第17話 リトル・スノウとノエル・パーシ

 近いうちに必ずジュリエの魔核は再生させる。それから、チルドレンは全員一人前にする。

 なべて世はこともなし。

 ジュリエに関しては、そもそもが進化の条件を満たしていると考える。何せ、同じ環境の同胞が進化を遂げている。それらに比べ、ジュリエが劣っているとは思わない。だとすると、今の彼女に足りない物は精神的なブレイクスルーだろう。これに対する考えはある。

 チルドレンに関しては基礎的な教養が必要だ。この世界の文字や数字を読めればぼくがやってもよかったけど、生憎ぼくは読み書きが出来ないし、この世界の事情に関しても疎い。教会の手を借りる必要があるだろう。それに関しても考えはある。

 あえて問題点を挙げるとすれば、ぼくの中にある若干の苛立ちだろうか。

 食事を摂る時間は自省を促す事に使った。

 急ぐ事に、なんの意味もない。

 噛み締めたパンは固く、舌の上で砂を噛むようにざらついていた。


◇◇


 朝食を済ませ、宿の受付でジュリエやチルドレンと別れた。

 その際、パーシの目の前でジュリエに改めてチルドレンの護衛と自己防衛の許可を与えた。なるべく避けてほしいけど、緊急を争う場合、或いは手加減できないと判断した場合には対象の殺害も許可した。


「チルドレンもそうだけど、一番大切なのは君の命だ。勿論、逃走も許可する」


 事実上、完全委任の指示だったけど、これにパーシは頷いて見せ、特に異論を述べなかった。


「スノウも居ないし、そんなところだろうね」


 ジュリエは探索者リトル・スノウの所有物であり財産だ。首にはギルド認定の鑑札を兼ねた首輪が掛かっている。これは法的にも保護されていて、ぼくの指示に違法性はないというのが騎士(パーシ)の見解。


 続けて、アマンダとインギィに新しく作ったリュックサックのインベントリを与えた。中には保存食の材料になる食材が入っている。容量は少ないしこの世界では普遍的な物だけど、一応『魔道具』の部類に入る事から、これに関してパーシは眉をひそめた。


「……スノウが作ったの?」


「うん。駄目だった?」


「そうは言わないけど……」


 ぼくが何処までの物を作れるのか。パーシが気にするのはそこだろう。表情は険しかった。


「昼食は皆で食べよう。昼過ぎに誰かよこして」


「……」


 ジュリエは返事代わりに視線を伏せ、黙礼した。


◇◇


 チルドレンを引き連れ、ジュリエは先日の河原に向かった。主な仕事はダンジョン探索に必要な保存食作成と数日分の洗濯物。


 ぼくはパーシと二人になり、受付のおばさんにそのまま部屋に残り、新たにもう一泊する旨を告げると嫌がられるかと思ったけど、宿泊費は先払いすると言うと逆に喜ばれた。

 おばさん曰く、部屋が空いていて困っているとのこと。収入が確定するぼくの申し出は、向こうとしても望む所だったようだ。

 ただ、清掃があるので隣の部屋に移るようお願いされたのでそれには従った。ここでぼくが抜け目なく、チルドレンの大部屋を先払いで貸し切る代わりに食費を値切るとパーシはクスクス笑っていた。


 交渉の結果、おばさんは食費を半額にしてくれた。子供が多くあまり食べないから、それくらいならという感じ。最後は、おばさんも笑っていた。

 そして――

 新しく空いていた二人部屋に入ると、パーシはすぐさま装備を脱ぎ捨て、キャミソールのような肌着とパンツ一枚の姿になった。


「……もう、パーシははしたないね」


「スノウだって寝巻きのままじゃないか。私だって楽な格好がいいよ」


「ぼく、男だよ?」


「それも今さらだよ」


 まあ、パーシとは一緒にお風呂に入った仲だし、抱き枕をやってもらった事もある。言い分は尤もだった。


「そう? まぁ、いいや。それじゃ、ぼくは作業するけど、パーシは好きにしてていいよ」


「うん、そうする」


 頷いて、にっこり笑ったパーシは後ろに手を組み、ぼくの肩に顎を乗せた。


「……二人きりだね」


「パーシが性的に迫るので困っています」


 ぼくは肩を竦め、早速机の前に陣取って術式付与の作業を開始する。


 まず、パーシのエッジ級鉄兜を取り出して構造を調べる。


「……面頬と『ひさし』の部分が外せるね……兜の本体部分に自己修復と軽量化の……って近いよ」


 椅子に腰掛けたぼくの背中に抱き着く格好になったパーシが、頬を引っ付けるようにして手元を覗き込んで来るので少し鬱陶しい。


「性的に迫っているんだよ」


「はいはい。ちょっとこれ見て。意見を聞かせてほしい」


 とりあえず兜は置き、試しに作った巻物(スクロール)をバックパックから取り出して手渡すと、パーシの眉が険しく寄った。


「……魔力の流れを感じる。これ、使えるやつだ。作ったの?」


「まあね。でも、固定できないんだ。だんだん魔力が抜けちゃう。なんで?」


「……」


 そこで真剣な表情になったパーシはぼくから離れ、スクロール片手にベッドに腰掛けた。


「本気で言ってる?」


「勿論、本気だよ。ただ二日ぐらいしか持たないし、モノによっては一日も持たない。実用化には向かなくてね」


「…………こんなペラッペラの紙を使うからだよ。羊皮紙を使うんだね」


「ああ、あのくそ高い紙か。何に使うのかと思った」


 市場や万屋でも見掛けた紙で、なんと一枚が一銀貨(一万円)もする超高価な紙だ。ゴツくて固くて重たくてお尻を拭くのには向かない。

 パーシは難しい表情で緑のスクロールを睨み付けている。


「……これは回復のスクロール?」


「使っていいよ」


 使用するには、開いてもいいし破ってもいい。ぼくお手製の簡単スクロール。難点は日保ちしない事と、脆いから暴発しやすい事。


 眉を釣り上げたパーシが怒ったようにスクロールを破り捨てると、回復を示すエメラルドグリーンの淡い光がパッと散る。


「三級」


「ご名答」


 ちなみに二級以上の魔法を閉じ込めようとすると即座に紙が燃え上がる。


「紙に回復魔法を『閉じ込める』のは二人の術者が必要だ」


 回復魔法を使う『神官』、魔力印を刻む『付与師』。


「魔筆があれば誰でもできる?」


「ここに魔筆なんてない。スノウが持ってるのは、向こうから持ってきた、えっと……さいんぺんだっけ?」


 パーシは任務の性質上、ぼくから離れない。彼女と一緒にダンジョンを探索する以上、能力を隠し通す事は不可能に近い。言っておくべきだった


「……」


 パーシは黙り込み、その間、ぼくは鉄兜に幾つかの術式付与を行った。

 注文を受けていた軽量化と自己修復の付与を行い、サービスで幾つかの状態異常に対する耐性を高める術式も付与しておく。

 暫く考えたあと、厳しい表情でパーシが言った。


「リトル・スノウ。君を騎士団で保護したい」


 そら来た。ぼくは作業の手を止めず、頷いて見せた。


「パーシが必要だと思うなら、いいよ……」


 パーシは激しく舌打ちした。


「必要だね。ああ、必要だとも。スノウは無防備すぎるところがある。不安だね! すごく不安だ!」


「そう……」


 そこで、ぼくは作業の手を止め、左目に着けたルーペも取り外し、改めてパーシに向き直った。


「ぼく、どうなるの?」


「スノウを教会に渡したくない。騎士団の兵舎に住んでもらう。以降は私と同等か二級以上の騎士が二名護衛に付く。自由はなくなるけど、生活に不自由はさせないって約束する」


「……」


 そしてぼくは騎士団の仕事をする羽目になる。武器防具の製造や各種巻物の作成。戦争のお手伝いをする羽目になる。

 ここが正念場だ。

 ぼくはこの世界でやらなければならない事がある。パーシを説得し、行動の自由を確保しなければならない。


「……ダンジョンに潜りたい」


「駄目だ」


「猿の手がほしい……」


「……」


 ぼくには叶えたい事がある。彼方の世界では不可能だった事が、この世界では可能だ。

 神さまの挑戦を受けねばならない。今度こそ、ぼくは勝利して――

 パーシは殆ど睨むようにしてぼくを見つめている。


「今まで隠してたのに、なんで私に話した。なんで隠さない」


「パーシだから……」


「……!」


 パーシはガツンと床を蹴り着け、牙を剥いて怒鳴った。


「それだ! 時々、スノウは怖いぐらい隙がある! 黙っていればいいものを……!」


 彼女に似たひとを知っている。いつだって、ぼくの為に怒ってくれたひとを知っている。


「ごめんなさい……」


 ぼくは彼女に説教された時と同じように俯いて、けど真剣に話を受け止めた。

 パーシは苛々したように言った。


「絶対に逃げないって誓うんだ。そうしたら暫く猶予をやる」


 結局、彼女は譲歩する。分かっているんだ。


「……分かった」


「巻物(スクロール)を含めたあらゆる魔道具の売買を認めない」


 なんだかんだ言いながらも、結局彼女は譲歩する。分かっているんだ。


「分かった」


 スクロールは、ちょっと痛いかな。でも、妥協できる範囲だ。

 なべて世はこともなし。

 ぼくは彼女(パーシ)を知っている。


◇◇


 それから暫く。

 苛立ちが治まらないパーシは腕組みしたままで部屋中を歩き回った。


「言っておくけど、私はまだあの事も怒っているよ」


「……パーシもしつこいね」


 騎士団に滞在した一週間、四日間はパーシがぼくの抱き枕だった。五日目からはそうじゃない。ぼくはパーシに目を付けられていたし、必要だと思ったからやった。後悔はしてない。ちなみに六日目と七日目も別の娘が抱き枕だった。

 勿論、後悔はしていない。

 一週間の保護期間中、ぼくを嫌う人も居たけど、気に入ってくれた人もいた。そんだけ。


「リトル・スノウは淫売だ」


「ああ、うん。そう言われたことある」


 騎士団に所属する女の人は、パーシを含めて全員真面目。ぼくの前ではガチガチに緊張していて、野暮ったくて、慣れてない癖にあの手この手で誘ってくれた。

 あんまり微笑ましいから、全員の誘いを受けた。あと一ヶ月もあれば人間関係メチャクチャに出来たんだけど、結局これが原因で騎士団から追い出された。

 ぼくはまたルーペを着け、作業に戻った。


「……コボルトはどう?」


 尖ったパーシの声を聞いて、不意に思い出したのは奴隷商(ミギー)の言葉だ。



 ……犬人(ワードッグ)の女は、人間と相性が良くない。やめた方がいい。



 弱者に対する保護欲が旺盛で、時にその存在に強く執着する。その性質は特に人間の異性に向かう傾向がある。場合によっては良いとも悪いとも解釈できる。ミギーが言ったのはそういう事だ。狼人(ワーウルフ)の性質については分からない。でも、ろくなものじゃないって事はなんとなく分かる。


「……あのコボルト、最初見たときと雰囲気が変わったね。なんというか……明るくなった。何かあった?」


「ああ、それなら……」


 ぼくは、ジュリエが魔核に致命的な損傷を受けている事実を話した。知っている方がいいと思ったからだ。


「……そうだったのか。あと二年で……」


「うん。もし進化出来れば、魔核が再生される可能性はあるけど……」


 ジュリエを不憫に思うのか、パーシは視線を伏せて考え込む様子だった。


「でも、何か打つ手はあるんだろ?」


「まぁ、思ってる事ぐらいはあるよ」


 そこで、またパーシは厳しい表情になった。


「魔物を意図的に進化させた者に、帝国法は死罪を適用している」


「そんな方法、ぼくが知ってる訳ないよ」


「どうだか」


 親しくするし馴れ合いもするけど、パーシとの関係は付かず離れずがベスト。

 これでいい。

 ぼくは肩を竦めた。

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