プロローグ4

 セレネの戦術でガレー船の一艘が動力の一部を奪われた。こうなると頼れるのは帆で受ける風しかない。


「ちくしょう。こんな時に!」


 怒号をあげるガレー船の船長。風がいだのだ。つまり、海戦の最中に自然の動力さえ当てにできなくなった。これでは海上を漂うだけの存在。あっさりと無力化されてしまった。


「海賊どもがあ!」


 海賊の策にはまったことを知ったガレー船の兵士たちが槍を投擲した。せめてもの抵抗を見せようとしたらしい。


「効かないよ。そんなもん」


 しかし、通り過ぎた海賊船に負傷者はなし。セレネがふんと威張り散らしたのが目に入ると、それが兵士たちの怒りに油を注いだ。


「んだよ、あの色白野郎!」


 背後の罵声など気にも留めず。セレネは次なる目標を探した。


 だが、目標は見当たらなかった。


 自身が攻めた船を除き、他のガレー船二艘には大穴が開き、残る一艘は北東に舳先を向けて逃亡を図っていたからだ。


 よって、無事な相手方の船は商船だけ。勝敗は決していた。


「姉御、逃げた船は」


「無理だ、デメトリオ。漕ぎ手の体力が限界さ」


 ガレー船の漕ぎ手に全速力で漕がせた場合、体力は一〇分程度しかもたない。ましてや戦闘に入れば細かな指示が飛び、速力の変更も頻繁になるから、戦域から逃れた船を追うことは困難だった。


 セレネは仲間の船にムカデの旗で合図を出して戦闘終了を命令。間もなく、六艘の海賊船が櫂を収めた。


「デメトリオ。籠にのぼって、商船を上から見張って」


「あいよ。姉御」


 デメトリオが籠へと登っていく時も、セレネは警戒を解かなかった。おそらく甲板の下に伏兵がいるだろう、と予測していたからだ。きらりと光る無数の輪っか。あれは紛れもなく鎖帷子くさりかたびらから発せられたもので、商人のものではないはずだ、と。


 セレネの船が商船に横づけを終えると、彼女ただ一人でそれに乗り移ろうとした。


「あね――」


「うるさい、デメトリオ。言いたいことは分かってんだよ。しつこい」


「姉御、少しはお父様からの心配をですね」


 セレネは「お父様」という単語を耳にすると地団太を踏み、デメトリオを睨みつけた。彼女の眼に秘めた怒りを見ると、


「頼みますから、傷一つ負わないでくだせえよ。あっしが怒られちまうんすから」


「知るかいな、クソ親父なんか」


 吐き捨てるように言ってから、セレネは商船に乗り移る。それを籠から眺め、不審な動きがないかを観察するデメトリオ。口をへの字に曲げていた。


(少しはこっちの心配してくんねえかな)


 心中で愚痴りつつも、デメトリオは一方でセレネが負傷する心配をしていなかった。するはずがない、と確信していたからだ。


「あんたが船長かい?」


 セレネが甲板上で怯える商人――少しまえまで隊長と話していた男に声をかけた。


「へえ。そうでございます」


「武器は持ってないな」


「もちろん。海賊様に歯向かうことはしませんよ」


 商人は手もみをしつつ、セレネに相槌あいづちを打つ。敵意はない。抵抗はしない。そうよそおったのだ。


「甲板の下を点検したい。扉を開けてくれ。邪魔しなきゃ、あんたに危害を加えないからさ」


「へえ、喜んで」


 商人はセレネに丁寧な応対をし、彼女を甲板下に繋がる扉へと誘導した。彼は堂々と乗り込んできたセレネに一泡吹かせようとしていた。


(こいつ。女のくせして海賊とは)


 商人はセレネを見くびっていた。華奢きゃしゃな体つきに防具の類は身に付けず、余裕の表情で自分に要求する女。海賊船の甲板上に立つ小札鎧こざねよろいの筋肉質な男共に脅されるよりも、彼女の方がずっとひ弱そうに見えたからだ。


(まあ、不意打ちにはかなうまいて)


 心の中で悪い笑みを浮かべる商人。もうすぐ、セレネの首が飛ぶだろうことを予期していた。

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