終章 異種族の家族

 叡秀は謹慎解除の通知を受け取らないまま、雲嵐に座るよう促し茶を淹れた。

 雲嵐は一口飲むと、懐かしむような笑みを浮かべた。茶の淹れ方も雲嵐にならったことの一つだった。


「戻れとはどういうことです。解雇の間違いじゃないですか?」

「猫玲王子が訴え続けてくださった。獣人薬膳房がどれだけ求められ、獣人の心を開いているか。お前の薬膳を食べた獣人は皆健康になっているのだと。こっそり買って分析し始めた御膳官もいる」

「今更ですか。料理譜はあるでしょうに」

「そうだな。だがこれまで役立ったことはなかった。人間と獣人の心が繋がっていなかったからだ。お前の功績は薬膳だけじゃない。二つの種族を繋いだことだ」

「それは侑浬と侑珠のおかげです。あの子たちが接客に立ってくれるから、獣人も安心して買いに来てくれるんです」

「だが二人が手を貸したのは、お前を好いているからだ。お前にしてみれば、行き倒れを拾っただけだろう。だがその小さな縁の大切さが宮廷にも広まり始めている」


 雲嵐は真っ直ぐに叡秀を見つめた。跳ねのけることなどできない強い視線だ。養護施設で出会った時から全く変わっていない。


「戻ってきなさい。御膳房にはお前が必要だ」


 嬉しくないわけがない。親子にはならなかったが、生きる術を与えてくれたのは雲嵐だ。認められることは何よりも嬉しい。

 それでも思い浮かぶのは侑浬と侑珠だった。侑珠は寝て起きてを繰り返すから、そろそろ一度起きてくるかもしれない。侑珠が起きると侑浬も起きる。話し込んでいたら気を遣わせてしまうかもしれない。

 叡秀は立ち上がり頭を下げた。ゆっくりと頭を上げると、机に伏していた封筒を手に取り雲嵐へ差し出した。縁を切る書類だ。

 雲嵐は封筒の表題を見た。しかし表情は変えず、けれど頷くこともない。


「雲嵐様には感謝で頭が上がりません。でも宮廷はやらなきゃいけないことが多い。宴があれば帰れない。侑浬と侑珠におやすみすら言えない日があるでしょう。忙しい日は、静かにしてくれ、休ませてくれ、って思ってしまうかもしれない」


 侑浬は成長期だ。侑珠もすぐに大きくなる。獣人の親や涼成に教えてもらわなければいけないことも多い。きっと大変だろう。でも、何よりも愛しい。


「気に掛けてくださり有難うございます。僕は息子たちとこの店でやっていきます」


 雲嵐は、ふう、と小さく息を吐いた。いつも真っ直ぐに人と向き合う雲嵐が、珍しく俯き目をそらす。


「麗孝はどうだ。便利な男だろう」

「え? ああ、はい。助かってます。ほとんど麗孝のおかげです」

「麗孝を紹介したのは、実を言うとお前のためじゃない。侑浬と侑珠のためだ。あの子らが全うに育つにはお前の自立が必要だ。でなければお前も両親の二の舞になる」

「……手放す日が来ると?」

「お前の両親は人里で生きる術を知らないから離別を選んだ。だがお前は人間だ。人里に馴染めずとも、処世に長けた者の協力があれば異種族の家族とも生きていける。麗孝はその力を持っている」


 雲嵐は宮廷からの封書を懐にしまい、その手で叡秀の退職届を拾う。侑浬と侑珠、親子三人で暮らすために縁を切る決意の書類だ。


「侑浬に気付かされたよ。お前の道は御膳官ではなかった」


 皇帝を退かせた侑浬の言葉は今でも記憶に新しい。


『ないよ! 命より大事な事情なんてない! あの子が死んでもよかったの⁉ 助けない方がよかったの⁉』


 当たり前のことだ。だが悪意の渦巻く宮廷では、そんな当たり前すら忘れられていた。種族を超えて守ってくれた両親を求め続けた叡秀が過ごせる場所ではない。

 雲嵐は『御膳官になりなさい。お前の求めるものに出逢えるだろう』と言った。

 雲嵐が御膳官にどれだけの期待を寄せているのか、叡秀にはまだ分からない。けれど、叡秀が一番欲しかった物は、御膳官の経験を経て手に入った。


「求めるものには出逢えたか」

「……はい」


 叡秀は家族が欲しかった。育て親に裏切られ、親になってくれた人と別れ、家族になると言ってくれた人の手は握れなかった。

 握ってくれたのは、たまたま拾った子供たちだった。

 きいっと寝室へ続く扉が開く音がした。眠そうに目を擦る侑浬と、ぱっちりと目を覚ましている侑珠だ。二人は手を繋いでとことこと傍に寄って来て、きゅっと叡秀の手を握ってくれる。


「お客さん……?」

「ごめんね。起こしちゃったかな」

「んーん……」


 侑浬を抱きあげると、侑珠は兎になってぴょんと叡秀の肩に飛び乗った。侑珠はぺろっと叡秀の頬を舐めてくれる。兎になった侑珠の愛情表現だ。

 雲嵐は退職届を懐にしまった。何も言わず、ただゆっくりと微笑んでくれた。


「今度は店へ行くよ」

「お待ちしてます」


 雲嵐はそっと侑浬の頭を撫でた。皇帝に食って掛かった姿からは、この愛らしい寝顔は想像もつかなかっただろう。

 それ以上は何も言わず、雲嵐は去って行った。やけに部屋が静かに感じて、妙に寂しい。けれど、それもすぐに吹き飛んだ。侑浬が寝ぼけながら頬擦りをしてくれた。侑珠はぺろぺろと頬を舐めてくれる。

 一人で生活するための家は、息子と三人で暮らすには狭い。庭があるから気にならないが、成長すればそれぞれの個室を作ってやる必要もあるだろう。そうなれば引っ越しをしなくてはいけない。この家は売るか、遊び場として残すのもいい。

 叡秀の日常は変わった。侑浬と侑珠の成長に合わせて、これからはもっともっと変わっていくだろう。

 何も変わらない日常が変わっていくのは、幸せなことだとようやく知った。


「父さん、母さん。僕にも可愛い息子ができたよ」

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獣人の子 薬膳でつながる異種族の絆 蒼衣ユイ @sahen

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