ハナサナイデ……

となりのOL

ハナサナイデ……

 最近、ツイてない。

 彼女にはフラれるし、仕事ではミスをして上司に叱られるし、何か気の巡りのようなものが悪い気がしてならなかった。


 流れを変えようと、有り余った時間を使ってネットで厄落としやパワースポットについて調べていると、一つの場所が目に留まった。


 それは、一見するとなんて事のないただの山。

 標高もそんなに高くないし、場所的にかなり田舎ではあるけれど、麓にはちょっとした観光地もある。


 しかし、そこは日本国内でも最強のパワースポットとのことだった。

 そうそう、こういうのを求めていたんだ。

 

 そして、俺がこの場所に一番心惹かれたのは、そんな場所にも関わらず穴場スポットということだ。

 なんでも、この手のパワースポットには珍しく試練があるために、客足が遠のいているらしい。

 

 しかし、実際にはそんなに難しくはないという試練。

 それを乗り越えるだけで最強のご利益にあやかれるならば。と、俺は早速、翌週の休日にその場所を訪れた。


 最寄り駅に降りたまばらな人々。そのほとんどが地元民と思われる人ばかりで、確かにあまり観光客が見当たらない。

 ネットの記事によれば、まずは麓の観光地で食事をしてから行くのがおすすめとのことだが……弾丸ツアーに近い形で来たために、俺にはそんな時間はなかった。


 最寄駅についてすぐ、中継点ともなる観光地行きのバスに他の人々と共に飛び乗るも、到着すると街の中心へと移動する人々の流れに逆らうようにして、まっすぐに目的の山の方に向かう。


 ここから山頂まで、歩いて一時間といったところか。

 運動靴であること以外は普段着だったが、夏だし、用事が終わればすぐに帰るつもりなので、まあ問題ないだろう。そう思って、街を背に山の方へと進んで行った。


 彼女にフラれて以降、自宅と会社の往復だった俺にとって、山での散歩は非常に新鮮だった。新鮮な空気に澄んだ空、耳を撫でるそよ風に、少し涼しい気温。

 記事の通りに誰ともすれ違うことなく進む山道は、まさに独り占め状態で、これだけでもここに来たかいがあったなとご機嫌で山を登って行く。


 ちょうど、一時間ほど歩いただろうか。

 鬱蒼とした山道を抜けると、開けた場所に辿りついた。

 同時に、急に道が途切れてしまい辺りを見回す。

 

 少し、見上げた先に見える空。

 目的の山頂までは、あと少しと言ったところか。

 

 と、ふと見ると、ここから少し奥の方に誰かが歩いているのを見つけた。

 女性だ。自分と同じような軽装に、元カノを彷彿とさせるような焦げ茶の長い髪。


 その女性は、険しい岩場の方に向かって歩いていた。人一人がやっと通れるくらいの細い道で、一歩踏み外せば下へ転がり落ちてしまいそうだ。

 

 だが、その女性は、そんな道にも躊躇せず、岩肌に掛けられていたロープを掴んで奥へと進んで行く。

 そのロープのかかる岩肌には、「ハナサナイデ」という文字がそこかしこに書かれていた。


 なるほど。あれがか。

 あの少し心もとないロープを離さずに、山頂まで登りきる。と。

 なんだ、簡単じゃないか。


 そう思って、先ほどの女性が進んだ道の方に向かい、ロープに手を掛けた。

 その瞬間だった。これまでそよ風だった風の勢いが、いきなり増した。


 持っているロープがしなるほどに吹き、前に進もうとする足が少し押し返されるほどに勢いがある。

 突然のことに驚きはしたものの、きっと、風が集まる地形になっているんだな。と思い直し、腕で顔に吹く風を遮りつつ、ゆっくりと進んで行った。


 そうして二十分もすれば、山頂へと辿り着くことができた。

 真ん中には立派な木が一本立ち、その幹には相変わらず「ハナサナイデ」と書かれた文字が刻まれている。そして、山頂は先ほどまでの道中とは打って変わって凪いでいた。


 大したことない山とはいえ、山頂から眺める景色は絶景だ。

 眼下に見下ろす見知らぬ街並みに、思わず少し感動する。


 そして、この山頂の奥、一番先端に佇む女性の方を見た。

 こちらに背を向け、静かに街並みを見下ろしている。

 

 その女性は、髪型もさることながら、体型や背格好、そして服の趣味に至るまで、やはりどこか元カノに似ていた。


 目的がすんだらさっさと帰るつもりだったが、少しくらい新たな出会いを楽しんでもいいかもしれない。そうだ、もしよければ一緒にお茶でも。そう思って、女性に話しかけてみた。


「いい眺めですね。あなたもここのパワースポットを求めてきたのですか?」


 そう声を発した瞬間、これまで静かだった空気が変わり、足元から少しずつ風が舞い始めるのを感じた。

 女性は俺が話しかけたというのに、変わらず向こうを向いている。


 不穏な空気に、少し女性から視線を外して周りを見た。

 その時、耳元で、元カノと似たような、けれど全然違うような声がした。


「ハナシテクレテ、アリガトウ……」


 驚いて声のした方に振り向くと、急に誰かから勢いよく突き飛ばされた。

 同時に巻き起こった風に足元を取られ、俺はバランスを崩してしまう。


 そして、足を踏み外してしまい、俺はそのまま頭から真っ逆さまに堕ちていった。


 最後に見えたのは、確かにいたはずなのに、誰もいなくなった山頂。

 そこでブツリと意識が途切れ、気が付くと、俺はあの山頂へと向かう岩場の入り口で立ちつくしていた。


 落ちたはずなのに、不思議とどこも痛くない。

 変わらず岩肌に書かれた「ハナサナイデ」の文字。

 ……あれは、一体何だったんだ?

 そう思って、またロープを手に取り、山頂へと向かって行く。


 記憶と変わらずに、木一本のみが真ん中に佇む美しい景色がそこにはあった。

 しかし、あの女性のいた痕跡は全くない。

 

 あの女性は、一体どこにいったんだろう?

 そう思って、女性がいたあの場所に立ち、下に視線を落とした時だった。


 そこには、下の木々にくし刺しになった、俺の体があった。

 途端に、俺の視界が血で赤く染まり始める。


 まさか……。

 そう混乱する俺の後ろから、ザっと足音が小さく聞こえた。

 体がまるで鉛のように重い。


 待ってくれ。俺はまさか……。これはまさか……。

 事態を未だ飲み込めない俺に向かって、後ろから来た人は言ったんだ。


「いい景色ですね。あなたも開運しにここへ?」


 まるで金縛りが解けたかのように、急に体が軽くなる。

 そして後ろを振り向くと、そこには風に気を取られた知らない誰かの姿があった。


 そして、ふと、何かが視界に入った気がして、木の方に視線を送る。

 こちら側から見た木の幹には、「ツキオトセ、ソウスレバ、スクワレル……」と書かれていた。

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