第19話 まだ見ぬ神さまへ、いつか

 ぼくは水飴をこねる作業を止め、泥石を上目遣いに睨み付けた。

 もう泥石のやつを生かしておけない。それがぼくの心情だ。そんなぼくの気持ちなんか露知らず、笑顔の泥石は中指を突き立てたままだ。


「これ、気に入りました。私も使わせて頂く事にします」


 ……泥石がっ!


 隣に立つパーシも同じ気持ちなのだろう。笑顔だけど額に青筋が浮いている。


「……それで、ドロシー。この赤石はどうしたんだい?」


 引きつった笑顔でそう尋ねるパーシは泥石を嫌っている。でも、泥石の方でも負けてない。馬鹿にしたように眉をひそめ、唇を尖らせた。


「石渡りの儀ですよ。そんなことも知らないんですか?」


「うふふ、そう……」


 パーシは笑みを返しながら、ごくごく自然な動作で剣の柄に手を置いた。ぼくとしては、そのまま泥石を斬ってもらいたいけど、本当にやっちゃったら洒落にならない。

 パーシのマントを軽く引っ張り、代わって前に出たぼくは、恭しい仕草でその場に膝を着いた。


「シスタ。稀人のぼくには『石渡りの儀』というものがよく分かりません。宜しければ、お教え頂けないでしょうか」


「ふむ……」


 ぼくの殊勝な態度に気を良くした泥石は、儀礼用の杖の柄の部分を撫でながら、重々しく頷いた。


「そうでした。お前は稀人でしたね。脳みそも信仰も薄いノエルさんと一緒にするのは、まだ早いですね」


 しかし、泥石はいつになく攻撃的だ。高慢ちきでお調子者の泥石だけど、特にパーシには突っ掛かっているように見える。根に持つような出来事でもあったのだろうか。

 泥石が偉そうに言った。


「簡単に言ってしまうと、この赤石の上を素足で歩くんですよ」


「えっ、大丈夫なの……?」


 豆モドキの一件で泥石が無謀な性格だって事は分かっていたつもりだけど、流石にそれはやめた方がいいと思った。というのが、修道女(シスタ)である泥石の領分は癒しと解呪を主とする『神法』だ。『魔術』ならともかく、それだけで赤石の熱を防ぐのは少し無理がある。


「信仰心ですよ、信仰心。神の愛だけが不可能を可能にするんです」


 そう言ったドヤ顔の泥石が、ぼくはとにかくムカついた。でも、無謀な泥石がここまで強気で言い切るぐらいだ。種も仕掛けもあるのだろう。


「魔力を持ち、熱を発する焼けた赤石の上を素足で渡ると。これまたカルト染みてるね……」


「ふふん、よく分かってるじゃないですか。カルトの真髄、とくと見ていなさい!」


「……」


 そんな泥石を鑑定すると、『赤法衣』には火属性に強い耐性がある事が分かった。

 ぼくじゃなきゃ見逃しちゃうね。

 なるほど強気な訳だ。誰も分からないと思って、堂々とペテンをやらかす訳だ。

 でもね、甘いよ泥石。

 ぼくは付与術式を使える。魔道具を作れるって事は……その逆も可能なんだ。


 ぼくはニヤリと嘲笑い、背中を向け、この場から去ろうとする泥石の赤法衣の裾に触れた。


「……!」


 瞬間、パーシが片方の眉を上げた。身を乗り出して今にも泥石に飛び掛かって行きそうだったのに、思い直したように矛を収め、複雑な表情で泥石の背中を見送った。


「今、何かしたよね?」


「まあね」


 ざわつく民衆の中を、お調子者の泥石が見せびらかすように中指を突き立てて歩いて行く。日本人のぼくにはモザイク無しに見れない光景だ。


「あれ、どういう意味なの? 何か気に障る仕草だ。絶対、貴人への礼節とかそんなんじゃないよね?」


 パーシは泥石に特大の汚物を見るような蔑んだ視線を向けている。


「ぼくの世界じゃ、あの仕草はケンカを売る時に使うんだ。場所によっては殺されたって不思議じゃないような悪態だよ」


 パーシはおかしそうに吹き出した。


「うふふ、そうなんだ!」


 泥石の赤法衣は永続化(エタニティ)の処置が甘い。今回はそこに着け込んだ。今の泥石が着ているのは『火属性無効』の赤法衣じゃない。ぼくの鑑定上では、ただの『赤い服』になっている。勿論、ぼくがやった事だ。


「パーシ、盛り上げて。面白い事になるよ」


「よし来た」


 どん、と強く胸当てを叩いて頷いたパーシは、声を張って叫んだ。


「第三級修道女、ドロシー・メイデンの石渡の儀が始まるぞ!」


 守護騎士、ノエル・パーシの呼び掛けに反応して、あれやこれと騒々しかった群衆が静まり返り、『赤い服』を着た泥石に注目した。


「癒しの神『アスクラピア』の祝福あれ!」


 厳かに言うパーシの背後で、ぼくは水飴をこねる作業を再開した。


 水を打ったような静寂が広がり、その中で、パーシが場を盛り上げようと声を張り上げた。


「ド、ロ、シー! ド、ロ、シー!」


 グリグリと水飴をこねるぼくの前で景気よくパーシが叫び、それに追従するように周囲も歓声を上げて泥石の名前を叫び始めた。


「「ド、ロ、シー! ド、ロ、シー!」」


 調子に乗った泥石は満更でもなさそうな笑顔を浮かべ、右手を上げて歓声に応えている。


「あの若さで第三級の神法を修めたんだ。末は聖女か教皇か!」


 パーシがおべっかを並べ立て、益々図に乗った泥石が両手を上げ、万歳するように周囲を見回す。


「「「ド、ロ、シー! ド、ロ、シー!」」」


 歓声が益々大きくなる。

 そしてお調子者の泥石は、何を思ったのか、突然手拍子を打って自ら観衆を煽り始めた。


「シャイッ! シャイッ!」


 何の掛け声だろう。ぼくは水飴を捏ねながら、そこまでやるかと思いつつ、お調子者の泥石を見つめていた。


 これがスーパーレアクラス『聖女』の卵だっていうんだからどうかしてる。いや、道化してる。


 泥石が道化(ピエロ)している間も、少し離れた場所で膝を着いた修道女たちは祈りを捧げるのを止めない。


 癒しを司る回復神法は、『アスクラピア』の加護による所が大きい。周囲に漂う淡いエメラルドグリーンの光は癒しや守護の加護を示している。


 青ざめた唇の女、『アスクラピア』。この世界に何柱かいる『神』の一人。聖書に書かれた似姿はぼくも見たことがあるけど、唇が青く塗ってあってなんだか不気味だった。

 ぼくが思うに、こいつはバッタもんの神さまだ。癒しや守護を司る反面で自己犠牲と復讐を好む。世が世なら邪神扱いされていても不思議じゃない。


 ぼんやりと考えながら水飴の棒を舐めると、口一杯にとうきびの匂いが広がった。なかなかの美味。レトロな感じが堪らない。


「シャイッ! シャイッ!」


 そして泥石のやつは観衆を煽るのを止めない。聞こえないぞ、と言わんばかりに耳に手を当て、周囲を見回している。その光景には水色の衣装を着た四級のシスタも呆れ顔だ。


「うおーっ!」


 泥石のやつが拳を突き上げ、雄叫びを上げた所で喧騒は熱狂と呼べるものに昇華して、ぼくは内心ほくそ笑む。泥石のやつも満足そうに笑っている。パーシはやけくそ気味に声援を送っていた。


 そこで意気揚々と泥石が靴を脱ぎ散らかし、静かに進み出た四級シスタの一人が泥石の靴を持って背後に下がった。



「「「ド、ロ、シー! ド、ロ、シー!」」」



 歓声は最早マックスだ。はち切れんばかりの笑みを浮かべた泥石は、もうもうと熱気を放つ赤石の上に踏み出そうとして――

 固まった。

 右足を上げた状態で固まり、その表情がみるみるうちに青ざめて行く。熱を感じないのならともかく、実際熱いのだから当然だ。

 泥石は動かない。熱狂的な歓声を送る民衆を前に冷や汗を流している。ぼくは呟いた。


「馬鹿」


 水飴を舐めていると、呆然とした泥石と目が合って、ぼくは自分が信じる最高の笑みを浮かべて見せた。


「……!」


 その瞬間、ぐわっと泥石の眦がつり上がり、火の出るような目付きでぼくを睨み返して来た。

 証拠はない。でも、やったのはぼくだと確信している目付きだった。

 そこで何が起こったか気付いたパーシが思い切り吹き出した。それでも手拍子を打ち、観衆を煽るのを止めないのは流石だ。


「どっろ、いし! どっろ、いし!!」


 ちょっと違うけど、そこはご愛嬌だ。必死に笑いを堪えながら、パーシは手を打って声援を送っている。


「な、なんだ? ドロシー、様じゃないのか?」


「騎士様があれだけ自信満々で叫んでんだ。俺たちが少し勘違いしてただけさ」


 周囲の人だかりがそんな無責任な会話をしていて、ぼくは思わず失笑する。


「……神さま、助けに来ないね……」


 この世界なら、或いは。その思惑から漏れた言葉は、喧騒に紛れて消えて行く。



「「「泥石! 泥石!!」」」



 ドロシーコールが泥石コールに変化して、ぼくはご機嫌で天を指差した。


「第三級水魔法」


 天を差す指先に魔力が集中して、三つの大きな水球を作り出した。一つ辺りの大きさは十立法メートルというところ。

 ぼくは泥石を馬鹿にしたいだけで、怪我させたい訳じゃない。一歩でも下がれば打ち込んで、回りの赤石から熱を奪ってしまうつもりだった。


「スノウ! どうした――」


 パーシが何か言ってるけど、周りが煩すぎて聞こえない。皆、ぼくが作り出した水球を指差して驚いている。


「な、なんだ? 水魔法、多重展開……?」


「嘘だろ、魔導じゃねーか……」


 そこで喧騒が強くなったと思った瞬間、音が遠くなり、世界は、ぼくと泥石だけになったような気がした。


 時間が止まったようにすら感じる世界の中で、泥石は燃えるような目でこちらを睨み付けていて、ぼくはそんな泥石を嘲笑っていた。


(助けてあげようか?)



 ――負けませんっ!



 刹那、間近で泥石の声を聞いたように思った。


「はああっ!」


 泥石が叫び、その身体が新たに色鮮やかなエメラルドグリーンの光に包まれる。『神法』には属性を無効化する術は存在しない。それは『魔術』の領域だ。無効化(レジスト)できない……はずだ。

 辺りが強烈な神力に包まれる。これまでとは比較にならないほどの加護の力を集中させている。目を凝らして泥石を鑑定する。あまりの眩しさに目を逸らした瞬間、ちらついた鑑定結果は――


 ――かがやくすがた――


 見えたのはそれだけだ。ぼくの力じゃ鑑定できない何かが起こっていて、それが泥石に力を貸している。


「こ、このカルトがっ!」


 ぼくは驚きと呪詛の声を上げた。

 光り輝く姿が、真っ赤に燃える赤石の上を一歩、また一歩と踏みしめていく。



「「「うおおおおお!」」」



 正に『奇跡』。泥石の輝く姿に観衆は熱狂し、大気まで震えるような歓声が響き渡った。

 なんてこと。

 カルトの泥石が覚醒したとしか思えない。神法の域を超え、神力のみで熱をレジストしている。


「見なさい! 悪魔の子リトル・スノウ! これが神の力ですっ!!」


 目も眩むような光の中、泥石がドヤ顔で叫んだ。

 どうやら神は居るようだ。

 パーシが悔しそうに地団駄を踏み、ぼくは肩を竦めた。



「「「泥石! 泥石!!」」」



 熱狂的な泥石コールが巻き起こり、泥石は悪役令嬢みたいに高笑いした。


「おーっほっほっほ!」


 こんな傲慢な泥石に力を貸すなんて、この世界の神さまはどうかしてる。泥石は益々付け上がり、スキップするように赤石の上を歩いていく。

 パーシが呪詛の声を上げた。


「くそっ、泥石燃えろ! 燃えろおっ!!」


 そんなパーシの声が神さまに届いたのだろうか。泥石の『赤い服』。びらびらの長い裾から白い煙が上がっている。


「むっ!」


 危険な兆候にぼくは警戒を深める。


 その次の瞬間、溜まっていた何かを吐き出すように、泥石は火だるまになった。



「うぎゃああああああっ!!」



「プギャー!」


 パーシが火だるまになった泥石を指差して爆笑した。釣られてぼくも吹き出した。あまりに強く吹き出したので、少し鼻水が出てしまった。それぐらいおかしかった。

 さすが泥石、道化してるぜ!


「ぎにゃああああ!!」


 悲鳴を上げ、火だるまになった泥石が転がるようにして赤石の上を走り抜けると、その泥石を避けるように人混みが割れる。


「それっ!」


 すかさず、ぼくは空中で静止させたままの水魔法を泥石に向けて放った。笑い過ぎて的を外しそうになったのは秘密だ。


 泥石が火だるまになっていたのは、時間にして一秒足らずの事だ。凄まじい神力だったし、衣服が燃えただけで怪我はないと思う。おそらくだけど、神さまも調子に乗った泥石にムカついたんだろう。


 大きな水球が立て続けに三つ、揉んどりうって転がり回る泥石に命中して、辺りは水浸しになった。


「な、なんだあ!?」


「きゃあああっ!」


 この顛末に観衆は大騒ぎし、大量の水を被った赤石から吹き出した熱気と蒸気に辺りが包まれる。


「……」


 全ての視界が霧のような蒸気で包まれる中、ぼくは複雑な気分だった。


 結局、神は居るのか居ないのか。


 ぼくはまだ、答えを探さなきゃいけないようだ。


 回りの人たちは大騒ぎしていて、噴き出す蒸気から離れようと押し合い圧し合いしている。その人混みの中で、ぼくを庇うようにパーシが背後から抱き着いて来る。


「スノウ、危ないから動かないで」


「うん」


 真っ白に染まる世界。ぼくは守護騎士ノエル・パーシに守られていた。

 スキル『庇う』。

 守護騎士には護衛対象を守る為のスキルが充実している。彼女自身の頑強さもあるけど、押し寄せる人混みの中、ぼくを守るパーシは微動だにしない。


「……控え目に言って最高……」


 耳元でパーシが囁くように言って、ぼくはクスッと笑ってしまう。


 そのまま喧騒が去るのを待ち、ぼくは水飴を舐めながらパーシの手を取って、もうもうと立ち上がる蒸気の中を泥石の方に向けて歩いて行く。

 パーシが笑いながら言った。


「景気良く燃えたね」


「うん。火だるまになった時は、さすがにぼくも笑っちゃったよ」


 更に少し歩き、立ち込める蒸気の中で、放心してぼんやりと座り込んでいる泥石の姿が見えてきた。

 ぼくは水飴を舐めながら言った。


「泥石、大丈夫?」


「……」


 泥石は煤まみれになった顔で、ゆっくりとこちらに振り向いた。


「石渡りの儀、だっけ? 失敗したらどうなるの?」


「さあ……まだ四級でいろって神の思し召しになるんじゃないかな。やっぱり、ドロシーには早かったんだよ」


 パーシが面白そうに笑って、泥石の顔が怒りで真っ赤になった。


「リトル・スノウ! お前は――」


 その泥石の開いた口に、ぼくは水飴の棒を突っ込んで黙らせる。



「このマヌケ。文句があるなら、最後までお前を助けなかった神さまに言いな」



 今回は、引き分けってことにしておいてあげよう。


「その飴、美味しいね。ぼくも気に入った」


 証拠を残すほど馬鹿じゃない。

 ぼくが薄く笑って見せると、泥石もそこに思い至ったのだろう。涙目で飴を舐めながら、ぐぬぬと唸って黙り込む。


「元気そうだね」


 あちこち焦げ目が着いているけど、怪我がないようでなにより。


「……」


 水飴を舐めながら、涙目の泥石を鑑定する。


 ドロシー・メイデン。21歳。女。『修道女(シスター)』level 17。


 こんな上っ面の情報はどうでもいい。ぼくは更に目を凝らして泥石を鑑定する。


「な、なんですか? そんなに睨まなくったっていいでしょう……!?」


 『鑑定』というのは『覗き見』スキルだ。通常、目を合わせて使うスキルじゃない。でも、間抜けな泥石は、ぼくに『鑑定』されている事に気付いてないようだ。


 name ドロシー・メイデン


 Age 21


 class 聖女


 level 2


 以前、見た修道女(シスター)としてのレベルは変わらないのに、隠しジョブ『聖女』のレベルが上がっている。


 『赤法衣』への昇級がこれの為だとすると、『教会』というのもそう馬鹿に出来るような組織じゃない。


「ふうん……」


 ぼくは泥石から視線を切り、自身を鑑定する。


 name リトル・スノウ


 Age 18


 class ――


 level 12


 ぼくは鼻を鳴らした。

 こんな上っ面の情報はどうでもいい。ぼくの本性は……


 name ※リトル・スノウ※


 ――ユウキ・ミカゲ――


 lock level5(封印中)


 世界は貴方の名乗りを許さない。貴方が名乗りを上げるとき、貴方の真の仲間が駆け付ける。世界はそれを許さない。


 Age 18


 class ※――(なし)※


 lock level5(封印中)


 ――第三魔王――


 世界は貴方の本気を許さない。そして貴方は世界の神を許さない。貴方の本性は赦されざる者だ。貴方の本気は神によって封印されている。


 level 77


 ぼくはリトル・スノウ。


 この世界に君臨する第三の魔王。その本性は、『神』に対する『挑戦権』を持つ、赦されざる者。

 そして――

 大いなる世界の『復讐者』だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

リトル・スノウ異世界に行く! ピジョン @187338

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ