流れを読む

 グラエキア海軍は針路を南西に執り、「女王の海域」へと進入する直前だった。


「気を付けろ。何が起こるか分からんからな」


 そう話したのは執政官パウルス。彼は同僚執政官コーネリアスと軍を二分して、現在はナクサス島の西にあるトリタナス島の国カタナーへと進む道中だった。


 議会で消極的な態度を見せたことからも分かるように、パウルスはこの大軍派遣にも乗り気ではなかった。それでも執政官の職務上は行かざるを得ない。彼には外交権が付与されていたからだ。


「カタナーと連携して、挟み撃ちでイラクリスを攻めること」


 元老院で定められた決議は以上の通り。単独でイラクリスを攻めないのは、やはり「女王」へのアレルギーがそうさせたのだろう。絶対に勝てる状況で攻めなければこちらが壊滅する、と共和国のエリートたちは考えたのかもしれない。


「執政官殿。部下が怯えております。『あそこには入りたくない。帰りたい』と」


 パウルスに乗組員の現状について報告したのは、同乗した元老院議員。彼らには議会で駄弁をろうするだけでなく、遠征軍派遣の際に指揮を執る義務も課せられていたのだ。


「こう伝えろ。『今は昼で見通しが良く、海賊の隠れ場所もない。夜ではないのだから恐れることはない』と」


「かしこまりました」


 議員が下がり、甲板下の漕ぎ座の男共にパウルスの言葉を伝える。時折乾いた音が甲板上のパウルスの耳に入った。鞭の音だった。


(奴隷が漕ぐ船と、海に生きる海賊……勝負にならんぞ)


 魔の海域に差し掛かるにつれ、パウルスの心配は大きくなっていく。だが指揮官の自分が周囲を不安にさせてはなるまいと、平静を装った。


 しかし、それはあっさりと破られてしまう。


「西から『ムカデの旗』が!」


 意表を突かれた形だった。「女王の海域」の北西、ということはグラエキア海軍から死角となっている方角から海賊船が姿を見せたのだ。不慣れな海兵らに動揺が走る。


「どうして、あんなところから出てくる!」


「ラコニキアの港からじゃないか!?」


 グラエキア共和国は、イラクリスとラコニキアの秘密協定を知らない。よって、海賊が出現するとしたらイラクリスからだろうと高をくくっていた。そして、南東方向から海賊船が現れる気配はなかった。


 大丈夫だ。奴らは来ない、と安堵した矢先にこれだ。


「慌てるな。数はこちらが上だ。すり潰せ」


 パウルスは後ろの船に旗信号で「私に続け」と指示。敵襲は仕方がないので、多少の損害は覚悟のうえで海賊を潰す作戦を採ることにした。グラエキア海軍の三〇艘は、南北二〇kmキロメートルの海峡へと進んでいった。


 それがセレネの予想通りの動きだったことも知らずに。



 灯台からセレネは味方に手信号で合図を出した。


「櫂を逆に漕げ」


 つまり、仲間の船に後退を命じたのだ。彼女の指示通りに整然と後ろに進む「小さなムカデ」たち。全てがセレネの忠実なしもべで、迷わずそれに従う。海軍連中の慌てぶりとは大違いだ。


(さて、こちらも動かなきゃ)


「分かってるよ。うるさいな」


 セレネは海の流れが自軍に有利となっているのを確認すると、自分の両足をムカデの外骨格へと変化させる。これから耐えねばならぬ衝撃に備えての準備だ。


「タイミングは……今だ」


 セレネは八〇メートルの高さを誇る岬から迷わず飛び降りた。

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