第15話 ジュリエ・ヴァルキュリア

 犬人(ワードッグ)のアマンダとインギィ、猫人(ワーキャット)のルネ、兎人(ワーラビット)のココの三人に毒消しと回復の術を使った後、少し気になる事があったので、ぼくは彼女たちと会話の時間を作った。


「……食事もぼくの方で提供するから、もう川原の草は食べないように。それと……エルヴィンだっけ?」


「レヴィンですか?」


「そう。君らは、そいつと揉めてるの?」


 アマンダが言うに、ココの負傷は下らない縄張り争いの結果によるもののようだ。


「今回の話が纏まれば、向こうも簡単に手出し出来なくなる筈さ。それまでは無茶しないように」


「「はい」」


 アマンダとインギィが異口同音に応え、頷いたのを見て、ぼくはレヴィンとかいうガキ大将の話を打ち切った。


 そしてチルドレンを追い払ってしまうと、ジュリエはいつものように戸締まりを確認した後、兵士としてのスイッチを切ってしまう。


 兵士としての時間が終わり、ここからはプライベートな時間になる。


「……」


 ジュリエは何も言わない、というか喋れないし、ぼくも何も言わない。こういう時、指輪は不便でジュリエの大きな期待が伝わって来る。


 ぼくはいつものように机の前に陣取って、パーシに預かった鉄兜に術式付与の作業をしようとして……思い直した。


「……おいで、ジュリエ」


 何処かしらこそばゆそうな笑みを浮かべ、小さく頷いたジュリエがぼくの膝に腰掛ける。


「……」


 ジュリエが強く魅力を感じるぼくのパーツは、『うなじ』と『髪』だ。その部分に強い視線を感じる。


「……ジュリエは……ぼくに良くしてくれるよね。なんで?」


 護衛としても秘書としても、ジュリエの働きは、ぼくの期待を大きく超えている。実のところ、そこまで期待していなかったというのが本当の所だ。


 尊厳も矜持も何もかもを無視して、奴隷商人から彼女を買ったのだ。ぼくはそれを理解しているつもりだった。


 そろそろと遠慮がちに伸ばした指先でぼくの髪に触れながら、ジュリエがうっとりと見上げて来る。


 ――例えば……例えば、です。


 指輪からジュリエの真摯な思いが伝わって来る。


 ――例えば、目の前に可憐な異性がいます。ちょっと性格に難がありますが、愛らしく、聡明でふしだらで、非常に魅力的で、我の存在に理解のある異性です……。


「ふしだらは余計だね……」


 ――何でも出来ますが、一方でとてもか弱い。戦士としての我の力を頼ってくれてます。守ってくれと言ってます。奮い起たない訳がない。


 ――戦士としての働きが終われば、女として可愛がってもくれます……。


「ぼくは人間だ。コボルトじゃないよ」


 ――主は異性から見た己がどのように映るか、まるで理解していない。種族の違いこそあれ、男女の機微に違いはないです。


「そういうものなの?」


 ぼくから見たジュリエは、ちょっと毛深いだけの女の子に過ぎない。彼女から見たぼくも、似た感じに映るのだろうか。


 見つめ合っていると、指輪を通してジュリエの様々な思念が流れ込んで来る。それは言葉を交わす事とは違い、まるで一枚の絵を見るような感覚だった。


 ジュリエは、このザールランドの東にある『罪人の森』出身のコボルトだった。

 幾度か異性との巡り合わせもあったけれど、子を成す事が出来ず、その内『雌』としては見られなくなったそうだ。

 その後、兵士としての生に生き甲斐を求めるようになった。人間の言葉を解するようになったのは、里長の命令で二年ほど『魔女』に仕えた時期があって、その時だ。


「魔女」


 新しいワード。思わず呟いて、ぼくは暫し考え込む。その存在には、一度会ってみたい。


 ――苛酷でした。一日中玉ねぎの皮を剥くよう命じられたり、身の丈を超す魔獣をけしかけられたり……。


 理不尽な命令に何人もの同胞が倒れ、命を失う中、生き残った者は高い知性を得るようになった。魔女が提供した不思議な食事が原因だ。任期が明け、里に戻ったジュリエは『兵士長』になった。十人程の部下を持つようになったけど、男のコボルトが倍の部下を持っていた事と比べると幾分不遇だったようだ。


 砂漠を越え、北西にある『トリスタン』の国からやって来たエルフとの間に戦争が起こったのは、今から一年前。

 半年程を戦い、敗れた里は焼き払われ、魔核に致命的損傷を受けたジュリエは捕縛の憂き目を見た。


「まかくに、ちめいてき、そんしょう……」


 ぼんやりと呟くぼくに、ジュリエは静かに頷いて見せた。

 後二年ほどで力を使い果たしてしまうこと。そうなれば死んでしまうこと。生まれ故郷の里を焼き尽くし、自分を奴隷として売り払ったエルフを強く憎んでいること。


 それは一枚の絵のように、ぼくの心に直接伝わって来る。


 絶望と怒りに暴れ狂ったジュリエは、躾の名の元に奴隷商人に折檻されるようになった。

 半年に渡って日常的に痛め付けられ、罵倒される日々はジュリエの戦士としてのプライドをへし折り、代わって絶える事のない憎悪を植え付けた。

 この世界の全てを憎んだ。

 同胞からは女として見られず、故郷を失い、戦士としても生きられない。何もかも消えてなくなればいいとさえ思っていた所に、ぼくが現れた。


 ――主が稀人なのは、匂いですぐ分かりました。


 その瞬間、ぼくはジュリエの心を理解した。


 この世界の全てを憎む彼女にとって、他の世界からやって来たぼくの存在は救いだった。必死に媚びへつらい、気を引いたのは、そこにしか己の居場所がないと思ったからだ。


 戦士としての待遇を得、休息の間は女としての幸せを得る。


 ――今は、満たされています。


 達観したように微笑むジュリエはとても儚げで、しかし何処か満足そうに見えた。


「……魔核を直す方法は……?」


 ――進化できれば、或いは魔核が再生されるやもしれません……。


 やらなければならない事がまた一つ増える。ぼくは憤り、大きな溜め息を吐き出した。

 いつもそうだ。

 上手く行っている時に限って水を差される。だからぼくは、運命とか神さまとかいうのが、大嫌いなんだ。

 ぼくは、厳かに言った。


「ジュリエ・ヴァルキュリア」


 その名を、はっきりと口にしたのはこの時が初めてだ。このままジュリエが果てる事を許さない。運命も神さまも踏みつける。彼女はぼくの戦乙女(ヴァルキュリア)。


「君は、ジュリエ・ヴァルキュリアだ」


 ジュリエはその場に伏し、額をぼくの足の甲に押し付けた。


「君の死と消滅を許さない」


 ――拝命しました。ありがたき幸せ。


 王様のように傲慢に、ぼくは鼻を鳴らした。


◇◇


 その後、ぼくらはお互いを気遣うように入浴し、身体が完全に乾くまでの時間は、暖炉の前で燻製肉を炙って食べたり、乾果を齧ったりして過ごした。


 ――時に、主。ヴァルキュリアというのはなんです?


「戦乙女」


 ジュリエに限った事ではないけれど、ぼくの言葉は時々通じない事がある。おそらく、ぼくはこの世界の言葉を喋っているのではなく、何かしら違った方法で意思の疎通を行っているのだろう。


 ぼくはプレイした事があるゲームを参考に、『戦乙女』についてジュリエに語った。


「戦場で生きる者と死ぬ者を選別する女性。神の使いとされているけど、一方で人間の恋人として語られる事もある。強くて美しい」


 ゲームとしての話だ。半分は冗談だったけど、ジュリエは真剣に聞いていた。


「その話だと、戦乙女には必殺技があってね……」


 この夜に起こった事が、とてつもない意味を持っていたなんて、今のぼくに分かる訳なんてない。色々盛って、面白おかしく語って聞かせた。


 ――必殺技?


「そう。その名も、『神技』ニー◯ルン・ヴァ◯スティ!」


 ――神技! そ、それはどのような技なのですか!?


 こうして優しい夜の時間が流れる。

 指輪が意志疎通を可能にし、初めての夜だ。互いの理解が深まり、ぼくらは様々な意見を交換しあう。


「しかし……進化か……それって、どうするの? 何かしら条件とかあるんだよね?」


 ――里には何人か進化を遂げた同胞もいましたが、正確な所は分かりません。


「でも、言い伝えぐらいはあるよね。例えば、Hしまくって精力を集めるとか……」


 自分で言ってなんだけど、それはどんなエロ本の話だろうって思った。

 でも、この当てずっぽうの提案に鼻息を荒くしてジュリエが頷いた。


 ――リトル・スノウ! 素晴らしい閃きです!


「……ジュリエがやってみたいだけだよね……」


 ――あれは素晴らしいものです。長くすれば、きっと閃きがあるでしょう!


「ないよ。そんなもの」


 ――いえいえいえいえ、主は勘違いしておられます。そもそもあれは長い時間続けるもので……


 やりまくる、という案を捨てられないジュリエを前に、ぼくはやれやれと内心で息を吐く。


 種の限界を超え、人間に近い知性を持つジュリエをして、種族欲求とは無縁でいられないようだ。

 そして――

 暫く話し合ったものの、結局、進化に関してジュリエから目ぼしい発見や疑問の話は聞けなかった。


「まぁ、心当たりがない訳じゃない。そこを当たって見るかな……」


 ジュリエが目を潤ませ、ぼくの肩にしなだれかかって来る。


 ――主は、思い当たるところがあるので?


「……まぁね」


 ぼくは頷いた。

 騎士団に保護されていた際、割り振られた部屋の本棚に無造作に突っ込まれていた一冊の本。


 ――ボイニッチ手稿。


 パーシ曰く、この世界に数多ある奇書、禁書の一つ。意味不明の言語と図説が並び、発見より数百年経って未だなお解読されていない。

 奇書ボイニッチに関しては教会で公開されており、そこにあったのは写本だ。大昔、稀人の冒険者が書いたとされる未解読の古文書だ。

 中身は殆ど眉唾物の内容だったけど、それで、ぼくは『猿の手』の情報を得た。


 ……悲しみの海を越え、絶海の孤島『静謐の島』に眠るとされる星の船。


 ……砂漠に転がる岩の真球『ロゼッタ』。


 ……海から引き上げられたというアティキティラの機械。


 ……二千年も昔に失われた『神の名』。


 ……失われた古代魔法。


 泥石やパーシに、ボイニッチが読めるかどうか尋ねられたけど、ぼくは「分からない」フリをした。こんなものの中身が知りたいなんて、馬鹿だと思ったからだ。


 この世界に謎は腐るほどあって、異世界人はその謎の一つだって満足に解けてない。その一つ一つが世界崩壊の危険を秘めている事を知らない。中にはきっと、魔物の進化法を明らかにしたものもあるだろう。


 ぼくも一丁、本でも書いてみようかしら。


 禁書、リトル・スノウ。


 響きは悪くない。そして、どうせ書くなら世界を滅ぼす方法がいい。大昔、この世界にやって来たとされる稀人も、きっと同じ事を考えたに違いない。そう思うとおかしくなってきて……

 ぼくは、くすっと笑った。


 ――時に、主。


「なに?」


 齧りついた燻製肉が筋張っていて固かったので、残りを暖炉に投げ込んだ。

 ジュリエはそんなぼくの膝にしなだれ掛かり、上目遣いに媚びるような視線を送ってくる。


 ――何故ダンジョンに潜るのですか? 主であれば、金を稼ぐ事など容易いでしょう。好んで危険に飛び込む理由が分かりません。


「……」


 夜も更け、肌寒くなったぼくはジュリエの肩を抱いて引き寄せた。


「まあ生活の為もあるけど……一番は『猿の手』さ」


 ぼくを見上げるジュリエは、幾分悲しそうに目尻を下げている。


 ――叶えたい望みがある、と。


「まあね」


 ――それは、いずれ帰ってしまうという事でしょうか?


 その問いには答えず、ぼくは燃え続ける暖炉の薪を見つめ続けた。


 ――帰還の際は我も伴いますよう、伏してお願い申し上げます……。


 生まれ故郷は既になく、惜しむようなものもない。ジュリエはこの世界に倦んでいた。


「……いいよ、おいで。ずっと一緒に居よう」


 いずれ帰る日があるならば、それも悪くない。


「死が二人を別つまで」


 その言葉に応えず、ジュリエは潤んだ瞳でずっとぼくの横顔を見つめていた。


◇◇


 煌々と燃える暖炉の灯りの中で、頬を赤く上気させたジュリエが裸身をくねらせて踊っている。

 コボルトの里では、異性を魅了する為に雌のコボルトが踊るダンスらしい。

 雄だけどコボルトじゃないぼくは魅了されない。そのダンスは何処かしらコミカルで、扇情的というよりも可愛らしいもののように映る。


 お尻をふりふり、腰をくねらせ、胸を抱えるようにして寄せて上げている。誘うように小指を噛み、流し目でぼくを見つめるジュリエは、ちょっとHで面白い。

 暫く見つめていると、獣のように四つん這いになったジュリエが伸びをするようにすり寄って来て、ぼくに唇を合わせた。

 薄く、長い舌だった。

 ねっとりと絡み付くような口付けを交わした後はジュリエの腰を抱いてベッドに向かう。

 言葉も指輪も、もう必要ない。

 その晩、ジュリエはたっぷりぼくを楽しんだようだったけど、勿論何かを閃いたようには見えなかった。

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