第十三話 「名雪辰月の部屋」
……
…………
ゆさゆさ、ゆさゆさ……。
誰かが俺を揺さぶっている……。
遠のいていた意識からだんだん現実に引き戻され、痛む身体を起こし辺りを見回した。揺すっていたのは召喚された女性で、周りはごく一般家庭の寝室、といった見た目であった。
何やら、手話で話しかけている。
<よかった/起きた/……/大丈夫?>
「心配してくれたみたいだ。大丈夫。……ここは、どこだろう」
初めて来るところだ。周りを注意して観察した。
女性はまた手話を俺に投げかけた。
<ここ/私/家>
一つずつ解読してみよう。
<ここ>、二回床に向けてノックするように指差し。"この場所"って感じだ。
次に彼女自身を指差し。"自分"のことだよな、さすがに。
最後に手で三角(底辺はない)。屋根、家?<ここは自分の家>?まさか。
ロバート教授、いくら俺より何倍も魔法が上手いからって、異世界に二人もぽんと移動させることはできないはずだ。ありえない。だとするとここは一体。
しばらく考え込んで床を見つめていると、女性は俺の目の前で手を振った。
「ああ、ごめん。そうか、手話って『見てない』と伝わらないよな。そりゃあそうか。そうなると……あー普段の身のこなしから全然意思疎通の感覚が違うぞ!思ったより日常的な文化から違う。リズムが違う感じだ」
顔を向き合い、しっかり女性を見つめた。
女性は改まって俺に話しかけた。
<私/名前/辰月※
あなた/名前/何?>
俺は意図に気がついた。彼女は自分を指差し(<私>)、次に左手の手のひらを相手に向け、指は伸ばし、右手は親指のみ立て、指先を左手の平中心に押し当てている(<名前>)。そして『辰月』。
彼女――辰月は、名前を教えてくれているのだ。
俺も名乗ろう。
<私/名前/……>
自分の名前の表現が分からず腕が止まる。辰月は俺に紙とペンを渡した。
「とりあえず文字で書くか。『Κοδα』(コウダ)』っと。やっと自己紹介がお互いできたな」
* *
儀式場では捜査官が縄で拘束されていた。
私(わたくし)と、ロバート教授は捜査官と対峙している。他のゼミ生も周りで様子を伺っていて、教授に儀式場から出ず不審なことはしないようにと言い渡されていた。場外の状況把握は、教授の使い魔が行っていた。
「さて、命を取らずに拘束するのはちと骨が折れたぞ。こちらの話も聞かずに即刻攻撃してくるとは随分なご挨拶じゃあないか?」
教授は捜査官に問いかける。
「あなた方のやってることは他の局員にも知られますよ。初めは召喚された女性と、首謀者のルカだけの対処の予定だったんだ。お前たち全員タダじゃ置かないぞ……」
話を聞いていた路美は手に持っていた安い鉱石を握りつぶし叫ぶ。
「てめーからいきなり攻撃してきてよくそんなことが言えんな!」
「路美!少し落ち着いて」
路美を宥めた後、捜査官に向き直る。
「あなた被召喚者に勧告出した?私のところには来ていないんだけど?」
この事前勧告がなければ、魔法取締局員は緊急での対処はしてはならない決まりである。当然、私のところに来てはいなかった。
「もちろん出したとも!念聴魔法でね!彼女の膨大な魔法があれば傍受できないことなんてないのに――」
教授は話を制止した。
「待て待て待て、二つツッコミどころがあるぞ。まず、被召喚者はそもそも魔法使いではなく、魔力も持っていなかった」
「それが詐称だと――」
捜査官が言い終えぬうちに、儀式場外を見回っていた教授の使い魔である"あくぷりん"が入ってきた。
「ロバ〜ト教授~儀式場の防犯魔法のログを見てたら、儀式召喚された一瞬すごい勢いで魔力が放出されてるよ~」
「え、そんな」
捜査官の攻撃の巻き添えを食らって寝姿勢で休んでいたハロルドがギョッとして身を起こした。
彼の雑用内容の中に、儀式場の出入りに不審な点がないかの監視があったからだ。私は彼も宥めた。
「たぶん儀式場備え付けの監視魔法で確認できたのが一瞬なら、リモートコントローラーのハロルドに渡したレベルの魔具だと気づけなくても仕方ないわね。監視者の機動性を優先して監視魔法を本機を使わなかったのは私の判断よ、あなたは休んでて」
「つまり、彼女本人に魔力はなかったが、一緒に何らかの要因で同じ空間にあった魔力が運ばれてきたということか。しかし、捜査官の君がもう少し慎重に彼女を直接観察してくれればなあ」
教授は捜査官を見下ろして言った。
私はもう一つの問題の答えを伝えた。
「彼女は魔力を持たないから、魔法による情報伝達は『受け取っていたら』痛みになるでしょう。しかし、彼女は伝達に気づかなかったのです。音が元々聴こえない体質ですからね」
「……念聴での勧告にしたのも、焦っていたのも訳がある」
「さあ、観念して最初から話をしなさい。一体なぜ取締局がいきなり出てくるのだ。ネズミとりで張ってたわけでもないのに」
教授が詰めに入った。
「それは――」
* *
聾者である私はもうしばらくΚοδα(倖田)という聴者と手話を教えるやり取りをした。
コウダは面倒くさがらず興味深そうに観察してくれるので、教えるこちらの身も幾分かは楽になる。手話を実践するとなるとこういう文法は皆苦い顔をするんだ。
英語を学ぶ時でさえそうだ。私たちにとって日本語が『外国語と同等である』なんて考えに至る人たちに出会えた試しがない。そういった意味でも、コウダの積極性はありがたかった。
もちろん、
・あのわけの分からない空間に飛ばされて、
・何故かグループの諍いに巻き込まれて、
・いきなり剣を構えた男に襲いかかられ、
・魔法のような信じ難い超常現象でふっとばされ、
・何故かまた家に戻って、そのうちの一人が家に着いてきた。
という状況への、理解出来る説明を求めているために意思疎通の手段を共有しているというのが一番なのだが。
それに、自分の身体に起こっているある異変を話す機会も失ってしまって、話そうにも今パッと示していいのか、もう少し意思疎通の語彙が増えてから行うべきなのかも判断しかねていた。
* *
俺は辰月からいくつか言葉を教わった。最後の言葉は"魔法"であった。
辰月は神妙な面持ちで『杖を振る人』をスケッチブックに描いた。杖の先から炎や稲妻が出ていたり、ものを浮かせたりしている。
<魔法>
<あなた/魔法/人/?>
――あなた、魔法使い?
俺は頷き肯定するのみであった。
さて、少しは会話が成立するようになってきただろうか。出来ればもっと自由に辰月の家を探索したいが、まだまだ意思疎通が限定的な状況であんまり大胆な行動はできない。
今はどちらかといえば、家の外に出て異世界の社会を探索したい気持ちもちょっとある。それに、あまりインドア派ではないので、
・今回の召喚魔法の不具合や、
・捜査官の不可解な行動、
などを外で探索しながら考えたい。
とりあえず話しかけるか。俺は辰月の前に回り込み、話を切り出した(相手の前に出てから話す。だんだん視覚言語の仕草にも慣れてきただろう?)。
まず俺は紙左側に家と中側に棒人間を二人書き、右側に家を出た棒人間を描いた。
<これ/したい>
辰月は頷いた。
<あなた/私/ついて行く/外>
――二人で共に外出する
二人で玄関ドアの前まで来た。辰月はドアを開けようとしたが、ドアノブが固まっていて回らなかった。辰月は不安な表情を浮かべて俺の顔色を伺う。
俺も自分でドアノブに手を掛けるが、開くことはない。
しかし、どこからか、ガサガサと音が鳴った。
「もしもし、聴こえているかな」
「その声は、ロバート教授?」
「そう、私だ。それより、何か紙とペンなど、絵を掛けるようなものを用意してくれないか?魔法で私の動く姿を彼女にも見せよう。音声で意思疎通できてるのは君だけだから」
「あー、絵心が試されるやつ」
寝室まで戻り、俺は紙手持ちの記録書を取り出した。"伝令用"とメモされた羊皮紙をファイルから切り離し、魔法陣を紙いっぱいに書き、中央に教授の似顔絵を描く。教授の似顔絵が、アニメーションのように動き出した。
「これで私の姿がそちらの彼女にも見えているな。まあ、姿が見えたところで私の会話内容は介さないだろうが、君と私が会話している事実は伝わるだろう」
「隣にいる女性は<辰月>という名前だそうです。
――発音は分かりませんが、たぶん<月>は月(Μήνας)かな?三日月を象っている気がします」
俺は教授に身振り手振りで伝えた。
辰月は絵が動き出した時、驚きの表情を見せた。儀式場から何度かの魔法の体験で慣れてきていたのか、気を持ち直し、教授とのやり取りを観察しはじめた。しかし、不安の表情は隠しきれていない。
――こういう時慰める言葉がわかればいいのに。辰月の家を一通り見た感じ魔法使いのようにも見えないし、そもそも彼女の世界には魔法はないだろうに。
このような考えが浮かんだあと、すぐにある疑問が湧いてきた。
――あれ、でもこの伝令魔法は双方の魔法が必要。こっちの世界でも魔法は使えるのか?
「いろいろ思考を巡らせているようだが、出来る限り応えよう。まず、そこは本物の彼女の、辰月氏の家ではない。『記憶の部屋』という、魔力を宿した空間だ。望郷の念が強い物がそこを訪れると、部屋の仕組みがわからなくても求める空間を再現するのだ。
彼女には魔力がないし、『家』に求める概念がある程度共有出来ていないと、この魔法装置は上手く働かないが、無事再現出来ているようでよかった。不幸中の幸いだな」
「ああ、なるほど『記憶の部屋』ですか、合点がいきます。もしかして、この空間に俺の自室・工房を作ることも可能ですか?」
「本来ははじめに参考にした家から別の建築物に変えるには、私が魔法をかけ直すしかないが――君の記録魔法をもってすれば、廊下の空いたスペースに一室ほど設けることができるだろう」
「では自前の工房を再現してみます。どうせなら言葉の通訳機能がこの家にも兼ね備わっていたらよかったのに」
「今後は改良しないとだな。まあ仮に術式に組み込んでいても上手く作動するか微妙だがね。『概念・文化圏が近くないと上手く作動しないかも』と言っただろう?」
「わかりましたよ。それで、あの捜査官はどうなったんですか?」
「上手く身動きを封じることができて、やっと話しを聞くことができるようになったが――なんと、儀式場から通報があったようだ。そして、召喚された辰月氏からは膨大な魔力が感じられ、勧告を出したが『彼女は無視した』ということにされ、通報したものは一刻も早く対応してくれと急かしたようだ」
「どういうことです?辰月から魔力は全然感じられませんでしたよ。それは教授も同じでしょう。今隣にいますが、現状も魔力は発せられていません。遮断魔法で抑えてるわけでないことも魔導書の機能でわかっています。
それと、その通報者、まるでゼミ内部にいて、今回の儀式に辰月が召喚されるのがわかっていて、陥れたみたいじゃないですか!」
「まず前半の問だが『灯台下暗し』というやつだな。辰月氏自身に魔力はなくとも、異世界から彼女と一緒にくっついて来たようだ。それが召喚の衝撃で召喚地点を起点にドーム状に広がり、儀式場を覆ってしまった」
「外から見ると、ドーム内部全体が魔力に満ちているよう認識された」
「左様。そして、実際に今回のアクシデントの犯人はゼミ生であると考えているよ」
「過失ではなく故意で辰月を呼び出して、殺害しようとしたってことか。一体なぜ」
「辰月氏は巻き込まれた側だとは思うが、当人が選ばれたのにも原因があるはずだ。彼女と意思疎通を図り、原因を探って――」
ここで、魔法イラストによる会話が途切れてしまった。部屋全体が地震の揺れはじめのように揺れたのだ。俺と辰月は驚いて辺りを見廻すと、急に突風が吹いて教授のイラストをくしゃくしゃにし、寝室を出て廊下に移動させてしまった。
辰月は自体が飲み込めずビクビクしている。
俺は辰月を宥めた後、慎重にドアから顔を覗かせ廊下を観察した。
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