第十四話 「異様な亀裂」

 廊下の壁にかけてある全身鏡の隣に、幅十センチメートルほどの隙間の開いた亀裂が走っていた。俺は振り返って辰月を見たが、心当たりはないようで慌てて首を横に振った。

 隙間からは明らかに魔力が漏れ出ている。辰月から魔力を感じないのに取締局が出てきたのが不思議であったが、どうやらこの裂け目が原因であるようだ。

 以前書物で読んだことがある。『時空の裂け目』はそこから魔力が漏れ出ていて、明確な因果は分からないがその裂け目は別次元の世界において同じ座標に繋がっていると。おそらく、ここの裂け目は現実の辰月の家に繋がっているのだろう。

 一体、彼女の家に何が起こったのか。

 裂け目の中を探索したいが(教授のイラストも吸い込まれてしまったし)先程の風は魔力によるものだ。迂闊に裂け目を広げすぎてしまうと被害が出かねない。

 俺は杖と魔導書を取り出して、遠隔操作の呪文を唱え入念に杖を揺らしながら、裂け目を少しずつ広げていった。

「これは……」

 人が一人ほどが通れるほどの空間を開けたが、裂け目の向こうの、あまりの魔力濃度に驚いてしまった。物理的に霧のように濃くなっていて、五十センチメートル先をしっかり見ることすら厳しい。

 勇気をだして杖を取り出し『δοκιμή αποκοπής!(遮断せよ)』と唱える。"魔法遮断"の魔法で、これを唱えると一瞬視界が開けたが、その光景に目を疑った。

 数え切れないほどの魔獣が広い空間にひしめき合っていた。数秒硬直していると、こちらを向いて一斉に走ってくる。急いで杖を下ろして魔法を中断すると、霧が元に戻って、魔獣たちの鳴き声なども遠ざかっていった。

 目視できた魔獣のサイズはどれも犬猫程度のもので、どこかから集まってきたというよりも、魔力濃度の濃い場所で最近生まれたと見る方が理にかなっていそうだ。

 私があたふたしているのを辰月は観察していたが、手話を使って話しかけて来た。

<私/中/視る/出来る/今/も/(頷き)/./あなた/みる/出来る/同じ?>

 ――私は現在も中を視認できているが、あなたは同様にできているか?(できていないように見えるが)

 半分は分からない単語が使われたが、どうやら辰月には霧がかかっているようには感じられず、中が普通に見えているようだ。

 理由は明白だ。魔力濃度はいくつかの例外を除き生まれつき魔力を持つ人にのみ知覚できるものだからだ。彼女に魔力はない。

 辰月は思案する私にある提案をしてきた。

<私/あなた/一緒/裂け目(指さし)/行く/./私/教える(あなたに)/何/私/観察する/./あなた/その場所/理解する>

 ――私とあなたが一緒にその空間に入って、私が状況を観察する。それを教えて、あなたはこの空間の理解を深める。

 果たして、自分の読解はあっているのだろうか。

 亀裂の中に入る?魔力を持たない辰月と?

 辰月を連れて歩くのはかなり怖いが、私の魔法で守りながら二人で中を探索するしかなさそうだ。


 しかし、そもそもまだ手話の解読が最低限できているか怪しい。

 今落ち着いた場でなんとか読み取っていても、イレギュラーが起きた時コミュニケーションエラーが起きるのは最悪だ。

 一旦辰月を連れて寝室に戻り、学習をしてある程度意思疎通手段を補強してから戻ってこよう。

 

 裂け目を慎重に当初の十センチメートル幅まで戻して、寝室に戻っていった。


      *      *


 ――これは幸田紅葉と通信する少し前の出来事。


 今夜はかなり骨の折れる出来事が続く。

 私ロバートの監督するゼミナールで起きた"事故"は、完全に"事件"となってしまった。

「取締局員である私が急いでここに来て対処しようとした理由は、儀式場内部から応援要請が来たからだ、一体、要請を出したやつはどこに行ったんだ?」

 捜査官から告げられた内容にゼミ生は動揺した。今回この儀式場は我がロバートゼミの貸切なのだ。

 私はすぐに各ゼミ生――

 ルカ、

 路美、

 バヴァ、

 ピエレッタ、

 ムーチェン、

 ハロルド、

 以上六人をそれぞれ一人一部屋、魔法遮断の術が施された部屋で待機するよう命じた。

 このようなことになってしまうとは、なんとも残念な気持ちである。

 

  ・ゼミ生メモ

 ルカ・ドラゴネッティ

今回の召喚儀式のリーダー・責任者で、植物魔法を得意とする。

 夜道路美(ヨミチ・ロミ)

無類の宝石ジャンキーで、専門は鉱石魔法である。

 ミナ・バヴァ

画家としても活躍していて、今回は魔力を増幅させるドラゴンなどの『象徴図画』を描いた。

 ピエレッタ・グノー

元素魔法を専門としている。元素魔獣の扱いには難があるが、座学の成績は優秀。

 リー・ムーチェン

元素魔法を専門としている。座学は苦手だが、魔獣を用いた実技に秀でており、ピエレッタとタッグを組むことでお互い短所を補っている。

 ハロルド・ヴァルト

魔獣飼育、生態調査が専門である。今回はか彼の専門性はほとんど不要であったため、雑用をこなしていた。


 まずはハロルド、次にルカの順番で話を聞きに行く。ハロルドが白であるなら、聞き込みが終わったあとは安静にしていることを優先したいからだ。ゼミ生の中で一番身体的負傷が大きい。

 次はルカの徴収をする。彼女が召喚儀式のリーダーであるのと、彼女の行動は幸田の記録した魔法記録書や彼女の魔法設計書で判断しやすいからだ。

 徹夜になることを覚悟した私は、まずハロルドの元へ向かった。

 

「――ずっと儀式場の監視をしてましたよ、僕は。まあ、先生も聞いていた通り、魔力の噴出は気づけなかったですけど」

「うーむ」

 一通り話を聞いて見たが、やはりハロルドがなにか悪さをしたような印象は受けない。

「なにか今回の召喚儀式"以外"で、些細なことでもいいから気になったことが、ここ数日起こらなかったか?」

 少し悩んで、不可解そうに返答した。

「関係があるか分かりませんけど、僕も飼育担当として参加している、ヒッポグリフの体調が悪いんですよね。なにかの病気を疑って担当教官が調べてましたが、原因は分からず。僕もあいつを可愛がっているので、心配ですよ」

「なるほど。では、聴取は以上だ。身体を休めていなさい」

 はいとハロルドは返事すると、私が部屋を出る前にはベッドで横になって眠りについてしまった。

 

 ルカの聴取は時間がかかったが、再度魔法ログと設計図を見ても問題点は見つからなかった。

「少し、不安点があります」

 ルカは言いずらそうに話をし始めた。

「今回、このような大事になるとは思ってもみなかったので、準備段階でログを取れていなかった箇所があります。いや、本来無くなるわけがなかった場所なんです。肝心要の魔法陣と象徴図画ですわ……。あの捜査官が余計なことをしたと言わざるを得ません!床に描かれた魔法陣も象徴図画もめちゃくちゃで、そこに不備があったか確かることがめちゃくちゃ困難になってしまったわ!」

「ハロルドの持ってた儀式場監視端末と、記録のログと、設計書と、壊れた床から、断片をつなぎ合わせていくしかないな」

「しかし、その上で言わせて頂きたいです。私は床に描かれた魔法陣は複数回確認し、設計書通りに描かれていたと断言しますわ」

 ルカのこういう押しの強い主張を何度か見てきたが、今回が一番力強いものだった。過去の主張では実際彼女の考えが正しかったことばかりである。

 しかし、心情ではそう思っても、私は今調査を取り仕切る立場である。実際問題の魔法陣の再確認は完了していないので、現段階でルカを擁護することはできない。

 本来関係がない女性――辰月氏を巻き込んでしまっている現状に、ルカの準備のどこかにも問題があったのだろうし、ここまで大事になると、事件を早々に解決出来なければ私の監督責任にもなってくるだろう。

「では、なにかこの召喚儀式以外で気になること、不可解なことなどあったかな」

「……最近私より成績の良い結果を出してきてる幸田、ピエレッタ、ムーチェンをかなりライバル視していて、対抗意識があったことは事実です。だから、自然と彼らに対して苦い評価をしたがっている自分がいて、それが良くないことだということもわかっています。

 その上であえて言及すると、成績は伸ばしているのに授業や実技に身が入っているとはとても思えないピエレッタとムーチェンの2人にはイライラするものがあります。紅葉はその点上手くやっているようですが……彼は記録魔法を行うのに、魔導書を無駄に暗号化させすぎているきらいがあって、困りますわ」

「うん?私は特に気にならなかったが。それに、ある程度外部の人が盗み見ても秘匿されるよう暗号化することは悪くないとこだがね」

「ですので、感情的にその三人を見てしまっていると前置きしたのですわ。

 紅葉は手話に一番興味津々でしたが、あれも魔法秘匿に使えるからでしょう。言語というのは意思疎通に使うものという前提があるので忘れられがちですが、自分や特定の人にしか分からない言語を使うことによって、ほかの人へ情報の秘匿に使うこともできるし、翻訳を悪用して誤情報を伝えることもできるのです。

 今回の事件を考えていた時、確かに記録書という圧倒的証拠を持っているのは紅葉で、復号化キーも我々が所持していますが、それでも、あの難解さは、事件を確認する上で引っかかるものがあります」

 彼女の言い分も悪いとは言えない。彼ら三人は確かに好成績を収めているが、ピエレッタとムーチェンは行動が見えないという点で、紅葉は記録が複雑すぎるという点でどちらも問題がある。しかし。

「彼ら三人から見たら、一番怪しい人物はルカ、君ということになるだろうな」

「……重々承知しています」

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