第十七話「辰」
朝五時のベルが鳴る。外の景色が見えるならば、もう少しで日の出が見れただろう。
――今日中に残りの探索も済ませたい。
リビングに移動すると、辰月は朝食を既に用意していた。備蓄は缶詰ばかり。ロバート教授が事前に用意して置いたものだろう。冷蔵庫の中身に辰月の生活感の面影は一切なく、俺の母語の文字がぎっしり書かれた缶詰にトマトビーンズや鯖の味噌煮、キュケオーンなどが入っていた。
二人とも食べ終わると、合図するでもなく身体をストレッチさせて『いつでも行けるぞ』という面持ちでいた。
<途中までの手順は昨日と一緒だ>
<わかった>
また廊下の"裂け目"まで向かい、慎重に裂け目を広げて行った。
<昨日の石像が粉々に砕けて床に散乱してる>
<足元にも気をつけないとか>
今度は初めから右の穴に向かうことがわかっている。
前回は土属性に見せかけた風属性の魔獣が出てきた。今回もそうかもしれない。(辰月が)観察した限りは水属性のエリアと判断できるが、その決め打ちは危ないということだ。
だが、どうしたことだろうか。昨夜はそれなりにいた魔獣が見当たらない。何もいないのは、むしろ不穏すぎる。
辰月と俺は警戒心を強めて、右側の穴まできた。
<何も、なかったね>
<おかしい事にね、絶対に理由はあるんだ。気を抜いちゃいけない>
そうして、洞窟の中に入ろうとした時、中から叫び声が聞こえた。
「な、人?犯人か被害者か、何者だ!」
叫び声であったから誰かわからなかったが、その声質はどこかで聞いたことがあるような気がした。慎重に近づく。
奥に行くと、鎖で繋がれたミナ・バヴァがいた。両目には辰月にかけられたものと同じ"閉瞼"の魔法が施されており、こちらの存在には気づいていないようだ。
辰月が助けようと飛び出しかけたが、手を引いてそれを制止する。
<何かおかしい、これ自体が罠だよ>
俺は遠隔呪文を用いて、杖を一振りして鎖を持ち上げた。鎖は最初から繋がれていなかった。ただ手首に軽く巻いていただけだ。
「……チ、バレたか。仕方ない。どうして罠だとわかった?」
「被害者面のためもあって"閉瞼"の魔法を自分にかけたんだろうけどさ。声を変える魔法は精度が甘いね。合成音声のようなエコーがあるよ。
あと、バヴァはこういう時絶対悪態を付くな。路美と一緒でいつだって小言罵詈雑言悪口陰口を言い合ってるんだから。彼女が象徴図画で龍を描いたから罪を着せるのにちょうどいいと思ったんだろ、ピエレッタ・グノー」
「……そんな、なんでバレ――」
「あ、いや、それはヤマカン。ルカは先ずこんなやり方しないし、夜道路美は『そんなことよりお宝だ!』って性格だろ?消去法だよ消去法」
ピエレッタは握り拳をわなわなと震わせた。
「今だ襲え!フェニックス!」
「な!?」
振り向くと十メートルはあろう炎を全身に纏った巨大な怪鳥がもうスピードで突っ込んできた。
「τηλεμεταφοράς!(テレポート)杖の先の方へ!」
すんでのところで攻撃を回避した。
フェニックスはそのまま同一線上にいたピエレッタに突っ込む。
「うそ、ああああ」
「捨て身の攻撃すぎんだろ。まああのサイズの魔獣を御し切れるわけないよなあ。ハロルドも匙を投げるだろうな」
だが疑問は尽きない。あんな巨大な魔獣がこの霧の中自然発生した?もしくは教授や取締局の目を盗んでこんな異空間にまで連れてきた?両方とも現実的じゃない。
そう考えを巡らせてていると、繋いだ手が小刻みに震えだした。ふと辰月の方を見ると、顔面蒼白で、汗をびっしょりかいていた。
<思い出した、あれが、あの炎が家を燃やしたんだ!それで、片目も持ってかれて……>
辰月は過呼吸になる。背中をさすりながら、辰月を諭す。
<今からあの鳥をなんとかするための魔法を繰り出したいんだけど、君の協力が必要なんだ。いいかい>
辰月は何とか俺の方を向いて、深く頷いた。
<君の名前『辰月』の
名前を
由来を
龍が登って言って、海に生まれた新たな命を
深く思って、想像して、そう……
龍が登っていく
まん丸の月に登っていく
龍から切り離された落とし子はまた海を漂い大きくなって行く
大きくなって
水拭きをあげて
海岸にいる民たちを驚愕させる
また、この地の守り神が現れた
我らを守るために現れた>
魔導書を開き、杖を揺らし、辰月の周りににだんだんと水が集まってくる。
「Δράκων!(龍よ)Εμφάνιση!(いでよ)」
辰月を中心にして巨大な水の渦が発生し、その渦はだんだんと龍の形を成していった。
空中で、炎の鳥と水龍が対峙した。龍は巨大な「波」となり、炎の鳥を丸ごと飲み込んで、洞窟を抜け記憶の部屋へと続く広い地下空洞へと抜けて行った。そして霧も全て飲み込み天に向かってまっすぐ進み、天井に衝突すると同時に天井いっぱいに水が弾け、大量のスコールとなって水が落下していった。
「……こんな大魔法はじめて使った……」
洞窟の奥に戻ると、気を失ったピエレッタを辰月が見下ろしていた。炎の鳥に激突されたのに生きているのは驚きだ。一応そうなるかもしれないことは事前に想定していたか。
よく耳を澄ますと、ポケットから男の声が聞こえ、中から光が漏れていた。探って取り出すと、紙に書かれたリー・ムーチェンと、直径十センチメートル程の水晶玉が入っていた。
「おいピエレッタ、倖田とあの聞こえずの女はどうなった!バレたらおしまいなんだぞ!!なんとか教授の監視をかいくぐってお前だ送れたんだが、これ以上は無理だ、そろそろ戻ってこないと――」
今の発言を魔導書の記録欄に挟み、ムーチェンの書かれた紙を折りたたんで魔導書の白紙のページに入れた。
<さて、雨の中記憶の部屋まで帰らないとだな。風邪ひかないといいけど>
寝室に戻ってきた。先程まで怪獣対決を思わせるような出来事があったことが嘘のように静かだった。
<この水晶は人の記憶を追体験できる装置だ。辰月はもう思い出したようだが、改めて観るか?俺は観てもいいか?>
<観るしかない>
水晶を二人で覗き込むと、水晶に映された世界、視点に入り込んだ。一度意識が遠のいてしまう。
……
…………
何か、焦げ臭い。何かが割れる音がする……。
いつから眠っていたのだろう。『俺』は、今自分が置かれている状況に至った過程ががわからなかった。
バチバチと木材の家具が火に当てられ、割れ目を作る。『キャンプを思い出すな』と、燃える家具を眺めてぼんやり考えていた。
壁際の洋服掛けが自分目掛けて倒れて来た瞬間、意識は目の前の出来事を現実的に捉えた。
――火事、逃げなければ!
やっと思考が定まり、急いで床から起き上がり廊下へ出るためのドアへ向かった。
ドアノブに手をかけようとしたとき、視界右側全体を覆うように食器棚が倒れてきた。割れたガラスが眼球を直撃し、激しい痛みに襲われる。その場でうずくまり、痛みで目を抑えた。しかし、もうどうしようもないことは直感的にわかっていた。
目の前にある割れた壁掛けの鏡をじっと見つめ、全身傷だらけ、血だらけの”辰月”は、食器とともに落ちてきたナイフを握りしめた。助けなんか来ない、目は見えない。
――左目も痛みが走りモヤが広る。
そして生まれた頃から聞こえない耳。
聾者で生まれてきたことに『私』は後悔していなかった。時折差別や無理解に晒されることはあっても、日本の社会の中でそれなりに生きてきた。しかし、今この状況で聴者の人間より、絶望をそのままに受け入れてしまうことを、誰が責めようか。
喉元にナイフを当てたとき、天井が焼け落ち崩れてきた。奥から、巨大な鳥を型どった炎が降り注ぐ……。
…………
……
俺はハと気がつくと、水晶をもち寝室中央に立ちすくんでいた。部屋を見回すと、角の方に炎が残っており、それがだんだんと小さくなって消えていくのを確認した。
その近くでうずくまる辰月は、汗をびっしょりかき悲愴の面持ちで俺の顔を捉えた。
* *
もうしばらく部屋を観察したあと、顎に手を当て、状況を整理した。
「『記憶の部屋』が水晶と呼応して、辰月の召喚直前の状況を再現した。ということか」
<何故私はまだ生きていて、痛みもないのだろう。右目は見えないのに……>
俺は少し考えたあと、結論を語った。
<異世界召喚の儀式はとくに、誰を召喚したいとかの条件付けが緩い場合、命の危機に瀕している若い人が召喚されやすかったりするんだ。それで、たとえばトラックの衝突事故でぶつかり際に契約が結ばれたりすると、死んでないけど結構な怪我な怪我をしてこちらの世界に呼ばれることがある。
死に際の人が呼ばれて、召喚された瞬間事切れるというイメージはもってないと思うんだけど、これは召喚の際の時間の歪みで、実際の被召喚者が死ぬ直前に少し巻き戻って召喚されるんだ。詳しい仕組みまでは自分には分からないけど。たぶん辰月は崩れてきた屋根や炎の鳥が"基準"にされたんだ。目は間に合わなかった>
辰月は目を直接いじらないように、そこにかかった前髪を絶えず手櫛しながら俺の話を聞いていた。
<けれど、目から大量に出血してたら召喚された瞬間どう話が転ぶか分からなくなるから、ピエレッタとムーチェンが、"閉瞼"の魔法と、おそらく多少の治癒魔法を施したんだろうな。その上で期を狙って殺そうとした、と。
あの炎は見覚えがある。ムーチェンが成績を伸ばした元素魔法の実演で使われた炎だ。あんなに強大ではなかったが、それは何故だろうか。しかし、確かにあれはムーチェンのものだ>
話し終えると、部屋の証明が点滅しだした。教授の連絡の合図だ。動かなくなっていた教授のイラストが動き出す。
「やっと通信が繋がった!実はフライングして少し推理を聞かせて貰った。こちらのルカや私の推理、証拠と合うものだ。こっちに戻ってきなさい。τηλεμεταφοράς!(テレポート)セントラル魔法大学儀式場へ!」
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