第10話 リトル・スノウの子供たち
夜間の外出を控え、ぼくは先ず、外套に強い『耐寒属性』の魔力付与を行った。
ジュリエが慌ただしく外出の準備を進める間も、アマンダは平伏したままだった。
「……ココって、どの子? 兎の男の子?」
「ココは男じゃありません。女です。髪を短くして男っぽく見せてるだけで、仲間に男はいません」
「そうなんだ」
男のように見せていたのは身を守る為だろう。寝巻きのローブを脱ぎ捨てると、さっとジュリエが麻のシャツを差し出したのでそれに袖を通した。
「昼間は失礼な態度をしてしまい、申し訳ありませんでした」
アマンダの態度は徹底していた。頭を上げる事は一切せず、受け答えの間も額を床に貼り付けたままだ。
「ところで、アマンダさま」
「呼び捨て……アマンダで構いません」
「……そう」
個人的には生意気なアマンダの態度が好きだったから残念だ。
……それだけ事態が深刻って事。
「ココはまだ四つです。あたしで良かったら何でもします。助けてやって下さい」
「しつこい、分かったって言った。それより、アマンダ。ぼくは純血の人間なんだ。あまり長居はしたくない。というより、出来ない」
「は、はい……すみません」
「謝れなんて言ってない。そうじゃなくて、連れて来る訳にはいかないの?」
「意識がありません。リトル・スノウさんが来て下さい。本当に申し訳ありません」
粗忽な態度は一切見せず、しかしきっぱりとアマンダは要請した。
「……」
こりゃ駄目だ。アマンダの態度は一貫していて話になりそうにない。
この世界で、ぼくが最も辟易した事が不味い食事とこの寒暖差だ。温度計がないのではっきりとは言えないけど、昼と夜とで50℃ぐらいの差があるはずだ。
乾燥しているから、日本ほどの厳しさはないにしても、昼は結構な暑さになる。凍てつく夜は吹雪く事だってある。一応、防寒の備えはあるけど、夜間の外出はなるべく慎むようにパーシからも念を押されている。
ぼくはこれ以上の会話を諦め、外出の準備を急いだ。ブーツを履き、防寒として頭にタオルを巻く。厳寒の環境では、実に体温の四割ほどが頭から奪われる。身体でなく、頭を冷やさないのが一番よい防寒方法だ。試せばよく分かる。
準備完了。
ぼくは立ち上がった。
「あたしに乗って下さい」
いきなり、アマンダがそう言って、全ぼくが耳に手を当てて言った。
「は?」
アマンダは身長160cmぐらいだ。体格に優れる獣人としては小さく、まだまだ子供の部類に入る。幾ら寒くて動くのが億劫だからといって、そんな女の子の背に乗っかって移動するほど、ぼくは恥知らずじゃないつもりだ。
訝しむぼくの前で、意を決したように唇を噛み締めたアマンダが服を脱ぎ始めた。
「なにを……」
服を脱ぎ捨てた裸体は殆ど人間と同じで、背中に生えた鬣が尻尾まで続いている。パーシと同じだ。違うのは、おっぱいが小さい――じゃなくて。
「んんっ!」
と唸り声を上げ、身体を震わせたアマンダの身体が、ごきごきと音を立てて変形した。
「おお……!」
思わず感嘆の声を出すぼくの前で、アマンダは大きな犬の姿に変身した。
初めて見る。獣化ってやつだ。
見た目も人間に酷似した獣人と人間の一番大きな差異がこれだ。
ピンと立った右の耳だけが白い特徴はそのままに、ぼくの身の丈ほどもある大型犬の姿に変身したアマンダが、ぺたりと『伏せ』の姿勢になった。
「乗れって?」
ぼくが問い掛けると、すっかり犬になったアマンダが頷いた。
どうしていいか分からず、視線を横に向けると、本当に呆れたようにジュリエが小さく頷き、窓を大きく開け放った。つまり――
ぼくは、犬になったアマンダに乗って窓から外に出る。
「OK、面白そうだ!」
愉快になったぼくは、バックパックを背負うとアマンダの背に乗っかって、首ったまにしがみついた。
獣化についてはあまり勉強していないのでよく分からないけど、身体能力が数倍になるらしい。ただ、その姿を維持し続ける事は獣人にとっては大きな負担で消耗が激しい外、物を持ったり喋ったりと幾つかの行動が制限されるそうだ。そして何より、獣化した姿はモンスターに似ている事から、禁忌に近いものとされている。
そんなアマンダの背に乗って、ぼくは凍てつく闇夜に飛び出した。
◇◇
――ごうっ。
と夜の闇を切り裂いて、石畳の道をアマンダが駆けて行く。
その背に乗ったぼくは、真っ直ぐな道に入り、姿勢が安定した所で外套のフードを目深に被り直した。
振り返って背後を見ると、ショートソードを担いだ格好のジュリエが後を追って来るのが見えた。
ジュリエも結構なスピードだけど、獣化したアマンダはそれより早い。徐々に距離が開いて行く。
不意に、パーシも変身するんだろうか、なんて事を考える。その場合、彼女は犬と狼と、どちらの姿になるんだろう。
――きっと、狼の方だ。
そこまで考えた所で、昼食を取った川原に到着した。
ぼくを乗せたアマンダは、橋の欄干を飛び越え、スピードを落とさず、草の生い茂った土手の道に頭から突っ込んだ。
「うわっ!」
極寒の世界の中、凍りついた丈の長い草木に顔を叩かれ、ぼくは悲鳴を上げた。
それでもアマンダは止まらない。茂みの奥へ奥へと突き進む。
やがて曲がりくねった畦道に出て、微かな明かりが零れる古ぼけたテントが見えて来た。所々、補修の跡が目立つテントだ。一切減速せず、アマンダはそのテントに頭から突っ込んだかと思うと、ピタリと急停止した。
振り落とされたぼくは、そのぼろっちいテントの中をごろごろと転がった。
「あいたた……」
したたかに打ち付けた腰を摩りながら顔上げると、くしゃくしゃになった泣き顔でぼくを見つめるドワーフの女の子と目が合った。
父さんは言っていた。
どのような理由があれ、子供が虐げられる世界は誤っていると。ぼくは女の子に声を掛けようとして――
「――こっちだ!」
鋭く叫んだアマンダに、思い切り肩口を引っ張られた。
「インギィ! ココは大丈夫か!?」
「息が弱くなって来た。もう……」
インギィと呼ばれたワードッグの女の子は、何故か口の回りが血塗れだった。
四つん這いになって、必死に何か――誰かを舐めている。
「…………」
その痛ましい光景に言葉が出ず、ぼくは首を振った。
ここに来た理由は、この辺の野草が原因で小さい子が体調を崩したからだと思っていたけど違った。
テントの奥に仰向けで寝転がるワーラビットの女の子は、左の耳を引き千切られていた。
頭から額に掛けて大きな裂傷があり、今もじわじわと出血が続いている。
「――!」
何故こうなったのか。そんな理由は後で幾らでも聞ける。ぼくは飛び出して、ワーラビットの女の子……ココの右手を取った。
鑑定しながら。
『医者』のフリをして。
ぼくは『診断』した。
「脳挫傷だ…………」
ぶっちゃけ、終わってるって思った。実際、魔法がない世界なら終わってたと思う。
「第二級回復神法」
ココに翳したぼくの手からエメラルドグリーンの淡い光が溢れ出て、アマンダとインギィが、はっと息を飲み込む音が聞こえた。
瞬く間に出血が止まり、浅くか細かったココの寝息が落ち着いたものになる。
額から冷たい汗が噴き出して、ぼくは手で顔を拭った。
「三級生命力向上神法」
直感的に、これだけじゃ足りないと思ったから、続けて生命力を押し上げ、徐々に傷を回復させる魔法を使った。
「…………千切れた耳はどうにもならない。耳はどこだ。耳をどこにやった」
欠損部位を回復出来るのは一級神法からだ。慌てていて傷を塞いでしまったけど、細胞が生きてるならまだ間に合う。
「……耳は、レヴィンが持って行きました…………」
「…………そう、それは残念だ……」
そのレヴィンとやらに興味はない。気分の悪さは残ったけど、急は脱した。
「とりあえずは……大丈夫だよ」
そう言って、ぼくが思わず大きな溜め息を吐き出すと、向かいで見ていたインギィの目に大粒の涙が溢れた。
「……ありがとうございます。本当に、ありがとうございました……」
「うん、君たちも頑張ったね」
仲間を失いかけた。ここにいる女の子たちは全員子供で、叱り付けるのは違う。
アマンダは形振り構わずぼくに助けを求めたし、インギィも必死で傷を舐めていた。二人とも、一生懸命にやっていた。
それが正しいかどうかはさておき、この子たちを叱り付けるのは違う。
違うと思うんだ……。
◇◇
全裸のアマンダが大きなくしゃみをするのと同時に、ぼろっちいテントの入口に掛けてあった幌が開いてジュリエが顔を出した。
消費した魔力は大した事ないけど、精神的に疲れたぼくはその場に座り込み、手を上げてジュリエを呼んだ。
「……」
むっつりとしたジュリエは子供たちを見回して、全裸のアマンダを見付けた途端に眉を寄せて険しい表情になった。
「……ちっ」
宿屋で脱ぎ捨てた衣服をアマンダに投げ付けて、ジュリエは小さく舌打ちした。
「ああ、ジュリエ。疲れたよ。汗を拭くものある?」
少しご機嫌斜めのジュリエは、新しく作ったバックパックから手巾を取り出すと、甲斐甲斐しくぼくの額に浮かんだ汗を拭ってくれた。
そして落ち着くと、身を切るような寒さが滲みる。
お尻をふりふり急いで衣服を身に纏うアマンダに、ぼくは言った。
「……君らは、ぼくと一緒に宿屋に来い。また何かあったら困る。お金は出すから、今夜は大部屋に泊まるといい」
「…………はい」
アマンダが素直に頷き、インギィも追従して頷いた。
ぼくが立ち上がると、ドワーフとワーキャットの子が外套に付いた草や埃を払ってくれた。
「今、この瞬間から君たちを保護する。反論は許さない。いいね」
「…………」
見るとリーダー格のアマンダも顔をくしゃくしゃにして泣いている。ぼくとジュリエと、眠ったままのココ以外の全員が泣いていた。
……まぁ、こんな感じで。
ぼくはゴミのアマンダさまとその御一行を手下にする事に成功した。
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