第18話 泥石がっ!

 明日のダンジョン探索を控え、パーシの兜を始めとしたジュリエやぼくの防具にも術式を付与して行く。

 ブーツや外套には、尖った岩盤に負けないよう、硬質化と自己修復の術式を施す。衣服の下に着込む帷子かたびらには『護り』の術式。これに指輪リングの効果と神官魔法の加護が相乗されれば、ちょっとしたものだと思う。


 二時間ほどして、肩が凝ったぼくは作業の手を止めた。


「……パーシ、まだやってるの?」


 難しい表情のパーシは、食卓代わりに使っているテーブルの前に置いた藁半紙のような質の悪い紙にぼくの教えた文字を書き込んでいる。


「うん……よし、こんな感じか……」


 パーシが睨み付けている紙には、大きく漢字で『巨乳』という文字が無数に書き連ねてあった。


「これであってる? 希少文字で私の名前を書くと、こうなるんだよね?」


「うん」


 ぼくは頷いて、大きく伸びをした。

 パーシは自ら書いた『巨乳』という文字を睨み付け、納得が行かないのか、頻りに首を傾げている。


「本当にこれでいいの? スノウが書いてた文字みたいに格好よくない気がするんだけど……」


「いや、あってるよ。ぼくの書いてる文字は、それとは少し違うんだ。そっちも教えようか?」


 異世界人でも漢字とローマ字の違いは分かるようだ。なかなか興味深い。


「え、ウソ。そっちも教えてよ」


「OK」


 ――Noel Persi――


「うわっ、格好いい! こっち、こっち! こっちにする!!」


「…………ちっ……」


 思わずぼくが舌打ちすると、パーシは訝しむようにぼくを見つめた。


「……今、舌打ちしなかった?」


「いいや?」


「そう? うふふ、これ、私のサインにしようっと」


 ぼくの悪戯は未遂に終わり、パーシはローマ字で描いた自分の名前を見てご機嫌だった。


「ちなみに泥石はどう書くの?」


 ――貧乳――


「あれ? さっきまで私が書いてた字と同じ字がある……」


「同じ字でも、読み方が違う場合があるんだ」


「そっか。その紙、貰っていい?」


 何に使うのか分からないけど、どうせロクでもない使い方を思い付いたのだろう。ぼくが頷くと、パーシは嬉しそうだった。


◇◇


 室内で出来る作業の殆どを終え、ちょっとした思い付きがあったぼくは、パーシと一緒に宿を出て市場が立っている街の中央へ向かった。


「何か買うの?」


「ああ、うん。お肉を焼く鉄板か網が欲しいんだ」


「…………焼き肉はしないよ」


 どうやら、以前やらかしたモンパレの一件をまだ忘れてないようだ。パーシがぼくを見る目は冷たかった。


「……へえ、そう……」


 いいや、するね。

 パーシは焼き肉をする。ダンジョンの中で焼き肉をする。例え、その後にモンパレが待っていたとしてもパーシは焼き肉をする。ジュリエも同じだ。ぼくが知っている二人は美味しいご飯に命を賭ける事を厭わない。というのが、この世界にはろくな娯楽がないからだ。パーシもジュリエも食事を楽しむタイプだ。二人は必ず焼き肉をする。


肝臓レバーを食べなくていいの?」


「むッ!?」


 パーシは露骨に視線を泳がせて動揺した。


「あ! あれ!? 無茶苦茶、美味しかったあれ!?」


「そう。アレ」


 ぼくが態と如何わしい言い方をしてもパーシは気にも留めず、顎に手をやって酷く難しい表情で悩み始めた。


「……仕留めた直後に解体して保存しておけば……」


「鮮度が命なんだ。あればかりは仕留めた人の役得だよ。ダンジョンから出たときには駄目になってるだろうね」


「うぬぅ……」


 命の危険と美味しい食事とを天秤に掛け、悩んでいるパーシは、ぼくには馬鹿丸出しにしか見えない。


「どうにかならない?」


「ならない」


 ぼくらは昨日行った鍛冶屋に向かい、そこで焼き肉用の鉄網を買った。

 難しい表情のパーシは大きな鉄の網をバックパックに詰めるのを手伝ってくれた。その間は酷く思い悩む様子だったのが笑えた。


 その後は石畳の道を広場の方向に歩いた。

 道中、お楽しみの買い食いタイムでは、露店で見かけた棒付きの水飴をチルドレンの分も含めて十本ほど購入した。


「はい、パーシの分もあるよ」


 今日のおやつは、割り箸のような二本の棒に練り上げられた水飴が付いている。棒でこねればこねるほど柔らかくなり、甘味が増すらしい。匂いを嗅ぐと、とうきびの薫りがして美味しそうだ。


「どうしたの、いらないの?」


「それは……」


 その水飴を差し出しても、今日のパーシは浮かない表情だ。眉間に皺を寄せ、水飴を睨みながら制止するように掌を向けた。


「ごめん、それはいらない。ドロシーの好物だからね」


「ドロシー? ああ、泥石ね」


 道を真っ直ぐ進んで行くと、徐々に広場に近付くに連れて人の数が増えて来た。

 もう教会の炊き出しは終わっている筈だし、人の数を訝しく思っていると、広場の中央辺りで何やら布教活動を行っているらしい泥石と何人かのシスタの姿が見えた。

 パーシが眉を寄せて言った。


「ドロシーのやつもいるな……」


「パーシは泥石が嫌いなの?」


 そのぼくの質問に、パーシはうんざりしたように首を振った。


「ああ、言ってなかったっけ……私とドロシーは同期なんだ」


「同じ年齢ってこと?」


「それもあるね」


 そこでパーシは足を止め、遠い目で空を見上げた。


「もう五年も前の話だけど……正式に騎士になる試練と、シスターになる試練は合同で、二人一組でやることになっててね。その時、私はドロシーと組まされたんだ」


「へえ……」


 パーシは虚ろな目付きになった。


「……ドロシーも、その時はまだ見習いでね。二人でダンジョンの五層まで潜って十日間耐えるってのが試練の内容なんだけど……あいつ、何も出来ないんだ」


「えっと、それは食事の準備とか、そういうこと?」


「うん、びっくりするぐらい何も出来ない。結界石を三つも失くすし、簡単な携帯食料の調理すら失敗するし、交代の不寝番じゃ居眠りするし……初日からずっと喧嘩ばかりしていたよ」


「そうなんだ」


 ぼくの返事に、パーシは重々しく頷いた。


「まったく。その辺りは半分でいいからスノウを見習って欲しかったよ。しかも、あいつ、失敗は全部私のせいにするんだ。最悪だったよ」


「ふうん……」


「あと一日試練が続けば、魔物じゃなく私があいつを殺してたね」


 真剣な表情でパーシは請け合った。


「あいつ、馬鹿だからバックパックに食料入れるの忘れて、その飴をしこたま持って来てたんだ」


「それは……狂気すら感じるね……」


「赤石も水石も持ってなかったんだ。本当にイカれてるよ」


 パーシは唇を噛んで怒り始めた。


「私が所持してた食料じゃ全然足りなくて、しかもあいつが足を引っ掛けて溢したから……くそっ、思い出して腹が立ってきた……!」


「それでどうしたの? 食料足りなかったんだよね……」


 口元を歪め、パーシはニヒルな笑みを浮かべた。


「五層には虫の魔物しか居ない。水場もなくてね……聞きたいかい?」


「え!? き、聞かないでおく」


 恐怖に震えるぼくを見て、パーシは満足したように深く頷いた。


「流石、スノウは賢明だ」


 それ以来、騎士ノエル・パーシと修道女ドロシー・メイデンには奇妙な縁があって、度々、任務を一緒にすることがあったらしい。


「ドロシーには、いつも酷い目に遭わされてたんだ」


「むう……ぼくが懲らしめてあげようか?」


 それについては冗談と受け取ったのか、パーシの浮かべたニヒルな笑みは変わらなかった。


「あぁ、面白そうだね……また豆モドキでも食べさせるの?」


「考えておくよ」


◇◇


 広場に着くと、人混みの向こうから、むわっと強い熱気が漂って来て、ぼくは不快感に眉をひそめた。


「なんだろう……魔力を感じる……」


 禍々しい気配は感じない。しかし、結構な量の魔力の流れを感じる。


「スノウ、ちょっと行ってみよう」


 人混みを掻き分けて進むパーシの背中に付いて行くと、周囲に漂う熱気と魔力は益々強くなった。

 やがて人混みが途切れ、ぼくの眼前に広がったのは、広場の地面に敷き詰められた大量の赤石だ。


「なんだ、これ……」


 息苦しさを感じるほどの熱気は、大量に敷き詰められたその赤石から発せられるものだった。転がる一つ一つに魔力が充填されていて、しかも効力が発動している。


 人混みはその大量の赤石を囲むように形成されており、様々な人種の人たちが何かしら期待するような視線を修道女の集団に送っている。

 パーシが苦々しい表情で呟いた。


「……ドロシーのやつが、何かやらかすみたいだ……」


 その泥石だけど、この日はやたら裾の長いびらびらした赤い服を着ていて、ちょっと気合いが入っているように見えた。


 簡素な青色の衣装を着た修道女六人が膝を折り、気合いの入った泥石を中心に、なにやら加護のまじないを捧げている。

 パーシが呻いた。


「赤法衣……ぐ、あいつ階級が上がったんだ……」


 修道女……というか、『神法』を使う神官には五つの階級があり、『第一級』が最上級の階級。この場合、泥石が着ているのは赤の法衣。


「ほええ……すごい……三級か……」


 赤法衣を纏う第三級の神官、及び修道女は新たに『教会』を開く事ができる。つまり泥石はカルトとしての位相が上がり、教祖になる資格を得たという事になる。


 胡散臭さ満点だ!


 特大の汚物を見るように眉間に嫌悪の皺を寄せているパーシの横で水飴を捏ねながら、ぼくは、お調子者の泥石を出世させるという暴挙を行った『教会』という組織に感心していた。


「泥石が一人前か……世も末だねえ……」


 パーシと二人並んで得意げな表情の泥石を見つめていると、不意に目が合った。


「うっ……」


 とパーシは呻き、泥石の視線を躱すように一歩退いた。


 広場に敷き詰めた赤石越しに、イキった泥石がない胸を偉そうに張っていて、ぼくは少しイラッとした。


 つい中指を突き立ててしまったのは、条件反射のようなものだ。ぼくは悪くない。


 泥石は右手でしゃしゃっと聖印を切り、ぼくを指差して叫んだ。


「来ましたね! 悪魔の子、リトル・スノウ!!」


 ざわ、と周囲の人たちがざわめき、泥石の指差した方……ぼくをまじまじと見つめる。


「悪魔の子だって……?」


 周囲から不躾な視線を受け、居心地が悪くなったぼくは、本格的にイラついた。


「泥石がっ……!」


 そのイラついたぼくを庇うように、パーシが慌てて前に出た。


「や、やぁ、泥……ドロシー」


 稀人のぼくは、一応保護対象に指定されている。この国の騎士であるパーシが居なければどうなった事か。泥石の不用意な発言で立場が一気に不味くなった。


 お調子者の泥石は、強い加護を受け、エメラルドグリーンに輝く金髪をかき上げた。


「……おや、その悪魔の子すら誑かす毒婦も一緒でしたか……」


 パーシは唇をひくつかせながら、その場を誤魔化すように咳払いして、更に一歩前に出た。


「ドロシー。『赤法衣』、おめでとう……」


「ふふん、心にもないことを」


 泥石は第三級に昇格して余程嬉しいのか、不用意な発言を止めない。ぼくとパーシを見つめる周囲の目は益々白く冷たくなった。


「それで、悪魔の子リトル・スノウ。今日という輝かしき日に、お前は何をしに来たのです」


 ジュリエを離すべきじゃなかった。そう後悔するぼくの前で、お調子者の泥石は、指先で何度も聖印を切った。


「……これはシスタ。第三級への昇格、おめでとうございます……」


「ふふん、お前に言われても嬉しくありませんね。この前の仕打ちを私は忘れていませんよ」


 あれは泥石が勝手にやった事だ。ぼくは何もしてない。だから、中指を突き立ててしまうのは仕方のない事だ。


「なんですか、その指は」


「……ぼくの世界では、こうして貴人に敬意を示すのです」


 勿論、でっち上げだ。でもチョロい所がある泥石は、困ったように目尻を下げ、軽く咳払いした。


「そ、そうですか。殊勝な態度ですね。お前の世界の事は知りませんが、私も謝意を返すべきですね……」


 そう言って、泥石がお返しと言わんばかりに中指を突き立てて見せたので、ぼくは爆発しそうになった。


 こいつう!

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