第8話 スノウ組に入るんだっ!

 川原で、ことことと大鍋が音を立てて煮えている。

 パーシが詰まらなそうに言った。


「……地味だね」


「出汁を取ってるだけだって言ったよね。何を期待していたのさ」


 脳筋はこれだから困る。暇そうに鍋の中身を覗き込むパーシは無視して、ぼくは野草を刻んでいた。

 犬……コボルトのジュリエや犬人(ワードッグ)の血を引くパーシにはネギは良くない。集めた野草の中からネギ、或いはネギ科の植物と思われるもの。香味の強いものは捨ててしまう。


「……それ、食べられるよ?」


「ぼくはともかく、きみやジュリエには良くない。ネギ中毒を起こす場合がある」


 勿論、二人は本物の犬ではないし、ぼくの知識を当てはめてしまってもいいものかは分からないけれども。


「ネギ中毒?」


「犬や猫がネギ食べることで体内の赤血球に変異が起き、貧血を引き起こす可能性があるんだ。最悪の場合、死に至る。ちなみにウシやウマ、ヒツジ、ウサギなども同様の反応が起こる」


「な、なに、それ……せっけっきゅう?」


 ぼくは首を振った。科学より魔法が発達した異世界人であるパーシがこの手の説明を理解出来るとは思えない。


「まあ、二人は食べない方がいい」


「……そ、それ、異世界の知識ってやつ?」


 パーシは困惑したように息を飲み、ぼくが捨てた幾つかの野草を見つめている。少し怖がらせてしまったようだ。


 ジュリエは水辺に近い場所で燻製を作っている。

 燻製……というと専用の道具が必要なように思われているけど、仕組みさえ理解していれば作るのは簡単だ。用は『煙で燻す』こと。


「ジュリエ、チーズも燻製にしておいて!」


 ざると大鍋を使って燻製を作っていたジュリエは、ぼくをチラリと見て一つ頷いて見せた。


 ふと長い影法師が差して来て見上げると、橋の上からこちらを見下ろしている子供連中が見えた。


 犬人(ワードッグ)が二人に猫人(ワーキャット)が一人、ドワーフが一人。兎人(ワーラビット)は少し珍しい。いずれも『純血種』で、パーシのような混血は居ない。五人というのは集団としてはまずまずだ。


 血が混じれば混じるほど繁殖力が落ちる。ハイブリッド……三種以上の混血はぼくもまだ見たことがない。


「これからご飯にするんだ! 君たちもおいでよ!!」


 ぼくがそう大声を出して呼び掛けると、ムッとした表情のジュリエが腰を浮かせたけど、それは手で制止する。


「スノウ……あれは孤児だ。水辺もそこだし、ここらを縄張りにしてる良くない連中だ。追い払おうか?」


 ジュリエと同じように、パーシも良く思わないようだ。眉間に皺を寄せ、酷く不愉快そうにしている。


「駄目だ。見ていて」


「少しだよ。ああ、少しだ。奴らが少しでも危害を加える素振りを見せたら容赦しない」


 窃盗、強盗、誘拐、売春、孤児たちの起こす問題は枚挙に暇がない。騎士であり、国の治安を守る役目を負うパーシには頭の痛い存在だ。


 いざとなれば投げ付けるつもりなのか、ジュリエが石を幾つか拾ったのが横目に見えた。


 少しの間、子供たちは突っつき合いをして考えていたようだけど、そのうち興味が勝ったのか、集団でおずおずと川原に降りてきた。


 煤けた衣服。皆、表情は薄汚れていて見た目は良くない。孤児たちは集団になることで互いに助け合い、身を守っている。


「はじめまして、ぼくはリトル・スノウ。きみたちを雇いたいんだ」


 眉間の皺を深くして、パーシが腰の剣に手を置いた。



 name ノエル・パーシ

 level 18

 class 守護騎士(ガーディアン)



 犬人(ワードッグ)に狼人(ワーウルフ)の血を引く亜人。守護騎士のクラスを持ち、ザールランド騎士団に所属している。階級は少尉。お人好しだが任務には忠実で、何より『強い』。モンスターも引っくるめて、ぼくがこの世界であった人間の中では彼女がNo.1だ。


「……あ、おれたちを雇うだって? お前、本気で言ってるのかよ」


 ピンと立った右の複耳だけが白いワードッグの女の子が前に進み出て、威嚇するように牙を剥いた。


「うん、ぼくは探索者をやっているんだ。食事にご飯も付ける。どうかな?」


「……」


「きみの名前は?」


 女の子は、腕組みしたままのパーシを一瞥して、ぼくを睨み付けて来る。


 ――犬人(ワードッグ)。


 見つめ合うと何だか不思議な感覚がした。何年も前から、ずっと知ってるような……既視感と呼べるもの。


「……!」


 この睨めっこを嫌ったのは彼女の方だ。もぎ取るように視線を外して吐き捨てた。


「アマンダさまだ」


 強がる子って嫌いじゃない。すごく苛めたくなる。ぼくの良くない癖。


「うふふ、そう。アマンダさまとその御一行は一人銅貨一枚でぼくのお手伝いをしてくれると嬉しい」


「会ったばかりだ。なめてんのか?」


 ぼくは朗らかに笑った。


「もちろん、なめてるよ。ここにいるパーシは騎士なんだ。きみたちの粗相には彼女が厳罰を以て対応する事になる」


「なっ……」


 あまりと言えばあまりなぼくの言い様に、アマンダさまは絶句して目を剥いた。


「さらに言うと、あそこで燻製を作ってるコボルトはジュリエっていうんだけど、ぼくの護衛なんだ。彼女だけでもきみたちを全員ぶちのめす事ができる」


 勿論、ぼくは喧嘩がしたい訳じゃない。でも、あからさまな悪態をつき、マウントしようとするアマンダさまに舐められる訳にはいかない。


「ねえ、アマンダさま。そんなに悪い話かな?」


「くっそ……」


 アマンダさまは、ぼくとパーシを見比べて、悔しそうに俯いた。

 ……馬鹿じゃないのは好し。

 身の程を弁えず、突っ掛かって来るような馬鹿なら処断するつもりだった。パーシがいて、ハッタリが利く今が交渉のチャンス。


「クソが……テメーみたいなチビに尻尾振れるかよ……!」


 ゴミはゴミでも、アマンダさまは燃えないゴミだった。使えなくて、ちょっぴり始末に困るゴミ。


 さて、無茶振りしているぼくだけど、探索者が孤児を雇う事自体は珍しい話じゃない。

 ぼくはとっとと金貨千枚稼ぎ出すつもりでいたし、それには少なからず人手が必要だ。買い物をしたり、保存食を作ったりの雑事は他の誰かに任せるつもりでいる。


「まあ、このまま立ち話もなんだし、ご飯にしようよ」


「……」


 気にした様子もないぼくの態度に肩を竦めたアマンダさまは、呆れたように大きな溜め息を吐き出した。


◇◇


 ぼくの左右にジュリエとパーシが座り、大鍋を中心にアマンダさまとその御一行が川原に座り込む。


「……お前、本当に探索者なのか?」


 パーシにビビり、上目遣いにぼくを見るアマンダさまは見るからにしみったれている。

 顔は煤のような汚れで黒くなっているし、腰に差してある短剣は鞘がなく、錆びた刃が剥き出しになっていた。他の子も衣服が所々破れていたり、靴に穴が空いていたりする。何人か顔色が悪いのが気にかかる。パーシはこの辺りを縄張りにしていると予想していた。


「……一人銅貨一枚で雇うとか言ってたな」


「うん? そうだけど……少なかったかな……」


 未だ剣に手を掛けたパーシは、孤児たちに対する警戒こそ怠らないものの、表情は大分柔らかいものになり、興味深そうに成り行きを見守っている。


「い、いや、……それだけありゃ、なんとか生きて行ける。こいつらにも、ちょっとは、まともなもん食わせてやれる……」


「そうなんだ。でもギリギリだよね。一ヶ月辛抱できたらだけど、全員で一日銀貨一枚出そう」


 その瞬間、アマンダさまが鼻息を荒くして立ち上がった。


「……本当か!?」


「嘘は言わないよ。働きによってはそれ以上に出してもいい」


 こき使うけどね。内心でそんな風に考えながら、ぼくはお玉で大鍋の中身をかき混ぜた。


 そこでぼくが大鍋からボアの骨と匂い消しの野草を取り出して捨てると、パーシは首を傾げた。


「……捨てるの? 鍋に何も入ってないんどけど……」


「だから、出汁だって」


 その出汁の中に、切り分けた根菜類をありったけ放り込んで行く。

 沸騰するのを待ち、ミンチにした肉と刻んだ野草を混ぜて作ったつみれを入れて蓋をした。


「もう暫く待って。器持ってないんだけど、アマンダさまは自分たちの持ってる?」


 とたんにしかめっ面になったアマンダさまは、押しやるように手のひらをぼくに向けた。


「それ、ここら辺で取れた野草だろ? 食うと気分悪くなるんだ。おれたちはいらねえ」


「…………!」


 ギクリとしたように一瞬固まったパーシが、真顔でぼくを見つめていた。


 さて、犬人(ワードッグ)と人間の相性は抜群によい。これを信じるなら、ぼくと燃えないゴミであるアマンダさまの相性は抜群によい事になる。


「……今のぼくには大したことは出来ないけど、絶対に後悔はさせない。きみたちにも悪い話じゃないと思う」


「…………」


 難しい表情のアマンダさまは、胡散臭そうにぼくを見つめている。


「……どうせ、こき使うつもりだろう」


「勿論、遊ばせておくつもりはない。でも無理難題を吹っ掛けるつもりもないよ」


「……」


 ワードッグは警戒心が強く頑固。攻撃的な種族ではないけど、保守的で優柔不断な側面がある。アマンダさまは提示された条件に悩みながらも、今一ぼくを信用できないようだった。


「……どうする?」


 アマンダさまが使えるゴミになってくれたら、ジュリエが護衛に集中できる。


「……」


 銅貨六枚あれば、とりあえず雨風しのげる場所に住む事ができる。でも、食べていくには少し足りない。今、アマンダさまが考えているのはそんな所だろう。

 そこで、ぼくは背中を押してやる事にした。


「依頼の選択はぼくがするけど、ギルドからの仕事を回してもいい」


「……!」


 そこで、アマンダさまは鼻息を荒くして立ち上がった。


「マジか!?」


 食い付き抜群。流石に、得体の知れないぼくと探索ギルドじゃ信用度が違う。


「……それで暫く食い繋いでほしい。近いうちに、もう少しお金の回りが良くなるはずだから、住む場所の提供も考えているよ」


「…………ケッ!」


 そこでアマンダさまは、鼻を鳴らして、どっかと座り込んだ。


「話が旨すぎる。どうせ、ピンハネするつもりだろうが。そっちの取り分は幾らだ」


 アマンダさまのような浮浪児が探索者に食い物にされる例は珍しくない。その心配は最もだ。


「いらないよ。全部、アマンダさまのものにしていい」


「は?」


 アマンダさまの目は点になった。

 そして、ぼくの言葉に困惑しながらも、他の子供たちが会話に分け入る様子はない。アマンダさまの決断が全体の決断になると見て間違いない。


「て、てめえ、何を考えてやがる……!」


 疑り深いアマンダさまが、ギリギリと歯を噛み鳴らして睨み付けて来る。


「裏があるんだろうが!」


「いや、何もない。そもそも、君たちが達成できる依頼が幾らになるの。たかが知れてるよね」


「なんだとッ!?」


 子供を食い物にするのはクズのする事だ。ぼくがする事じゃない。


「それでも、君たちの食い扶持を稼ぐには充分だと思う。頑張れば新しい服だって買える」


「くっ…………」


 アマンダさまは苦しそうだった。

 ドブ浚いでもお使いでも何でもいい。ギルドから仕事を回して貰えれば、充分食い扶持ぐらいにはなる。ぼくの見込みは当たっていて、底辺を生きるアマンダさまはそれだけに悩む。自分の為じゃなく、仲間の為に悩む。

 まぁ……悪い子じゃない。


「すぐ決めろとは言わないよ。考えが決まれば、教会が炊き出しをやってる広場に来てほしい。朝は大抵そこにいると思うから」


「…………」


 もう少し。アマンダさまを決断させるにはもう一押しが必要。そんな事を考えながら、ぼくは煮立った鍋の蓋を開いた。


「ささ、パーシさん。味見をどうぞ」


 鍋をかき混ぜた大きな木の匙で出汁を掬って突き出すと、パーシは口をへの字に曲げ、微妙な表情になった。


「大丈夫……?」


「おや、パーシさんは信用できない?」


 目敏いジュリエは、ぼくが鍋を開いたのを見るど燻製の鍋を放置して、尻尾をふりふりやって来た。


「それじゃ、ジュリ絵さん。どうぞ」


「……」


 ふんふん、と出汁の匂いを嗅ぎ、それからジュリエは突き出された匙に口を付けた。


「……ど、どうだ、コボルト」


 ずずっ、と出汁を啜ったジュリエは、心配そうなパーシに頷いて見せた。


「それじゃ、私も一口……」


 ぼくがまた出汁を掬った匙を突き出すと、今度のパーシは躊躇わず口を付けた。


「……………………へえ、悪くないね! 悪くない!」


 続いてぼくも味見したけど、ボア特有の獣臭さは野草で消えていて、結構いい出汁が取れている。


「アマンダさまは、やらない?」


「……だから、いいっての」


「悪い草は避けてるよ。それに、ぼくは回復神法が使えるから安心していいよ」


「――回復神法だと!?」


 アマンダさまは仰天して、穴が開くんじゃないかと錯覚するぐらいぼくを見つめた。


「か、回復神法っつったら、ヒール屋でもすりゃ……」


 食いっぱぐれはない。教会でも三級の回復神法一回で銀貨一枚からが相場だ。その程度には回復神法は貴重。ダンジョンに潜る際も、神官は優遇される事が多い。


 アマンダさまは自分の頬を二度強く張って、泣きそうな顔で考え込みはじめた。


「……」


 これが最後の一押しになるかと思ったけど、アマンダさまは何も言わない。でも、最初のような威勢のよさはなくなった。


 このときのぼくは知らなかったけど、犬人(ワードッグ)には、種族の本能として従属欲求がある。


 ゴミのアマンダさまと、ぼくの相性は抜群によい。


 この時、アマンダさまが、ぼくを自分の飼い主として真剣に検討しているなんて、分かるはずがない。


「まぁ、よく考えることさ」


 そこで、ぼくはバックパックの中から携帯保存食を取り出して、鍋の中に放り込んだ。


 ギルドや万屋なんかで売っている携帯食の正体は雑穀を乾燥させて押し固めたものだ。食感はビスケットに似ていて、少し甘味がある。これには豆モドキも入っているのだけど、乾燥させると何故か味が変わる。ほんのり甘味を帯び、あの吐瀉物を彷彿させる匂いがなくなる。


 ぐりぐりと鍋の中身をかき回し、アマンダさまの方を見ると、ドワーフの女の子が涎を垂らして鍋を見ている。


「……行っとく?」


「い、いらない……!」


「そう。無理強いはしないよ」


 一方、他の孤児たちはなるべくこちらを見ないようにしている。

 亜人であるドワーフと、獣人である他の孤児たちとで見解が別れているようだ。

 ぼくは少し考えて、それから言った。


「ドワーフの子は大丈夫そうだね。他の子は大丈夫?」


「な、なんだよ……」


 アマンダさまの眉は八の字になっていて、内面の苦渋が表情に滲み出している。


「この辺の野草を食べてるんだろ? 体調の悪い子とそうじゃない子がいるはずだ」


 この辺りが分岐になるかも知れない。鋭く、ぼくは断言した。


「血の色をしたオシッコが出ただろう」


「……!」


 アマンダさまとその横にいたもう一人のワードッグ。そしてワーラビットの男の子とワーキャットの女の子も顔色が変わった。


「小さい子から死ぬ。迷ってる暇なんてないんだ」


 あまりにも自由な生活と引き換えに、この世界の孤児たちは簡単に死ぬ。

 愚かさ故に。その奔放さ故に。

 神さまってヤツは、本当に残酷なんだ。

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