娘を思い過ぎる王

 デメトリオが謁見の間に足を踏み入れる。

 緊張感は微塵もなかった。もう何度も経験しているからだ。


「アケロン陛下。ただいま仕事を終え帰港しやした」

「うむ、ご苦労」


 アケロンはイラクリスの王で、セレネとイアソンの父に当たる人物だ。

 黒のドレッドヘアに豊かな髭が口元を飾り、首元には装飾品を、右手には王杓おうしゃくを、それに青のローブを羽織る彼は玉座に座ったままでデメトリオに尋ねる。


「娘は傷一つ付いておらんだろうな」

「それはもちろんっすよ」


 デメトリオは彼にも丁寧語を用いない。アケロンはそれを注意はしなかったが、彼の返答には半信半疑の様子だ。


「後でセレネの肌を確認すれば嘘か誠かはっきりする。ま、ひとまず信じておいてやろう」


 重苦しい空気が漂う。


「陛下。一つ、いいっすか」

「なんだ?」

「あっし、そんなに信用ないっすか?」


 アケロン王が「どうして、そんなことを聞く?」とでも言いたそうに、表情を曇らせる。


「そんなことはない。ただ」

「ただ?」

「我が子が心配でならんのだよ。もし大怪我でもして帰ってきたら、私は一体どうしたら」


 アケロン王が突如よよと泣き出す。デメトリオはそんな王を見ても動じない。


「陛下。心配するのはいいんすけど、もう少し子離れを」

「独り身のお前に何が分かる! ああ、私は心配でたまらないというのに……お前ときたら私に同情するどころか、すげない目を向けおって」


 デメトリオは「まずい」と思った。導火線に火を付けてしまったと感じたのだ。早く火消しをしなければ、王宮内に怒号が飛びかねない。


「まったくお前という無二の友がありながら、どうして毎度毎度セレネの安否を気遣いながら日々を過ごさねばならないのだ」

「陛下。それは――」


 デメトリオはそこまで言いかけて口をつぐんだ。「あなたが親馬鹿だからです」なんて言ったら、今日が人生最後の日になりそうだったから。


「デメトリオ。お前には高い給与を与えてセレネを監視させているというのに、どうしてあの娘は勝手な行動を取るのだ? どうして?」


 デメトリオは「あなたの娘だからです」と言いたかったがこれも封印。無言を貫いた。下手な弁明は却って王を怒らせるだけだから、言いたいことを言わせておくのがベターだろう、と彼は考えたのだ。


「ちょっと、お父様! デメトリオさんをいじめないでくださいな」


 応接間の扉がゆっくりと開くと、セレネに似た背丈の少女が姿を見せた。カールのかかったブロンドの髪に亜麻布の長衣を着用した彼女は、デメトリオに顔を向けると、


「いつもごめんなさいね。お父様がこんな調子で」

「いや、いいんすよ。クロエ様。あっしゃ気にしとらんので」

「嘘を言わないでください。顔が『辛い』って言ってますよ」


 クロエと呼ばれた少女は怒り心頭で、父であるアケロンへと矛先を向ける。


「お父様、デメトリオ様に頭を下げてくださいな」

「いやしかしだな、クロエ。お前も分かっておろう。セレネのじゃじゃ馬ぶりを」

「分かっておりますわ。私の妹なのですから」


 クロエはセレネの双子の姉だ。同じ日、同じ時間に生まれた彼女は妹とは違って、冷静に、そしてちくちくと相手を追い詰める性格だった。


「お父様、今はセレネに働いてもらわないと国が成り立たないのです。お父様が海に出られない以上、セレネが代わりに危険を冒していることをお忘れですか?」

「それはもう痛いほど理解しておる。だがね」

「もう結構です。玉座でどうぞ『海賊の統領』として振る舞ってくださいな。さ、デメトリオさん。行きましょ」


 クロエはデメトリオの手を取ると、そのまま応接間を出ていってしまった。入れ替わりで執事が入室する。


「私の態度は何かまずかったか?」


 執事もデメトリオと同様に困った顔をするが、その後に容赦なく一言。


「陛下。年頃の娘にあのような態度は嫌われますよ」



 応接間を出て廊下を歩きつつ、デメトリオはクロエにお礼を述べる。


「助け船を出してくださり申し訳ねえっす」

「いいんです。でも、あなたもきつく言っていいんですよ」

「いや、あっしにゃ無理っす。あの狂暴な顔を見たら口が縫われちまったみたいに開かねえっすもん」


 デメトリオの返事に、クロエは優しく微笑んだ。


「何か変っすか?」

「いえ、羨ましいなって。セレネは海の上でいつもあなたと楽しく話しているのでしょ?」


 デメトリオはクロエの言葉を否定しようとはしなかった。


「ま、そっすねぇ」

「私も行きたいわ、海に。でも無理な話ね」


 クロエは叶わぬ夢を口にするのだった。

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