プロローグ3

「なぜ奴らの接近に気付けなかった!」


 海賊の船隊から最も近くに位置していたガレー船の船長が叫んだ。


「船長、敵は岩礁の陰に潜んでいたのかと」


「うるさい!」


 見張り員の言い訳を遮り、船長は海賊船団のリーダーと思しき船に船首を向けるように指示を出す。敵船との距離は五〇〇メートル弱。瞬時に判断を下さねば、船もろともお陀仏だ。


「ムカデの旗を大きく掲げている船に衝角攻撃を仕掛けるぞ! 奴隷に鞭を打て!」



 対する海賊船団側。


 船団の長セレネは、やっと姿を見せた獲物を見て元気を取り戻した。彼女は籠から海面を見下ろす見張り員に尋ねる。


「獲物と護衛の数、それと配置を教えてくれ」


「商船の周りに四艘のガレー船。×ばつ印の交差点に獲物がいやがる。姉御。どうしやすか?」


 陣形報告を聞き終えたセレネは慌てることなく、岩礁の陰から船を、「小さなムカデ」の出航を指示した。


「決まってんだろ。護衛を残らず潰せばいい」


 籠の見張り員はロープで甲板まで降りて来ると、傍らのセレネに呆れ顔をしてみせる。


「姉御、いっつも同じ指示っすよ」


 対してセレネは、見張りの男――名をデメトリオという彼に笑顔で答えた。


「デメトリオ。あたしが細かいことを考えるやつだと思ってんのか」


「いえ、まったく。いつもの姉御っす」


 二人の会話が終わると同時に、七艘の海賊船は獲物へと足を進めていく。動力である甲板下の男どもが汗を流しながら、櫂を力の限り漕ぎ出す。全ての船が最大船速でもって、標的の確保に動いたのだ。


 当然、商船を守るガレー船団も動き出す。


「あいつらは積み荷が目当てだ。何としても守り切れ!」


 各ガレー船の船長が同じ指示を出した。四艘のガレー船と七艘のガレー船による、熾烈しれつを極めた戦いが始まった。


「赤い帆の船に目掛けて突っ込むぞ! 総員、怯むな」


 セレネの声が響く。


 双方が敵船を微かな光と、掲げられた松明によって判別する。夜の海戦であり、位置関係の把握は困難。対する敵船団もムカデの帆を見据えて、衝角を突き刺そうと試みる。


 衝角は、船主の水面下に取り付けられた体当たり攻撃用の武装だ。これを櫂による推進力に乗せて、敵船の腹を突くことで穴を穿うがち沈没させる。大砲が発明されていない時代の軍船の主兵装だ。


 セレネ率いる海賊船団も、商船を守護するガレー船団もお互いが見せる隙を見逃すまいと、衝角を刺すタイミングを窺った。船の腹を見せないようにしつつチャンスを待ったのだ。


「とおぉりかあじ!」


 先に動いたのはセレネ。自分の船の舵手に、船を左に転ずる指示を出す。舵手は慣れた手捌きで舵櫂だかいを操り、船の進行方向を変えた。それを阿吽あうんの呼吸で合わせたのは、彼女の右後方に位置していた同胞の船。セレネの船に従い、二艘の海賊船は左舷前方、一〇時の方向にいた敵船へと向かう素振りを見せた。


「二艘で突っ込んでくるつもりか。腹を見せるな。どうにか回避しろ!」


 対する船長側の指示は曖昧でいい加減だった。察するに海戦を良く知らないのだろう。そんな指示を出された部下が、どう動けば良いか分かろうはずもない。


 ガレー船はセレネともう一艘に腹を見せないことだけを考え、二艘の間を無理に突っ切る決断をした。船内に木霊こだまする太鼓の音が多くなり、奴隷は鞭打たれながら櫂を漕ぐ。


 しかし、それはセレネの思う壺だった。彼女は舵手に命じ、櫂を動かすのをやめさせると、


「両弦から攻めるぞ。足を切り落としてやれ!」


と下知。その後、セレネは敵戦の右舷の、もう一艘は左舷のぶつかるギリギリを走らせた。


「櫂をしまえ!」


 再びセレネの命令。二艘の船から「足」が引っ込められる。後は風に任せて進んでいく。


「おい。櫂をしまわせろ!」


 慌てたのはガレー船の船長。ここにきて相手の意図が分かったのだ。彼は甲板下部に押し入り、太鼓を鳴らすのを止めさせ、奴隷に櫂をしまわせようとした。


 だが、既に手遅れだった。疲労し切った奴隷たちは満足に腕を動かせない状態だったのだ。そして、間もなく響いたのは「足」の奏でる悲鳴。


 セレネと仲間の船が両弦からガレー船をかすめたことで、出されたままの櫂のほぼ全てがへし折られてしまったのだ。

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