運命の分かれ道

 クロエが多島海をレス島に向けて進んでいる時、セレネはアケイオス半島の南端にある岬――これはナクサス島の西端から北に二〇キロ程の距離にある――を通り抜け、北西に進路を取っていた。


「たくっ、お天道様てんとさまが味方してくんないんだから!」


 苛立つセレネ。父からは早めにルビーの指輪を、出来るだけ早くアケイオス連邦の執政官に届けるよう伝えられていたからだ。


「約束を守らねば、イラクリスに海軍を派遣する」


 アケイオス連邦政府の脅しがあった、とセレネは聞かされている。これをハッタリとは断定出来ない。同連邦は軍船二〇〇艘という、世界最大の海軍を有しているとの情報を掴んでいたからだ。


 対するイラクリスは軍船四〇艘。それも大型船ではなく、その半分以下の大きさの小型船が主力だった。クロエを乗せたガレー船だけが例外だ。


 よって、連邦側が本気を出せばセレネの祖国など瞬時に滅ぼされかねない。それでも、イラクリスが滅亡を免れているのには二つの理由があった。


 一つは何度も述べた「海賊女王の治めた呪われた島」という言説。そのイメージが皮肉にも、セレネの国を守る防壁の役割を果たしていた。


 そして、もう一つはイラクリスと「秘密裡ひみつりに」協力関係を築いていた、ある国の存在だ。


「ラコニキアの港にいかりを降ろす、針路変更だ!」


 セレネが口にした「ラコニキア」という国は、アケイオス半島南部に位置する。ナクサス島から最も近く、幾度も出ている「女王の海域」はラコニキア南端の岬とナクサス島西端の間にある狭い場所を指す単語だ。岩礁が多く、海賊が潜むには最高の条件が揃っている。


 そして、その狭い海域の北側に面するラコニキア王国はイラクリスと協力関係を結んでいた。


「トリナタス島から多島海、グラエキア共和国に向かう船舶を襲撃し、得られた物品は両国で折半する」


 それがアケロン王とラコニキアの王との間で交わされた取り決めだった。



「砂嵐め、今日は機嫌が悪いみたいだ」


 誰にいうでもなく愚痴るセレネ。本来ならさっさとラコニキアの領域から離れて、依頼主の住む半島北部まで進んでいたはずだというのに……。イラクリスを出航する前に出現していた砂嵐が一段と強くなり、航行は困難と判断。仕方なく、イラクリス海賊を受け入れてくれるラコニキアの港に停泊せざるを得なくなったのだ。


「どうかしましたか?」


 そんなセレネの様子を不審に思った男が一人。アレクサンドロスだ。彼女の「異能」を間の当たりにして気絶した人だ。


「ああ、その……ムキムキの坊主の国には長くいたくないんだよ」


「はい?」


 ナクサス島に住む者ならラコニキアの習俗を知らない者はいない。セレネはそう考えていたから、アレクサンドロスを遠くから来た者と判断した。そこで、まずは彼の出自を聞くことに。


「あんた、この辺の出身じゃないのか」


「そうです。グラエキアから来ました。逃げてきたんです」


「逃亡奴隷か」


 イラクリス船団の乗組員勧誘にセレネは関知していない。当初はアケロンが、彼が負傷した後はデメトリオに一任していたからだ。彼女が仕切るのは船団の指揮だけ。よって、セレネは乗組員の素性を全部把握している訳ではなかった。


「情けないですよね」


「なんでさ?」


「だって、国を捨てたんですよ。かっこ悪いじゃないですか」


 自嘲気味に言うアレクサンドロス。


「そんなことはないさ。あんたは立派だよ」


「へ?」


「自分を守るために、命掛けで活路を探したんだろ? 普通のことだと思うよ」


「そうですかね」


「あんた、あたしの力を見ただろ」


「ええ、近くで。心臓が止まりそうになりました。あんなことがあるんだって」


「あたしも同じさ」


 そう言うとセレネは、自身の胸部をさする。目線は上に、燦然さんぜんと輝く太陽を見ながら。


「あの力を使うと心臓が強く脈打つんだ。太鼓を勢いよく叩くみたいにさ。『もうこれが最後の鼓動なのかも』って伝えてくるんだよ。クソ親父の代わりに海で暴れているけど、いつも『これが最後なんだ』って気持ちで海賊をしてる。あまり……長くは生きられないのかなって」


 ここまで話してからセレネは気づいた。「どうして、彼に心の内を打ち明けているのだろう?」と。自身の苦しい胸の内を明かす相手が他にいなかったから? だったら、他の仲間でもいいはずだ。じゃあ、なぜ?


(こいつ、あたしと同じくらいか)


 セレネは、アレクサンドロスと自分が同年代だから話しやすかったのだ、と考えておくことにした。事実、彼は十七歳でセレネより一つ年下だった。周囲の仲間たちが屈強な男共で年齢もデメトリオと同じかそれ以上がほとんどだったから、アレクサンドロスのような存在は船団には珍しかった。


 若い連中は配属されると血気にはやり、早々に命を落とす場合がほとんどだったのだから。


「あの、セレネさん? 僕の顔に何か付いてます?」


 セレネは無意識にアレクサンドロスを見つめていたようだ。顔を赤らめた彼が、慌てた様子で聞いてきた。目をパチクリさせてから、セレネはこほんと咳払い。


しらみとかのみが付いてたら、取ってやろうかなって」


 適当に誤魔化したつもりのセレネだったが、背後でニヤニヤしている野郎どもの姿には気付いていなかった。



 セレネはラコニキアの港に停泊。そこでしばらく滞在する羽目になった。彼女にとっては不運だったであろう。


 しかし、世界にとっては幸運だった。指輪がセレネの元を離れずに済んだからだ。もしもそれが約束通りに届けられていたら、コーネリアスの思い通りになっていたのかもしれないのだから。

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