全ては彼女の思うがまま

「敵が退いていくぞ!」


「追え!」


 グラエキアの軍船は各々が勝手に動き出していた。パウルスが総指揮官にも関わらず。


「どうして、私の指示に従わないのだ?」


「船長たちが功を焦っているのかと――」


 パウルスはコーネリアスからの提案に異議を唱えるべきだったと後悔した。


 コーネリアスは出航前に議員から船長を選出する際、


「お互いの派閥から半分ずつ選ぼうじゃないか」


と提案してきたのだ。パウルスは彼の支持者など自軍に加えたくはなかったから、それをやんわりと否定したのだが、


「ならば、お前の軍に漕ぎ手を提供する者がいなくなるぞ。一艘で行くつもりか?」


と今度は脅してきた。これにはパウルスも困り果てた。


 グラエキア海軍の漕ぎ手は主として議員所有の奴隷から構成されていた。彼らの提供がないと海軍は風任せに進む船団に成り下がり、風向きが不安定な海上で思うように動けなくなる。これでは敵襲に対処できるはずもない。


 議会はコーネリアス派が多数であり、コーネリアスの機嫌を損ねればパウルスとて無事では済まされない。彼はパウルスに漕ぎ手の提供を材料として、自身への服従を強いたのだ。


 ちなみにパウルス本人は議員にしては珍しく一人の奴隷も所有していない。家事労働等の面倒くさいことは、全て奴隷に押し付けるのが常のグラエキア共和国において、彼はそれらを妻や子供たちと分担して行う人格者だった。


(コーネリアス……まさか、初めからこれを狙っていたわけではなかろうな)


 パウルスは心中で彼への侮蔑と自身の無力を呪いつつも、どうにかして船団の制御を試みた。



「セレネさんが動くのを待つんだ!」


 船団指揮権を委ねられたアレクサンドロスが、麾下きかの船に盾で合図を出す。その盾はラコニキアで製造された一品で、彼はセレネに言われるままにそれを左腕に担いでいた。敏捷性びんしょうせいを重視する海賊には重すぎる装備だが、


「それがないと困るから、文句を言わずに付けろ」


とだけセレネに伝えられた。対してアレクサンドロスは、


「分かりました。セレネさんが言うことなら喜んで」


と二つ返事で承諾。三年も海で戦ってきたセレネの意見に、彼は何か策があるのだろうと考えた。


「うおっ、目が!」


 乗組員たちが目を守る姿勢をとる。南からの砂嵐が強くなったのだ。そのせいで、彼らの視界は大きく制限されてしまう。


 と、その時。輝く輪っかのような物がアレクサンドロスの目に映った。それは岬のあった場所から一直線に降下していった。


(あれは、セレネさんの指輪?)


 アレクサンドロスは思いだした。セレネが肌身離さず、首から指輪を下げていたことを。そして、その彼女は岬の上にいることを。合点がいった彼は間髪入れずに号令した。


「後退やめ、前進だ!」


 彼の指示は即ちセレネの指示。海賊船団は一糸乱れず櫂を漕ぎ、今度は敵目掛けて突き進んだ。視界の悪い中で僚船が目印にしたのは、アレクサンドロスの持つ盾だった。


 砂嵐の中で、彼の盾は陽光を浴びてきらめいていたのだ。もし手信号だったら、円滑な動きが出来なかったかもしれない。


 そこまで考えて、セレネはアレクサンドロスに盾を持たせていた。しかし、彼にはそんなことを考えている余裕はなかった。


 海流が前進を後押しして、敵への接近があっという間だったからだ。

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