序章

プロローグ1

 暗い夜に明るくともる月が海に光を放ち、海面で休む『ムカデ』を照らしていた。


「綺麗だ」


 一人の少女が『ムカデ』の背で揺すられながら、空を見つめている。スカート状のチュニックからは白い美しい足が伸び、さらにブロンドの長髪が彼女に艶やかさを加えている。


「姉御! 本当に通るんすか?」


 少女を姉御と呼ぶ男が、伝えられていた『獲物』の情報に疑問を呈した。彼は少女の上から――柱に備え付けられた籠から海上を観察している。


「安心しな。信頼できる情報筋から言われたんだから」

「そっすか」

「ささ、あんたは目を光らせる」


 少女は強引に問答を終わらせ、男に監視を指示する。

 男はぶつくさ言いながらも命ぜられた通りにした。


「はぁ、月は本当に綺麗だ」


 少女の目に映るのは欠けるところのない満月。

 彼女にとって、月は特別な意味合いを持つものだった。


(いいな。何にも囚われずに光ってるなんて。あたしにゃ無理だ)


 心中で愚痴りつつ、少女は『ムカデ』の背に設えた寝具を揺さぶらせる。

 ハンモックから片足をだらんと垂らしつつ、彼女はその時を待った。



 男共が『ムカデ』の腹で暇つぶし――賽子さいころで賭け事をしていた時のことだ。


「綺麗だな」

「あん? 新入り。おめえに月の美しさが分かるのかよ」


 口の悪い一人の男が、若い男に声をかけた。無理もなかった。『ムカデ』の腹に集まる連中には不釣り合いな感想だったのだから。


 無精ひげにすね毛、たくましい腕に伸び放題の腕毛を生やした男共が『ムカデ』の腹に住まう住人だ。とても風流を解する連中とは思えない。それは綺麗、という言葉を発したくだんの男とて例外ではなかった。


「あ、いや。違うんです」

「はあ?」

「あれですよ。あれ」


 若い男は下品な笑みを浮かべつつ、ハンモックから出ている少女の足を指差した。


「兄貴もそう思いません?」

「ああ、そうだな。最初だけな」


 含みのある言い方。若い男が尋ねる。


「どういう意味ですか?」

「姉御の中身を知ったら分かる。まあ、まずは――」


 若い男に、年上の男は真剣な顔で注意した。


「死ぬなよ」


 と同時に、柱で見張りをしていた男から旗で合図が出された。すると少女はハンモックから体を起こし、


「さあ、一仕事だ! 仲間にも通達しろ。『獲物が来たぞ』ってな」


 上機嫌で少女は男どもに指示を出していく。その際に『ムカデ』の腹で待機中の男どもに、


かいを出せ!」


と命令。そういってから彼女は忙しく動き回った。


「まあ、確かに綺麗だったな」

「でしょ?」


 先ほどから会話をしていた男二人は目に焼き付けておいた。少女が見せた長い足と、その奥に見えた下着を。


「おい、お前ら! 何ぼぉっとしてやがる。さっさと持ち場につけ」

「「は、はい!」」

「まったくもう、鼻の下伸ばしやがって。何考えてんだ」


 少女はすたすたとその場をあとにした。若い男はがくがくと震えている。


「な、言った通りだったろ」


 若い男は年上の男の言葉の意味が分かり、首を縦に振った。



「準備は終わりました。姉御」

「よおし、みんな張り切れよ。今日の『獲物』は上物だ。逃がすんじゃねえぞ!」


 『ムカデ』の背と腹から返ってくる「おう!」という掛け声。それは少女の背後に控える六匹の仲間からも聞こえてくる。


「セレネ! 獲物はもうすぐっす」

「分かった。ありがとう」


 籠から見張りを続けていた男が、少女セレネに伝達する。

 そして、セレネは男どもに下知した。


今宵こよいの獲物は一艘。かいのない商船だ。いいか、沈めるな!」

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