。毒牙が喉仏を刺そうと近づく。その時。


「やめてください! セレネさん!」


 セレネを背後から羽交い締めにしたのはアレクサンドロスだった。彼は恐怖におののく仲間たちとは違い、彼女を救うために命がけで動いたのだ。


 女王の幻影を見せるセレネは不意を突かれるも、すぐに邪魔者を除けようとする。


「誰だ、お前は!」


「アレクサンドロスです! 忘れたんですか」


「……」


 セレネには珍しい沈黙。それは思考の瞬間的な停止を意味した。本人の記憶と女王の遺志がぶつかり合った結果だった。


 それをアレクサンドロスは見逃さない。彼はセレネの左手薬指を掴むと、


「こんな物!」


 力づくで抜き取ってしまった。間を置かずに起こったのは幻影の消失。その後にセレネががくりと膝をつく。


「なあ、アレクサンドロス。あたし、いったい……」


「これは俺が預かります。今は脱出を!」


 説明している暇などなかった。パウルスの旗艦は大炎上しており、沈没までの猶予は僅かだったから。セレネを背負いながら、無事な船を目指して動き出すアレクサンドロス。


「おい、待て」


「なんですか。あなたは敵でしょう」


 パウルスを睨みつけるアレクサンドロス。瞳の奥にあるのは、好意を持った女性を傷つけられた怒りだった。


「手伝う。ほら、急げ」


 意外にも、パウルスは自分とセレネを助けようとしてきた。無碍むげにはできない申し出。アレクサンドロスは彼の顔も見ずに、


「じゃあ、そうしてくれ」


と言った。事実、セレネを担いでの移動は厳しく、火の海に飲まれそうだった。手を貸してくれるのはありがたかったのだ。


(どうして、俺たちにこの人は優しいんだよ)



 こうして海戦は終結した。グラエキア海軍は三〇艘中一五艘が沈没、五艘が損傷ひどく航行不能で放棄された。対するイラクリス海賊は船の損失はなかったが、敵船に乗り移っての白兵戦で少数の死傷者を出した。数字だけ見れば、海賊側の圧勝だった。


 だが、そんなことよりも深刻な事態が海賊団に生じた。


 セレネが不本意にも大勢の人を死に追いやってしまったのだ。指輪が助長させた力の暴走によって。

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