儚く生まれ、積み上げるように消える

 僕の鼓動は刻々と正しい鼓動を刻みながら僕の身体を正常にしている。果たしてあとどれくらいでこの心臓は止まるのだろうか、我々に残された拍動は、一体、あと何回くらいなのだろうか。


 僕は自分の心臓の音に耳を澄ませながら、校舎の窓から街を見つめた。夕暮れに染まる街、朱色とも赤とも、紫ともいえないような色が街のコンクリートを赤いトタン屋根を染め上げる。いや、染めるというよりかは、どこか滲ませていると言った方が適当な気がする。


「人間の残された生というのはね」と優が話始める。僕はそれを耳だけで聞いていた。まだしっかりとした拍動が僕を支配する。


「結局のところ、死ではないというだけなんだ。どちらが正常で、どちらが異常なんて言うのはそもそもナンセンスなんだよ」と優はかぶりを振って言う。


「うん、でも死ではない所に意味があるんじゃないの?」僕は優の方を振り返ってそう言った。


「そうそれ、死ではない所。それが意味の根幹なんだ、そして死は死であることが意味の根幹なのさ」


「死は生ではないという意味ではないの?」僕は首を傾げて言う。僕の影もまた首を傾げて非ユークリッド幾何学のような形を木製の板の上に映した。


「そこが生と死の違うところさ。生というのはね、状態なんだ。そして死は現象なのさ」優は得意そうな顔で言う。彼のその顔は僕の一番嫌いな顔だ。


「でもさ、死だって状態なんじゃないの?」


「確かにそれは一理ある。確かに間違いなく状態ではないとは言い切れない。でもな、死を状態というのは少し違和感がある」


「どこが?」


「例えば、死というのは訪れるものだ。例えば、死というのはある点を超えることだ」優は目を瞑っている。彼の乾燥したまるでヒトデのような唇は僕を少し不快にさせる。「一方で生は線分ABの事だ」


「うーん、確かに言われてみるとそんな気がする」仕方がないので僕はゆっくりと彼から目を逸らしてそう言った。


「うんうん、お前も少しずつ分かってきたな」彼は大袈裟に首を縦に振りながらそういう。きっと彼の尊敬する先生も同じことをしているのだろう。反吐が出る。


 僕はもう彼の方を見ることなく、再び街を3階の校舎から見下ろした。遠くでは大型トラックが誰かの何かを乗せて走り、田んぼ道では高校生がながらスマホをしながら運転する自転車と還暦を過ぎたアルツハイマー型認知症まじかのお爺さんが運転する軽トラがすれ違っていた。平和な世界。


 僕はふと昔読んだ本の事を思い出した。確かその本には生物の一生の心拍数の数は決まっているということが書いてあった。確かその本には象は心拍数が少なく、もしくは遅くて寿命が長く、ネズミは心拍数が多く、または早くて寿命が短いと書いてあった。だからなんだ。きっとさっきの話を真に受けてしまったんだろう。


 それから数日の経った後の事、優は交通事故で死んだ。トラックのタイヤに潰されたらしい。どうやら整備不良のトラックが走行中にタイヤを外して、そのタイヤが歩道を歩く優を潰したんだそうだ。タイヤの下敷きになった優は心臓が破裂していた。まさに水道が破裂した様と瓜二つだった。そしてまたあの話を思い出す。彼の良く言っていた話だ。死は瞬間であり、生は期間である。だったけか?違う違う、「生は状態であり、死は現象である」まさに彼はそれを体現していたのだろう。僕の頬には一筋の涙がこぼれた。


 そう、僕らはいつだってそうなんだ。僕らは儚く消えたりなんかはしない。赤黒い何かを残して死んでいくのだ。血だったり、未練だったり、または何かだったり。僕らの死は現象なんだから、僕らは積み上げている途中で死に見舞われる。そして僕らの生は状態だ。誕生はいつも儚い。だって消えるために生まれるんだから。


 おぎゃあと生まれるのは死を一番身近に感じているから。そしてまるで等速直線運動をしているみたいに、状態として生きていくことで死から遠ざかったような気がする。本当はそんなことはないのに。だからこそ人は生まれた時の事を忘れ、死を忘れる。そして徐々に死を感知していくのだ。


 だから、僕は彼のお墓の前でこう言ってやった。


「僕らは儚く生まれ、積み上げるように消える」

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