第5話 おいしいご飯とご機嫌なパーシ
――コボルト。リトル・スノウは今日一日でレベル12になったそうだ。
――明らかに異常だ。成長が早すぎる。このままだと、次回の報告で監視レベルを上げるように進言しなきゃいけない。
――あの身体の傷は……あれは拷問を受けた痕だ。平和な世界から来たんじゃなかったのか?
――リトル・スノウは…………の条件を満たす可能性がある。だとすれば……
――こらっ、コボルト。無視するな!
ぼくは眠気に霞む目を擦りながら、パーシの尻尾を強く引っ張った。
「――うひっ!」
「うるさい、少し黙れ」
内緒の話は、もう少し小さい声でやるもんだ。
◇◇
翌朝、目を覚ますと妙に頭がスッキリしていた。
身体の隅々まで力が行き渡っている。レベルアップの影響だろうか。生まれ変わったような気すらする。
自身を鑑定してステータスを確認すると、魔力の数値が出鱈目な事になっていた。その一方で腕力や体力の数値には殆ど変化がない。
……この数値はヤバい。
魔力がレベル1だったときの五十倍の数値になっている。ただでさえ監視対象にあるぼくだ。場合によっては、しょっ引かれる。
それだけじゃない。
ぼくは鑑定スキルを持っている。アイテムを識別し、他者のステータスを見る『鑑定』のスキルは『レア』に相当する。なお、鑑定持ちはギルドに報告して登録する必要がある。これは保護対象であると同時に、バリバリの国の監視対象だ。『鑑定』はいわゆる『覗き見』スキルだ。使用には強い制限がある。でも、生活するだけならこのスキルで食いっぱぐれはない。
当然、パーシには言ってない。
誰にも言うつもりがない。ぼくは誰のものにもならない。紐付きになるのは真っ平だ。
……まあ、そんな事を考えているぼくが監視対象になるのはある意味当然なのかもしれない。
ジュリエはもう起きていて、あちこち忙しそうに歩き回っていた。
「おはよ」
ジュリエはぶんぶんと尻尾を振り回しながら駆け寄って来て、ぼくに濡れタオルを差し出した。
「ありがと、気が利くね」
その後、笑顔のジュリエはブラシを持ってきて、顔を拭いているぼくの髪を解かしはじめた。
一昨日、昨日と抱き枕にしていたお陰で出来なかった事だ。ぼくの世話を焼くジュリエは少し幸せそうに見えた。
「う、ん……」
隣で眠っているパーシが、悩ましく呻いた。
「……もう少し寝てな」
騎士、ノエル・パーシに対するぼくの思いは複雑だ。
彼女はぼくを監視している。でも、この世界で始めて言葉を交わしたのは彼女だったし、保護期間中は付きっきりで色々な事を教えてくれたのも彼女だ。今もなんやかんやと気に掛けてくれている。お人好しで間抜け。任務に忠実なところも嫌いじゃない。
ぼくは魔法使いのフリをして、今にも目を覚ましそうなパーシを指差した。
「第二級睡眠魔法」
指先から飛び出した白い光に照らされ、パーシの寝息は深くなった。
「……」
昨日までなかった違和感がある。ピリッと来た。震える指先を見つめ、言った。
「ジュリエ、杖だ。ぼくには杖がいる」
魔法杖、錬金杖、神官杖、召喚杖……各種の杖を用いる事で、魔法の成功率と効果を上げる事が出来る。それが直感的に分かった。
ぼくは明らかに成長している。偽計のスキルには可能性がある。体格やステータスの問題上、前衛職は無理だけど、後衛職ならやり方次第で充分こなせる。
そこまで考えた所で、お腹がきゅうっと鳴って、ぼくは酷い空腹に顔をしかめた。
「お腹が空いた。ジュリエ、厨房に行くから付いてきな」
何処に行っても食事が不味いなら、自分で作るしかない。その結論に達し、ぼくは寝巻きのローブ姿のまま部屋を出た。
慌てて後を追うジュリエがぼくの身体に外套を巻き付けようとしたけど、気にしない。
ここは異世界だ。現実での都合は無視するに限る。
板張りの廊下を歩き、木の階段を降りて一階の食堂まで。
カウンター越しに見える厨房の中は朝食の書き入れ時を控え、喧騒に包まれている。偉そうに腕組みしたおばさんが喚き散らし、エプロンドレスを着た下働きの女の人達は嫌そうな顔をしていた。
「お邪魔するよ」
「なんだい、あんたは。厨房にコボルトなんぞ連れて来て! 今すぐ出て行きな!!」
全くだ、と言わんばかりにジュリエも肩を掴んで引っ張る。その手をはたき落として、ぼくは料理長と思しきおばさんに向き直った。
「ここの食事は不味すぎる。食えた代物じゃない。自分で作るから少しキッチンを使わせてほしいんだ」
「んだって? チビ、こら――」
そこで、偉そうなおばさんの袖を若い女性が引っ張り、小さい声で耳打ちした。
「……え? 騎士の…………男娼……ああ……」
何やら呟き、おばさんは難しい表情で頷いた。
「ここにあるもんは好きにしな。邪魔したら出てってもらうよ」
どうやら、ぼくは
石造りのキッチン。
ざっくり厨房を見回し、器具や設備、食材なんかを確認する。勿論、ガスコンロなんてない。流しはあるけど水道なんてなく、替わりに大きな樽が置いてあって、コックを捻れば水が出る仕組みになっている。食材には一部、不明なものもあるけど、大抵は知っているものばかりだ。
「うん……やるか」
なんのものか分からない黄色い殻の卵をサッと片手で割り、ボールの中でかき混ぜて塩胡椒で味を整える。やはりなんのものか分からないミルクもあったのでそれも少し入れた。
籠にあった赤石を二つ、ブロック塀を積み上げたような無骨な竈に放り込み、続いて薪を投げ込む。
熱したフライパンでバターを溶かし、オムレツを作っていると、さっき怒っていた偉そうなおばさんが険しい表情でぼくを見つめていた。
「あんた、高級男娼かい……?」
「なにそれ」
ぼくは一流コックのフリをして、大きめのオムレツを三つ作った。
感心したように見ているジュリエの前で、手首をポンと叩くとフライパンの上のオムレツが飛んで皿の上に着地する。
続けてバケットのようなパンをスライスし、バターを塗ってハムと野菜を挟み込み、アクセントで香辛料を散らした。
「スープは時間掛かるから、今日はやめとこうか……」
葉ものは手で千切り、適当な野菜を棒状にカットして皿に盛り付ける。ドレッシングはなかったけど酢はあったので、それに果汁を加えて味を整え、サラダに掛けた。
「さみしいね。もう一品付けよう」
近くにあった大鍋の中で油が煮えている。ぼくはそれに目を着けた。
「おばさん、フライヤー借りるよ」
「ふ、ふらいやー?」
じゃがいもの皮を剥き、鍋の上で素早くカットする。テレビで見た和食の板前さんのテクニック。シャシャシャっと音がして薄くスライスしたじゃがいもが鍋の中に落ち、音を立てて揚がって行く。チップスは揚がり切ったところで油を切って皿に盛り付けた。
「こんなものか」
スキルの習熟度が上がったのか、ここまででミスはない。飲み物はろくなものがなかったので、温めたミルクを付けておく。
最後に、適当なフルーツを切って大きめの皿に盛り付けた。
「……っと、部屋で食べたいから、台車みたいなのある?」
ジュリエもパーシも大飯食らいだ。その分、多めに作ったから二人で運べる量じゃない。
「あ、ああ……」
偉そうなおばさんは、何故か少し落ち込んでいるみたいだった。元気なく頷き、ぼくが作った各種料理を見て、それから厨房の隅にあった小さい台車を貸してくれた。
「お金は?」
「……出るときに規定の分を払ってくれりゃいい。それより、卵って飛ぶんだね……」
スキルの試しにパフォーマンスもやったので、それがおばさんにはショックだったようだ。コックとして思うところがあったのかもしれない。
◇◇
階段は二人で台車を抱えて上り、それ以外はジュリエが台車を押して部屋に戻った。
「朝ご飯、入るよ」
部屋に戻るとパーシは既に起きていて、寝癖の付いた頭を撫でながらぼんやりしていた。
「おはよ、パーシ」
「……置いて行かれたかと思った……」
「挨拶ぐらいはするよ。それより、手伝って」
三人で丸いテーブルの上にオムレツやサラダ、多めに作ったバケットのサンドイッチにチップスの皿を並べ、早めの朝食を摂る。
オムレツは完璧に火を通してある。ここは生卵が安全な世界じゃない。その完熟のオムレツをナイフで切り分け、口に運ぶ様子をパーシがまじまじと見つめて来る。
「あんまり見てると目潰しするよ。さっさと食べな」
「あ、ごめん。えっと……これは……」
「ここのご飯は不味いから、自分で作ったんだ。これも大したものじゃないけど、それなりに食べられると思う」
「……そう」
ぼんやりと言うパーシは、まだ眠たいのか、テーブルの上の朝食を見つめ、暫く動かなかった。
一方、ジュリエは平常運転。二口ほどでオムレツを平らげ、サラダをバリバリと食べた後はサンドイッチに手を伸ばす。朝とは言え、ぼくが自分で作ったから、この健啖ぶりは気持ちいい。
「どう、ジュリエ。朝はこれで足りそう?」
「…………」
そこでジュリエは手を止め、難しい表情でチップスを齧りながら、酷く思い悩むようだった。
「あはは、いいよ。後で色々とお店を回るつもりだから、何か買って食べちゃおう」
「……」
ジュリエは口許に笑みを浮かべ、深く頷いた。
「リトル・スノウは貴族なのかい?」
ぼくは吹き出した。
「貴族だって。ぼくは稀人さ。育ちがいいように見えたとしたら、満更でもないけどね」
この世界の食文化が遅れに遅れているだけだ。ぼくは野菜のスティックを咥えたまま、自分の食べる分を皿に確保して窓際に置いてある机に陣取った。
「後は全部食べて」
窓の向こうから、ゆるゆると昇る朝陽が射し込んで来て、ぼくは目を細める。
さて、今日は何をしてやろうか。
◇◇
すっかり陽が昇り、窓を開け放つと冷たくて爽やかな朝の空気が入ってくる。
ジュリエから衣服を受け取り、ローブを脱いで椅子の背凭れに掛け、布の衣服に袖を通す。
「……スノウ。向こうの世界は……」
傷だらけのぼくの身体を見ていたパーシは、もぎ取るように視線を離した。
「すまない。なんでもない」
着替えをしている間、パーシはぼくをチラ見していて、ジュリエはぼくが脱いだ衣服を畳んだり、バックパックから外套を取り出したりと忙しそうにしていた。
そのあとはジュリエの着替えを手伝う。
コボルト族は多産多死。種族の特性として臆病さと不器用さが上げられる。衣服はボタンのないものを選んだからそれは問題ないけど、ジュリエの場合、ブーツの紐を結ぶのを苦手にしていた。
「いいよ。任せて」
ブーツだけはぼくが紐を結んでやる。ジュリエは申し訳なさそうにしていて、それをパーシが横目で見つめていた。
「……食事を作って、今度は靴の紐まで結んでやるのかい? どっちが奴隷か分からないね」
どうやら、パーシは、ぼくとジュリエの関係を快く思っていないようだった。
部屋を出て一階に降りる。
探索者御用達の宿。今は食堂が込み合っているようで、受付は空いていた。ぼくがお金を出すと、受付の
「そうだ。パーシに一つ聞きたいことがあったんだ」
宿を出て通りに出たところで、ぼくは一つの質問をぶつけた。
「……もし誰かに絡まれたら、殺してもいいの?」
「スノウは稀人だからね。身の危険を感じたときはしょうがない。まあ、街の安全を守る私の立場としては勘弁してもらいたいってのが本音だけどね……」
命が軽い世界。探索者はダンジョンで死んでも遺体は放置されるのが殆どだし、街は孤児や食い詰めた浮浪者なんかで溢れている。自衛は必須として、何処まで許されるかは知っておくべきだった。
「スノウは、人を殺した事があるの?」
「ないよ。でも……」
ぼくは日本人だ。命が安いこの世界の人間じゃない。だから、極力人殺しは避けるつもりでいる。必要になれば、スキルで遠くに飛ばす事になるだろう。うんと遠く。まだ試してないけど、大抵はそれで解決すると思う。
「その必要がないことを祈るよ」
人殺しはなるべく避けたい、というのがぼくの本音だった。
ぼく自身は冷たいヤツだ。一度、人を殺してしまえば、二度目はもっと簡単に殺す。三度目は何も思わないだろう。そんな人間にはなりたくない。
「コボルトに任せればいい。ちゃんと武装しているし、この辺のチンピラぐらいなら大丈夫だろう」
「……」
ジュリエが当然とばかりに、うっそりと頷いた。
パーシは疑問視しているけれど、ジュリエとの関係は上手くいっている。
例えば戦いになったとする。旗色が悪くなれば、余裕を残してぼくは逃げ出すだろう。その際、ジュリエはぼくが逃走する時間を稼ぐ為に戦う事になる。最悪、死んでしまうけど、それは彼女の仕事の一つに含まれる。
ぼくは、タダでジュリエを大切にしているんじゃない。苦戦を強いられる最悪の瞬間、逃げ出す事を担保にして大切に扱っている。衣食住を確保し、武器や防具も与える。屈辱的な要求をして、彼女の戦士としての尊厳を傷付けるような真似はしない。
ジュリエはその辺りをきちんと理解している。外に出て、彼女の警戒レベルは著しく上がった。ぼくの近くに立ち、さりげなく周囲を見渡している。
この日も露店で軽食を買った。
冷めても美味しい、というのが売り文句のふかし肉まんじゅうを四つ。
「……私の分は?」
ぼくは、何故か用心深く構えるパーシと、匂いに釣られて鼻をヒクヒクさせているジュリエに肉まんを渡した。
「やったね!」
そして何故かパーシは大喜びだった。……自分で買えばいいのに、と思ったことは言わないでおく。
途中でお茶によく似た飲み物も購入して、街の中央部にある噴水のほとりで三人で食べた。
パーシはご機嫌でジュリエに話し掛けている。
「ここでリトル・スノウと出会ったんだ」
銅貨の下に石銭と呼ばれる硬貨がある。青だったり赤だったり黄色だったりして、形も色々ある。実のところ、ぼくはこいつの価値がよく分からない。肉まんも飲み物もその石銭で買える安い代物だ。
パーシがご機嫌な理由は謎だった。
「それで、スノウ。今日はどうするんだい?」
「うん。とりあえず炊き出しに行って、それから探索ギルドに行こうと思う」
「炊き出しって、スノウはまだ食べるの?」
「いや、食べないけど……」
あの吐瀉物のような徹底した不味さが気になる。ギルドが開くまでまだ少しあるし、今朝のぼくはその謎に迫りたい気分だった。
「……ああ、コボルトか。スノウは優しいね」
うんうんと頷くパーシは勝手に納得して、それから言った。
「私は兵舎に一度戻って、装備を整えて来ようかと思う。ギルドで待ち合わせよう」
「それは構わないけど……」
「今日も一緒に遊ぼう。スノウが作るお昼ご飯が楽しみだ」
「……」
一応、パーシは騎士団に所属していて、今は街の治安警備を仕事にしている。遊ぶとか言っちゃってるけど、大丈夫なんだろうか……。
「……えっと、それじゃあ行くよ」
もじもじして、ぼくをチラ見するパーシは、別れを惜しむように何度も振り返りながら、通りの向こうに消えて行った。
◇◇
パーシと別れて暫く歩き、広場にやって来たぼくとジュリエは、炊き出しの雑炊が入ったお椀を持って適当な場所に座り込んだ。
ジュリエは一定の感覚で周囲を見回す。ジョブ『兵士長』。彼女は優秀な兵士だ。
そんなジュリエに守られながら、ぼくは行き交う人たちを『鑑定』していた。
「……なるほど。これは便利だね……」
ただ、ぼくの『鑑定』はイマイチで、一目で全ての情報を読み取る事は出来ない。櫛の歯が欠けるように情報が所々欠けている。目を凝らしてよく見れば見えない事もないけれど、とても疲れる。それだって完璧じゃない。例えば、目の前にいるジュリエは『コボルト』と表記されるだけで、どうしても名前が表示されない。
「ジュリエ、食べないの?」
「……」
眉間に皺を寄せ、ジュリエはゴミを見るかのような嫌悪を込めた視線を雑炊に向けている。
……お腹が空いていなければ食べたくない、と。
ジュリエの味覚はまともだという事が判明した。
雑炊の中は、芋や根菜類の他、ひえや粟のような雑穀が入っている。ぼくはそれらを『鑑定』しながら、木の匙でグリグリとお椀の中をかき混ぜた。
「……この黒っぽい豆。これがすごく不味い。なんだこれ……」
「……豆モドキ? 豆じゃないんだ。栄養価は高いみたいだけど……」
更に詳細な情報を得ようと、目を凝らしたとき――すっ、とジュリエが何者かの行く手を阻むようにぼくの前に立った。
「何をしているんですか。お前は」
盛大に上から目線で声を掛けて来たのは聖なる
「これはシスタ。おはようございます」
この世界には『神』が居て、そいつがぼくを呼んだんだ。
さて、この世界に本当に神が居るとするならば――
何処まで虚仮にしてやれば。
何処まで不埒に振る舞えば。
このぼくの前に姿を現すだろうか。
ぼくはリトル・スノウ。
天下御免の罰当たりだ。
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