不穏な動き

「アレクサンドロス、びょう!」


「少し待ってください」


 セレネとアレクサンドロスを含めた数十名が、ラコニキアの港にある乾ドックで船舶のメンテナンスを行っていた。男たちはセレネの指示でテキパキと動く。王の許可状があるから、そこを好きに使ってよかった。


「鉛板は?」


「今持ってきます、姉御!」


 セレネが鉛板を受け取る。それを不思議そうに見るアレクサンドロス。


「セレネさん、その薄い板は?」


「これを船の底にびょうで固定しておくと、船がわれないのさ」


われない? 何にです?」


「フナクイムシにだよ」


 フナクイムシは貝の一種で、文字通り船を喰う特性を持つ生き物だ。木材に穴を開けるから木造船には天敵で、それを防ぐ目的で鉛板を張り付けるのだ。なお鉛が厚くなると船速が落ちるので、高速で動く海賊船にはハンデになりかねないが、


「はは、うっすいね!」


 思わず感嘆の声を出すセレネ。紙のように薄い鉛板を渡され、思わず驚いてしまった。


 ラコニキアは金属加工業が優れているお国柄だ。それは彼らが戦争の際に装備する武具に現れている。胸当てや円盾、兜は極度に軽量化された代物で、それを大きな工房の職人が担当し丁寧に仕上げている。父アケロンの鎧もラコニキア製で、アイギス王からの贈り物だった。セレネも幼い時に兜を被ったことがあり、


「かるっ!」


と驚いたものだった。それでいて弓矢から頭部を守るには十分な強度を誇っているのだ。この国の技術をイラクリスでは真似できない、とセレネは思っている。


「手伝います、セレネさん」


「ありがとう。じゃあ、これを掴んでて」


 アレクサンドロスに鉛板を持たせると、セレネは届いたばかりの鋲を口に数本挟み、それを一本ずつ所定の箇所にトンカチで叩き固定していく。慣れた手付きだった。


(綺麗だな)


 汗を流しながら熱心に船を補修するセレネの姿に、アレクサンドロスはドキリとする。彼女のような女性は、故郷グラエキアでは見られなかったからだ。


 グラエキアでは女性は家にいるべきものとされ、表に出て注目を浴びることはご法度とされた。


 よって、グラエキアの価値観に照らすとセレネは「女性らしくない」のだが、イラクリスや今いるラコニキアでは違う。現に港近くの露店では女性が声を張り上げ商売に精を出しているし、それを注意するラコニキア人もいなかった。


 ラコニキアは「強き者だけが生きられる国」だ。それは女性にも充てはめられた。さすがに戦争に参加はしないが、それ以外のあらゆる仕事に就くことが許されていた。ちなみに、今触れている鉛板も工房の女性が手掛けたものだった。


「後は船内の方も叩いて固定しないと。アレクサンドロス、やってくれる?」


「はい、やります」


 アレクサンドロスが承諾すると、セレネは鋲を数本持たせて仕事にいかせようとした。しかし、彼は行こうとしない。


「なんだよ、手を叩くのが怖いのか?」


 セレネが揶揄からかったが、アレクサンドロスは彼女の手元に置いてある鋲を見つめていた。それらは先ほどまでセレネが口にくわえていたもの。さて、彼は何を考えていたのだろうか。


「おい、これをお前には渡さないぞ!」


 セレネは顔を少し赤くして言った。こちらは何を想像したのだろうか。


 アレクサンドロスはそそくさと船内に消えていってしまった。


(なんで、あいつのことを考えてんだ? 別にこの鋲ぐらいくれてやっても良かったじゃないか)


 セレネはしばし、乙女となっていた。



 乾ドックでの作業を始めてから数時間。セレネを含めて皆汗だくだった。


「よし、作業終わり! 休憩しよう」


 海賊たちは「おう」と小さくセレネに返事。アレクサンドロスもくたくたになっていた。


「おい、大丈夫か」


「ああ、俺は大丈夫です。ただ」


「ただ?」


「初めての作業を、セレネさんと出来て嬉しかったです」


 セレナはまたも赤い顔になる。この男の言葉はどうしてこうも胸に響くのだろう。


 自分なんかが、誰かに好意を持ってはならないというのに。どうして自分なんかを……。


 そんなことをセレネが考えていると、仲間の叫ぶ声がした。


「姉御!」


 セレネは雑念を振り払うと海賊王の娘に戻る。


「どうした?」


「岬の東側に赤い帆の大船団が見えたって報告がありやした。来てください!」


 セレネは仲間の案内で、港の南東にある岬へと向かった。

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