第16話 リトル・スノウはご機嫌斜め!
翌朝、目を覚ましたとき、まだベッドにいるぼくに背中を向け、部屋の隅でごそごそやっているジュリエの姿が目に入った。
「……?」
床にひれ伏したジュリエは拝むように手を擦り合わせ、何やら祈っているようだった。
短身のジュリエがそうしているのはコミカルで、その姿は、いんちきなまじない師が怪しげな祈祷をやっているようにしか見えない。
「……」
ぼくはもう一度横になり、何やら拝み続けるジュリエの背中を見つめていた。
結構堂に入っている。
コボルトの神さまは知らないけど、祈りを捧げる行為自体は慣れたもののように見えた。毎朝の日課なのかもしれないけど、いつも彼女に起こされるぼくには分からない。
(……まぁ、いいや。夢の中では、せめて平和を……)
ぼくはもう一度目を閉じ、二度寝の幸福に身を任せた。
◇◇
……きて
……起きて下さい。
この日も、再三の呼び掛けにぼくは目を覚ます。
――おはようございます。リトル・スノウ。
しょぼつく目を擦り、大きく欠伸するぼくの前で、今朝もジュリエが膝を付き、恭しく頭を下げている。
「おはよう、ジュリエ」
今日も新しい一日が始まる。
ナイトローブ姿のジュリエは目尻が下がったままで、まだ兵士としてのスイッチは入っていない。そういう時、彼女はぼくの事を名前で呼び、口調も少し甘えたものに変わる。
ジュリエは戦士であると同時に、自分が『女』である事を大事にしている。どちらの彼女もぞんざいに扱う事はできない。とても重要な事だ。
今朝もジュリエは忙しなく、しかし嬉しそうにぼくの世話を焼く。
絞った布巾でぼくの顔を拭い、自分の髪はそこそこにぼくの髪を櫛で梳く。そんなジュリエは終始笑顔で、とても幸せそうだった。
――どちらのお召し物になさいますか?
ボタンの付いた綿のシャツと貫頭衣を差し出し、今朝のジュリエは一段とぼくの世話にご執心。悪い気はしない。
「今日は、このままでいいよ……」
――もう少し、ゆっくりなされますか?
「ん……パーシの兜に術式付与しなきゃ行けないし、他にもやりたいことがあるから、今日はここに居る……」
そしてぼくは寝惚けた頭でつらつらと今日の予定を語り、ジュリエは紙を取り出してメモを取っていた。
――子供たちに保存食を作らせるのですか?
「……そう。あと、洗濯物が溜まってるから、それもやらせるといいよ。場所はこの前の河原でいいんじゃない? 少し心配だからジュリエは付いて行ってあげて……」
ぼくの方はパーシがいる。彼女は任務の性質上、ぼくから離れない。外出の予定がない以上、チルドレンのお守りにジュリエを差し向けるのはある意味仕方のない事だ。
「……ごめんね。お昼は一緒に食べたいから、ぼくがそっちに行くよ……」
ジュリエは少し不服そうに唇を尖らせたけど、理屈は分かるらしく、頷いてくれた。
「それと……アマンダとインギィの二人は稽古付けてあげて……」
ぼくらがダンジョンを探索している間、幼少組を守るのはこの二人になる。たとえ今は付け焼き刃だとしても、訓練はしておくべきだ。
ぼくはまた欠伸して、バックパックを指差した。
「ふぁ……試作品のスクロールがあるから、少し持って行きな」
――
「そう、三級の回復神法を閉じ込めてある。それと、ええと……マルセロだっけ? アマンダが揉めてるやつ?」
――全然違います。レヴィンですね。
「む……なんでもいいよ。そいつが来たら銀色のスクロールを使って……」
寝起きで、ぽうっとしていると、ジュリエが困ったようにぼくの乱れたナイトローブの襟元を整えてくれた。
――銀色のスクロール? いつの間に……ちなみに、どのような魔法を閉じ込めました?
「……時空魔法。ルイーダの酒場に飛ばしてくれるよ……」
対象を遠くに飛ばす時空系の魔法。場所を『ルイーダの酒場』に設定したのは冗談だけど、できたんだからルイーダの酒場はこの世界の何処かに存在するのだろう。……多分。
二度寝の影響か、今一シャキッとしないぼくが、また大きく欠伸したところで部屋の扉をノックする音が響いた。
「…………」
す、とジュリエは目を細め、一瞬後には兵士の顔になった。
――子供たちです。
『気配察知』。索敵範囲が広く優秀なコボルトの種族固定スキル。姿を見ずとも、気配である程度対象の情報をえる事ができる。
「……いいよ。入れてあげて……」
頷いたジュリエが扉を開くと、萎縮したように身体を小さくしたアマンダとインギィの二人が部屋に入り、二、三歩歩いた所でぼくを見て固まった。
「おはようさん……」
「……」
アマンダとインギィは答えず、瞬きすらせずにぼくを見つめている。
「……今日の予定はもう立ててある。二人は字が読める?」
「そ、それならあたしが、少しですけど……」
そう言って進み出たのはインギィの方だ。
「……そう。今日、ぼくはここにいるから、後はジュリエと一緒に……ってなに、じっと見て……目潰しするよ……?」
「……え? あ、はい。どうぞ……?」
等と言うアマンダとインギィの喉がゴクリと鳴って、ぼくは首を傾げた。
そんな二人と見つめ合ったまま、ベッドに腰掛けた姿勢で足をプラプラさせていると、やって来たジュリエが溜め息混じりにぼくのローブの襟首を整え、腰から下を覆い隠すようにシーツを掛けてくれた。
――二人は、主に劣情を抱いています。
ジュリエは呆れたように首を振った。
――もう少し、他者から見た己がどう見えるか考えた方がよろしい。
相変わらず、アマンダはぼくの首筋と鎖骨部分に強い興味を持っている。インギィの方はぼくの『ふくらはぎ』と『胸元』に関心があるようだ。ふくらはぎは、なかなかマニアックで将来有望だと思った。
「エロい子は嫌いだ……」
そう呟くと、赤面したアマンダとインギィが慌てて目を逸らした。
◇◇
食堂の一角にある大きなテーブルを占領し、チルドレンたちと食事を摂る。街の中心からやや外れた宿であるせいか宿泊客は少なく、人影は疎らだった。
たまには静かな朝も悪くない。
朝食はバイキング形式。料金は七人で銅貨四枚と財布に優しい価格。しかし……
「家を借りなきゃね……」
山盛りのフルーツにミルク。大麦のパンにハムとレタスを挟んだサンドイッチに齧り付き、ぽつりと呟くと、アマンダが耳を立てて反応した。
「……家、すか?」
ぼくは頷いた。
「このままじゃ、宿と朝食だけで月の出費が四金貨近くなる」
一銅貨が千円。一銀貨が一万円。一金貨が十万円。この日の宿泊費が食費込みで一銀二銅貨。つまり一万二千円。一ヶ月で約三十六万円=三金六銀貨。三十六万シープということになる。
「え、そ、そんなに!?」
ダンジョンや探索ギルド、市場が並ぶ商店街へのアクセスがいい場所なら宿泊費だけで一ヶ月五金貨以上の出費となる。更に必要雑貨や食費、武器防具等の購入を考えれば……
「……くそっ、ボビーめ。足元見やがって……」
探索ギルドに預けている金貨一〇〇枚は資本金で、これが目減りすれば、それに比例してぼくの価値も低くなる。要するに動かしづらい金だ。経費削減の為に家を借りるのは最早必須条件と言える。
「す、すみません……」
別に謝罪して欲しかった訳じゃないし、まだ焦る段階でもない。返事代わりにフルーツの種を指で弾いて飛ばすと、アマンダの額にぶつかった。
「働いて返すんだね。あと、簡単な計算ぐらい出来るようになれ」
特にチルドレンたちと馴れ合うつもりはない。そもそも、ぼくはそんな優しいタイプじゃない。気休めの言葉や慰めに意味なんて感じない。
「あ、あの、リトル・スノウさんは、男だったんですね……」
「いけないかよ」
空気を読まないインギィにもフルーツの種を飛ばすと額に当たって跳ね返り、猫人のルネが飲んでいたスープカップに入った。
「おや、リトル・スノウはご機嫌斜めだ」
そこで揶揄するような声がして、視線を向けると、大量の料理を盛り付けた皿を持ったパーシと目が合った。
「出たな、このタカり屋め」
「こいつはご挨拶だね」
挨拶代わりの皮肉を軽く流して見せたパーシは、鉄の胸当てを身に付け、下は薄い金属板が張ったグリーブにゴツい革のレギンスでやる気満々だった。
「生憎だけど、今日も準備に充てるよ」
「ウソウソ! こっちは気合い入ってたのに!!」
「……その装備も、少し手を入れておきたいって言ったら……?」
「うん、準備はしっかりとするべきだ。準備の失敗は失敗の準備とも言うからな。リトル・スノウは賢明だ」
「これだよ……」
ぼくが肩を竦めると、現金なパーシがにっこりと満面の笑みを浮かべ、そこでジュリエが吹き出した。
チルドレンたちも笑いを堪えられないようで、口元を隠して笑っている。
魔法銀の入手、孤児の自立支援組織設立、ジュリエの魔核再生に拠点の確保。新しく金策もしなきゃならない。
やれやれ、とぼくは息を吐く。
課題は山積みで、その全てを厄介に思う。でも同時に、その全てに強い興味をそそられてもいる。
ぼくはまだ始まったばかりだ。
さて、これから何をしてやろうか。どんな悪さをしてやろうか。
ぼくはリトル・スノウ。
ちょっとエッチいコボルトをお供に連れて、明日を夢見る探索者だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。