プロローグ5
商船の下部に鳴る二つの足音。それを注意深く聞き分ける隊長。彼は部下たちに小声で指示を出す。
「いいか、お前ら、扉が開いたら敵の首を突く。せめて敵将の首を取ろうじゃないか」
その言葉に、鎖帷子に身を包む兵士十名が小さく頷く。彼らは職業軍人だった。戦わないで海賊に降伏などプライドが許さなかった。
「さあ、ここです。どうぞご検分を」
「ご苦労さん」
商人の声とそれに応じる女の声。隊長は敵将が女と認識するが、それでも油断は見せなかった。彼は商人とは違って、女だからといって侮る男ではなかった。
「今開けますので、少々お待ちを」
「早めに頼むよ」
セレネは早く扉が開かないかと、片足でタップを踏む。それを甲板下部で聞きつつ、
(なるほど、相手は苛立っているな。不意打ちには好都合だ)
これなら油断を突きやすい。難なく討ち取れるだろうと隊長は考えた。
「開きました。どうぞ」
「あいよ。ご苦労さん」
商人が扉を自分側に向けて開き、セレネは内部を覗き込む姿勢を取った。
その時。
「おらあ!」
「やっぱりね」
セレネは素手で槍の穂先を掴みあげた。刃の部分を持ったので、手は傷だらけになるはず。しかし、彼女は痛がる様子を見せない。
「そんな手、あたしにゃ通じないよ」
彼女は淡々とした口調で言った。その余裕が隊長ら十一名の怒りに火を付けてしまったようで、
「なら、こそこそする必要はないようだな。お前ら、目に物を見せてやるぞ!」
「「おうっ!」」
彼らは迷うことなく、甲板上に体を乗り出しセレネを四方八方から包囲した。
「おい、嬢ちゃん。泣いて許しをこうなら今のうちだぞ」
兵士の一人がセレネを挑発。それに続き、
「お仲間さんを呼んだらどうだ?」
と数の不利を告げた。一対十一では確かにセレネに勝ち目がなさそうだ。しかし、
「いや、あたし一人で十分さ。あたしは百人力だからね」
と言って、セレネは動じなかった。まるで「お前たちに勝ち目はないぞ」と言わんばかりに。
「かかれ!」
赤いチュニックの兵士たちがセレネ目掛けて襲い掛かる。彼らは得物の剣や槍で、彼女の白肌を赤く染めようと試みた。
「仕方ない」
セレネは最初に飛びかかって来た左右の兵士に向け、手を差し向けた。刹那、
「「ぐぇっ……」」
と二人の
セレネの両手がムカデのように変化していた。黒い表皮に包まれ、その先端には鋭い牙がギラリと輝く。不気味なそれは左右の兵士の胴を貫き、彼らの血で染まっていた。
「言っとくけどさ。あたしは非武装の人は殺さない性質でね」
両手を元の形に戻してから、セレネは言った。
「武器を捨ててくれるとあたしも嬉しいんだ。どう?」
数秒前に奇怪な攻撃で二人を
「そんな言葉、信じられるか。この化け物が!」
一人の兵士がそう言うと、九名が一斉に攻めかかる。もはや交渉の余地なしと考えたセレネは、
「じゃあ、容赦しないよ!」
そう言って船上の戦いに臨んだ。
◇
その様子を上から見ていたデメトリオは「良かった」と小さく呟いた。さすがに甲板の下までは見通せないから、そこからの奇襲は自分の責任にはならないだろう。
あとはセレネが傷一つ負わずに戻ってくるのを待つだけだった。
(まあ、何とかするっしょ)
デメトリオは楽観的に戦闘の推移を見守っていた。すると、下から彼に声がかかる。
「俺たちは加勢しなくていいんですか」
戦闘開始前に仲間と語らっていた若者だった。甲板下にいた彼には商船で繰り広げられていることが分からなかった。そんなことを聞いてくるのはおおよそ新入りだろうと察して、デメトリオは言った。
「戦わなくて済むっすよ。あと、そのままそこにいた方が身のためっす」
若者はデメトリオの発言の後半の意味が分からず、甲板上に顔を出してしまった。そして、目撃した。
セレネが十一名の兵士を残らず屠り、その両手と四肢に返り血を浴びた姿を。
「なんなんだ、あの人」
彼は凄惨な光景に気を失い、そのまま甲板下に足を滑らせてしまった。それを
「ほれ、言わんこっちゃねえ。姉御の戦うとこを初めて見て、気絶しねえ奴はいねえのよ」
男の言葉に手を休めていた男共が無言で同意した。
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