第十五話 「亀裂の向こう側」
俺は探索に入る前に、魔法の基礎を辰月に教えることにした。
そしてその語彙を逆に教わった。付け焼き刃にもほどがあるが、探索で魔法の"産物"が見えた時に、それを説明されても俺が理解出来なけれ意味が無い。
魔力の濃密な霧の中では、そこから生命を宿した魔獣が新しく生まれたり、外部から集まってきたりする。だいたいの魔獣には属性が付与されており、それは四元素と同一である。
すなわち
火
土
風
水
の四種である。
火の魔獣は炎を体のどこかに宿している。
土の魔獣は植物の特性を持つ。蔦や葉、花など。
風の魔獣は翼や羽を持つ。鳥類や昆虫など。
水の魔獣は排気口からミストを噴出したり、エラやヒレを持ち身体全体が濡れている。
火は土に強く、
土は風に強く、
風は水に強く、
水は火に強い。
こうして、あまりに急ごしらえではあるが、俺と辰月は裂け目の中に入っていくことになった。
一応俺の国の書き言葉を教えたが、音が基準になってるのに音無しで急に覚えろと言っても無理な話だ。上記の書き文字をメモにして渡したが、それに頼る心持ちではいけない。こちらが辰月の言葉を読解しなければ。
そして、魔法取締局の局員が来る直前に気にかけていたことで、この家に来てから辰月が気にかけていて不意に『いじる』ことを何度か見かけたアレを、言及しなければならない。
分からない語彙はジェスチャーで補って伝えた。
<君のその左眼、前髪で覆われているが、もしかして見えてないんじゃないか?>
<……その通り。でも、何故か見えていないのか覚えていない。記憶がない>
* *
元々耳が聞こえないというのに、眼も半分見えないとは、なんと想像するだけで寒気のする世界だろう。そして、辰月の目を調べて改めてわかった。この目は魔法によって閉ざされていた。一体彼女を妨害した人間にはどれほどの非道であるか理解した上で行ったことなのだろうか。
今、彼女の目をどうしてやることも出来ない。魔法によって閉じられた瞼を下手に開けようとして損傷したら一大事だ。現時点で瞼の奥がどうなっているは知りようもない。無事であることを祈るばかりだし。魔法を解く鍵を見つけるためにも裂け目に入らねばならない。
再び二人で裂け目の前に立ち、慎重に裂け目を広げていった。お互い手を握り、なにかあったらすぐ対応できるようにする(左眼側に俺が立った)。
今度は霧を晴らすための魔法はしない。周囲を警戒しつつも、視界不良であるので、音や振動、また匂いなどにも気をつける。五感のうちどれかが鈍る状況では、ほかの集中力が上がるというのは本当のようだ。
辰月は手を握りつつも両手で手話をした。視界不良だが、繋いだ手から伝わる動作でどう動かしてるかの類推も出来た。裂け目に入る前『聾者の視界に問題が起きた時はこうやって会話する』と辰月は語っていた。
<辺りは巨大な地下空洞のようになっている。奥、二十五メートルくらい先?にはトンネルの入口のような穴が二つある>
<両方になにか差異はある?>
<パッと見た感じは分からない……いや、右側は上方から水が滴ってるみたい。左は、蔦のようなものがいくつか垂れ下がってる>
<……警戒心を弱めずゆっくり、両方の穴に近づけるようだんだん近づいて行って>
左右両方共、魔獣であればどんなものがそばに居そうか、悪意ある魔法使いならどんなトラップを施していそうか、いくつか候補はあるが、今辰月に伝えられる術はない。
ひたすら慎重に近づくのみである。
<右手二時の方向の奥、十五メートルくらい先に水系の獣が三匹いる。サンショウオに似ている。サイズは百五十センチメートルくらい。こちらには気づいていない。ただ周りを彷徨いている>
<左側はどう?>
<特に気になるものは……いや、十一時の方向。ハエトリ草?私が見たことあるのは五センチメートルくらいだけど、五十センチメートルくらいのサイズのが生えてる>
――罠だな。
穴までの距離残り十メートルくらいまで近づいた。
この距離から炎系の魔法でハエトリ草を燃やすか。ただ考えなしに炎魔法を使うと、炎の光で霧の中でも周りの魔獣たちに見つかってしまう。
杖を構え、先に別の呪文を唱える。
「Ροή(流れよ)、ευγενικά(丁寧に)」
杖をゆったりとぶらさず、円を描くように振って、自分の前方にある霧をちょっとずつ右後ろ側へ流した。そうして、後ろ側の濃度をあげて、光が漏れにくいようにした。少しだけ自分の目にも前方の面影が見えてくる。
<ハエトリ草の口?がこちら側に向きを変えた!少しずつ開いてる!>
「έγκαυμα!(燃やせ)」
杖先から炎が噴出し、ハエトリ草に命中した。燃え上がるが、草がある程度燃えたところで火を消す。霧の濃度を調整していても、ずっと燃えていては他の魔獣にバレてしまう。
辰月と目配せし、穴を目指す。残り八メートルほどだ。
<待って、上からなにか飛んでくる!花弁?みたいなのがたくさんついてる物体が、二メートルくらいある!>
「もう一回!έγκαυμα!(燃やせ)」
<あ、あんまり効いてないみたい!>
<なんだって!?>
<あぶない!>
上からノコギリ状の鎌のようなものが目の前に降ってきて、とっさに辰月を庇って腕で防御姿勢をとる。
皮膚が切れてしまって、結構な出血をしてしまった。
<コウダ!>
<なんとか、大丈夫>
炎の効かない理由がわかった。魔獣は土属性に『擬態』している。
実際には花にカモフラージュした風属性の『蟷螂(カマキリ)』だ。
「それなら、Μεγαλώνω!(大木よ生えろ)」
土属性の、鋭利な幹を勢いよく地面から数本生やす呪文だ。本来は標的を捕獲するための呪文で、先端を鋭利にすることは禁止されている。時空の歪みでもなければ、バレたら取締局に即逮捕されるだろう。
<蟷螂に刺さって、悶えている……まだ生きてるけど、時間の問題みたい>
なんとか左側の穴の前まで到着した。もう罠や魔獣は出てこないようだ。
「Φως(光よ)」
辰月のために中を照らし、奥に進んでいった。しばらくすると行き止まりで、魔霧の濃度も少ない。自分でも見渡せる。壁際には目を見張るものがあった。
「石像、だな。それも八体」
そのうち一体には王冠がかぶさっており、後ろには鎌を持った処刑人風の像が立っていた。
「なんか悪趣味だなー」
もう少ししっかり見ようと像に近づくと、残りの六体の石像が動き出した。さっきまで白色だった石色が、像ごとに別々の色へ変化していった。
石像の前に行くと、一体一体違うことを話してくる。左から右へ
赤
黄
青
緑
白
オレンジ
に光っている。
先ず、処刑人が語り出す。
『正しい石像は一体』
赤『緑の石像に同意』
黄『王様は人の心が分からなくて死ぬことになった』
青『オレンジの石像に賛成』
緑『黄の石像が言ってることは本当だよ』
白『王は財を独り占めしたバツで死ぬことになる』
オレンジ『王は娯楽で人を殺したバツで死ぬことになる』
「見た目は大層な割にお遊びのような"鍵"だね。どうやら焦って俺たちに見られたくないものを隠したから、高度な封印魔法や暗号を用意できなかったか」
<私は聴くことはできなかったけど、正解わかった?>
<わかったとも>
俺は杖を上向きに掲げ、先端を正解の色で光らせた。
「Φως(光よ)、άσπρο!(白く)」
すると、鎌を持った処刑人が鎌を振り下ろし王の像を粉々に砕いた。
『斬首じゃないのか』と小声でツッコミを入れていると、粉々になった像の中からロバート教授の描かれた紙が出てきた。
「通信は――さすがにもう切れているか。でも何やら長文が書いてあるぞ。きっと言い残したことを記述したんだな。情報がわざわざ隠されたということは、何かまずいことが書いてあるうだろうなあ」
俺は紙を折りたたんでしまうと、残りの像たちが一斉にこっちを向いてきた。
<あー、やばいね。いいか辰月、合図したら手を引いて、思いっきり走って逃げるぞ、三、二、一、さあ走って!走って!>
俺と辰月は再び手を握り、全速力で裂け目の方向に急いだ。来た道を戻るのでだいたいの方向はわかるが、それでも洞窟の出入り口に近づくに連れ濃くなる霧に方向感覚を惑わされる。
後方から石像が追いかけてきたが、どうやら洞窟からは出られないようで、広い地下空洞に出ると、石像らは穴の近くでこちらを眺めるのみであった。
<疲れたが、帰れ道の霧も行きと同様に気をつけて帰ろう>
そうして歩き出そうとした時、急に、後方からデスサイズ(大鎌)が辰月の首元に当てられた。見えない視覚につけ込まれたのだ。
『気様、我々の言葉に一つも返事をしなかったな』
処刑人が問いただす。窮地に立たされた。俺はゆっくりと杖を取り出し、光を灯した。
「彼女は異邦人だ。異邦人は罪か?」
応えはなく、喉元に今にも触れそうなほど鎌が近づいた。
<辰月、一か八かだ、悪いね>
昔、プトレマイオス家の知人から教えられた禁呪を唱えた。
「Ορυκτοποίηση(石化しろ)喉元!」
鎌が辰月を斬首しようとするが、魔法の石化部分の方が固く攻撃は防がれた。しかし、今度は王様の像を破壊したように大きく鎌を振り上げて力任せに振り下ろして来た。
辰月は泣きそうな顔になりながらまた俺の手を引いて全力疾走した。俺は水魔法を襲いかかる処刑人に何度か振り替えりながら当て、なんとか裂け目に飛び込むことが出来た。
『Κλείσε!(閉じよ)』と唱え強引に裂け目を閉じた。次に『Ενίσχυση(補強)』の魔法を施し周りに亀裂の走った壁の強度をあげた。
壁の向こうでは処刑人の石像がぶつかったのであろう。土砂崩れのような音がきこえて来た。
「Ακύρωση(解除)」
石化魔法を解いていく。通常であれば数日は喋れない。
辰月も俺もクタクタだ。入手した資料はあとで頑張って翻訳して共有すると辰月に伝え、辰月は寝室に、俺は魔法で用意した工房へ入っていった。もうひとつの穴の探索は、明日になりそうだ。
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