第9話 リトル・スノウは冷徹だ

 ――な、私の言った通りだろ? リトル・スノウは怖いんだ。


 ――保護期間中もあの調子さ。三年以内に死ぬって言われたやつも居るんだぜ?


 結局、ゴミのアマンダさまは決断できず、食事の後は川原でそのまま別れた。


 パーシは余程ぼくが怖かったのか、宿に入ってから、ずっとジュリエに愚痴を言っている。


 ――酷いよな。あの子、最後は泣いてたぞ。


 実際、アマンダさまの優柔不断さには少し呆れる思いだった。

 ……おそらく、騙されて酷い目に遭った事があるんだろう。あれだけ強く釘を刺して置けば、あの辺りの野草を食べる事は、もうないと思うけど……


◇◇


 ぼくは今日も二人部屋を取って、今は机の前でバックパックに刻まれている魔力印をスケッチしていた。


 『魔力印』


 スキルで何らかの耐性付与を行った場合、そのアイテムにはこれが浮かび上がる。物理耐性、魔法耐性、属性耐性、向上系のもの。どれも浮かび上がる魔力印の形は違っていて、それがとても興味深い。

 ……そろそろ、パーシが邪魔になってきた。本格的に生産スキルを使うには、彼女の監視が邪魔になる。

 そのパーシが背後で立ち上がる気配を感じ、ぼくはスケッチを裏返して新しい無地の紙にこう書いた。



 ――パーシが性的に迫って来るので困っています。



 ぼくはそのページを破り、丸めてゴミ箱に放り込んだ。


「ねえ、スノウ。さっきから何をしているの?」


「……魔力印を写していたんだ」


 パーシは片方の眉を持ち上げ、怪しむようにぼくの目を覗き込んだ。


「まさか……付与術が使えるの?」


「使えないから、自力でなんとか出来ないか研究しているんだ」


 間抜けなパーシは、からからと笑った。


「そんなに甘いものじゃないよ。でも、色々熱心なスノウは見ていて嫌いじゃないけどね」


「……そう。ちなみに、もし付与術が使えるようになればどうする? 騎士団に報告する?」


「勿論、するよ」


 色々チョロいパーシだけど、任務に対しては忠実だ。

 やれやれ、とぼくは息を吐く。


「ぼくが、言わないで下さいって言ったらどうする?」


「え? そ、それは困るよスノウ。そんなときだけ甘えるなんて卑怯だよ」


 たとえ、監視の為に張り付いているとしても、途端に眉を下げ、本当に困った顔をするパーシの事が、ぼくは嫌いになれなかった。


「今日も泊まる?」


「……う~ん、ちょっと用事があるから、今日は帰るかな。明日はどうするの?」


「アマンダが炊き出しに来るかも知れないし、朝はいつもの広場かな……その後は市場を見て回る予定。ジュリエに弓を買ってあげたいんだ」


「そっか。私は警護の任務がある。運が良かったら会えるかもね」


 ……絶対来る癖に。


 ぼくは笑って手を振って、この日はパーシと別れた。


 気が付くと、ゴミ箱の中は空になっていた。


◇◇


 早めに不味い宿屋の夕食を摂り、寝巻き代わりのローブに着替えたぼくは、机の前で細々とした作業を再開していた。


 入浴を済ませ、身体を乾かしてしまうと、ジュリエはしつこいぐらい戸締まりを確認して、それからベッドの端に腰を下ろした。


「……?」


 不意に、うなじの辺りに強い視線を感じて、ぼくは作業の手を止めた。

 異世界(こっち)に来て以来、こういう事は度々あった。

 女の子の視線を強く感じる瞬間がある。異性に対して発動するスキル『男娼』の働き。


(これがパッシブスキルってやつか……)


 例えば……ジュリエがぼくに強いセックスアピールを感じているパーツは『うなじ』と『髪』だ。

 マニアックなパーシは『匂い』と『腰回り』。

 泥石は『瞳』と『唇』。

 ゴミのアマンダさまは『首筋』と『鎖骨』部分。


 異世界(こっち)にやって来て、ぼくの感受性は軒並向上した。それらは頼もしくあり、煩わしくもある。日本(あっち)じゃ気付かず、無視して居られたものに異世界(こっち)じゃ対応しなきゃいけない。……って、そんなことを考えてしまうのは、ぼくが天性の面倒臭がりだからだろう。


「ジュリエ、おいで」


 コミュニケーションは大切。ぼくは面倒臭がらず、ジュリエを呼び寄せて膝の上に座らせた。


 身長こそぼくより低いものの、筋肉質のジュリエは結構重い。


「これを見て」


 戸締まりを確認して、スイッチを切ってしまったのだろう。普段は涼しげな目元を下げたジュリエが、とろんとした眠そうな視線を机の上に向けた。


「昼間、買い出しをした時に、露店や万屋で買ったんだ」


 指輪、首飾り、髪飾り、腕輪……ぼくが机の上に置いた幾つかのアクセサリを見て、ジュリエは二度小さく頷いた。


 これらはいずれも高価な代物じゃない。全て石銭で買える玩具のような代物だ。


「これらには、元々サイズ可変の術式が施してあるんだけど……」


 一般の武器や防具。衣服等にも利用されている術式で、まあ簡単に言うと、装着者によってサイズが変わる。

 ぼくはそのアクセサリの中から一つ指輪を拾い上げる。『彫金』のスキルを使って、実験的に幾つかの魔力印を刻んだものだ。


「この指輪に、幾つかの魔力印を刻んでみたんだ。とはいえ……」


 物自体に魔力を付与していないので、今の鑑定上は『傷付いた指輪』でしかない。


「ここに魔力を乗せ、本格的に強化する」


 パーシが居なくなり、落ち着いたぼくは細工用の片眼鏡を掛け、ジュリエのお腹をすりすりやりながら説明した。


「基本、魔力印は自動的に浮かび上がるものだけど、彫金スキルで『印』を書き込む事によって『付与』術式の効果を上げる事ができる」


 これ自体は珍しい知識じゃない。バックパックを購入した際、付与術師が目の前でやっていた。労力を下げる為だけの行為。ただ、ぼくにとってはとても重要な事だっただけで。


「更に、この指輪に『敏捷力向上』と『腕力向上』。『生命力向上』『体力回復』『物理耐性』『魔法耐性』……まあ、思い付く限りの術式を刻んでみた」


 ぼくは、きゅっと指輪を手のひらに握り込んだ。


「いいかい? 今からこれに魔力を込めて行くよ」


 身体の奥に感じるエネルギーを押し固め、魔力を練って行き、指輪に注入するイメージ。

 やがてイメージが感覚に変わる。見ずとも指輪の形や材質までも認識の中に収まる。

 だが……

 ある一定の水準に達すると魔力が抜け出す感覚があった。無理すれば材質が『崩壊』してしまう。


「……こんなものか」


 手を開くと、指輪に刻まれた魔力印が薄く発光している。それも暫くの事で、光が消えてしまうと術式は固定される。大した事はないけど、これでマジックアイテムの一丁上がり。


「魔法銀(ミスリル)なら、もう少しマシな物が出来ると思うけど、今はこれが限界みたいだ」


 物理耐性、腕力、敏捷、生命力向上の他、魔法耐性に若干の向上。数字に直すと数%程度のものだろう。鑑定では『オールリング(試作品)』に名称が変わっている。


「これは、ジュリエにあげる」


 そう言って机の上に指輪を転がすと、ジュリエは目を丸くしてぼくを見上げた。


「……」


 なに言ってんだ、コイツ。ってその顔に書いてあるけど、ぼくにしてみればこの指輪は失敗作の一つに過ぎない。


 ぼんやりしていたぼくは、指輪の『中石』の存在を失念していて、無地の指輪(リング)を選んでしまった。『魔石』を組み込める中石付きのものだったら、更なる機能向上を見込めただろう。本当にボーッとしていた。


「同じ物を腕輪と首飾りでも作ったんだ」


 パーシに見られずコソコソやるのは結構大変だった。


「こっちもジュリエにあげたいけど、同じ物を作っちゃうと効果は重複しないみたいなんだ。ごめんね」


「……」


 明日辺り、ボビーに見てもらって売り飛ばそう。小遣い稼ぎぐらいにはなる。そんな事を考えながら、ぼくはジュリエと同じ指輪を右の人差し指に嵌めた。


「……体感できるものはないね」


「…………」


 左の人差し指に指輪を嵌めたジュリエは、珍しそうに手を引っくり返したり、裏返したりして指輪を見つめていた。


◇◇


 続けて、新しいバックパックの制作に取り掛かる。

 道具屋で購入したやつじゃなくて、ギルドの初心者用バックパックだ。今はただのリュックなのだけど、これに内部拡張の術式を付与して容量の大きいインベントリに改造する。


「……初めてだからね。上手く行くかな……」


 付与のやり方は『見た』。仕組みも理解している。でも、物自体に直接魔力印を刻む以上、やり直しは利かない。


 ぼくがリュックに新しく魔力印を書き込んでいる間、膝の上に座ったジュリエは大事そうに指輪を嵌めた左手を抱え、ゆらゆらと身体を左右に揺らしていた。


 魔力印は道具屋で買ったバックパックに刻まれたものと同じものを使ったけど、出来上がったものは容量が半分ほどしかなかった。

 違う術式もあるのかもしれないけど、これしか知らない以上、結果は受け入れるしかない。


「……まあ、充分な大きさだけどね」


 出来上がった新しいリュックを見て、ジュリエはやっぱり不思議そうにしている。

 ぼくは少し考え、それから説明した。


「……まだまだ熟練が足りないけど、付与術は使える。パーシには秘密だよ」


 新しいインベントリが予定の半分の容量になってしまったように、ぼくのスキルには効果にムラがある。そこまで細かく説明する事は避けたけど、ジュリエは納得したようで、小さく頷いた。


◇◇


 その夜の入浴中、ジュリエは新しく購入した洗剤でぼくの髪を念入りに洗った。

 お返しでぼくも念入りにジュリエの身体を洗う。

 そんなぼくらの間に会話はない。でも、流れる時間は優しくて思いやりがある……ような気がする。


「ねえ、ジュリエ。昼間のパーシは、なんでぼくの居場所が分かったのかな?」


「……」


 ジュリエは鼻を軽く叩く仕草をして見せた。


「え、匂い? ウソ、ぼくってそんなに匂う? よく洗っておかなきゃ……」


 お風呂から出ると、昼間燻製にしたチーズを少しスライスして二人で食べた。


 やがて肌寒くなり、本格的に夜が来る。いつものように暖炉に薪を投げ込んで魔法で点火する間も、ぼくにぴったり張り付いたジュリエは色々とやる気に溢れているようだった。


 『兵士』としての時間はとっくに終わっていて、少し恥ずかしそうにぼくの髪に触れるジュリエの様子は人間の女の子と何ら変わるところがない。


 明かりを消し、ベッドに転がるとすかさず馬乗りになったジュリエが唇を重ねて来る。

 静かな時間が流れる。

 暖炉から燃える薪がパチパチと跳ねる音が聞こえ、そこから漏れだしたオレンジの光が濡れたジュリエの瞳に照り返っていた。

 そこで――


 ぼくらの時間を遮るように響いた躊躇いがちなノック音に、ジュリエは眉を寄せる事で反応した。


「なに……?」


 招かれざる客。そろそろ人間のぼくにはキツい時間になる事を考えると、悪い予感しかしない。


「グルル……」


 動きを止めたジュリエは、酷く不愉快そうに喉を鳴らして、ノック音があった扉を睨んでいる。


 そこでまたノック音が響いた。


 今度は強く。明確な意思があった。


「……見に行こう」


 そこまで積み上げた雰囲気が台無しになった気がして、ぼくはジュリエの身体を押し返した。


「…………っ」


 一瞬、苦しそうな表情をしたジュリエだったけど、すぐさま兵士の顔になった。


 壁に立て掛けたショートソードを手に取り、警戒した面持ちで扉に触れる。

 覗き穴なんてものはない。

 ジュリエは気配察知のスキルで来客の反応を探っているようだ。ぼくは、その間にランタンに新しい光石を入れる。

 ややあって、呆れたように首を振ったジュリエが扉を開いた。


「……君は」


 そこには、ランタンの明かりに照らされ、床に額を擦り付けるようにして平伏するアマンダさまの情けない姿があった。


「お願いします、リトル・スノウさん。何でもしますから、ココを助けて下さい」


 なべて世はこともなし。

 全てはぼくの手の上で回り続ける。


「分かった。準備するから、ちょっと待って」


 ぼくはリトル・スノウ。


 この世界の神さまが残酷に奪うなら、幾らだってぼくが与えてやる。


 ぼくはリトル・スノウ。


 大いなる世界の『復讐者』だ。

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