第十四話 国営福祉隊商、肉飽飽(二)
三刻ほど歩くと外門へ着いた。外門付近には馬車がいくつも停まっている。入国審査待ちをしていたり、入国せず出立が決まっていたりと様々だ。
ずらりと並ぶ隊商馬車の中に、一際大きな馬車があった。質素だが質は悪くない。
馬車を見ると、侑浬はびくりと震えた。人身売買隊商だと思っていたのだから、仲間は売人だったと思い込んでいるはずだ。
叡秀はとんとんっと侑浬の背を優しく叩く。
「大丈夫だよ。肉飽飽は人身売買なんてやってない。悪い人たちじゃなかったんだ」
「でも、お金……」
「困ってる人を助けてくれたお礼なんだよ。このお金でまた困ってる人を助けてくださいね、ってことだったんだ」
「……俺と侑珠は叡秀のところにいちゃいけないの?」
「え? 何で? 侑浬と侑珠はもう僕の息子だ。親子は一緒にいるものだよ。でも肉飽飽にはお世話になったんだろう?」
馬車の周りには隊員と思われる老若男女が集まっていた。賑やかで楽しそうだ。
肉飽飽隊員の一人がこちらに気が付いた。侑浬と侑珠を見つけると、目を見開いて駆け寄ってくる。
「仲が良かったなら挨拶しておいで。侑浬と侑珠はうちで暮らすから、出立したらしばらくは会えないよ。挨拶できる? 鍾侑浬です、鍾侑珠です、って言うんだよ」
侑浬と侑珠は一瞬目を丸くしたけれど、すぐにいつもの笑顔を見せてくれた。
「うんっ! 侑珠! 挨拶するよ! できる⁉」
「しょうゆずです!」
侑浬と侑珠が気合を入れて練習していると、ばたばたと足音を立てて少年が突撃してきた。転びそうな勢いで抱きしめている。
「無事だったんだな! 売り飛ばされたんじゃないかって心配してたんだ!」
「ごめん。元気だよ。侑珠も元気」
「しょうゆずです! げんきです!」
「しょうゆず? しょうって何だ?」
「俺と侑珠は息子になったんだよ。叡秀の子供!」
侑浬と侑珠はぎゅっと叡秀に抱き着きながら紹介してくれた。紹介した相手は目の前の少年だっただろうが、叡秀の目には別の人物が映っていた。
少年を追ってやって来たのは、三十代頃の男女だ。
「肉飽飽店主の莉劉帆です。こっちは妻の玲玲。依依は私たちの娘ですが、他の子の親代わりみたいなことをしとります」
「依依から聞きました。ご迷惑をおかけしたようで申し訳ありません」
「いいえ。事情を確認していない僕も悪かったんです。鍾叡秀といいます。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
深く頭を下げ、見上げると違和感を覚えた。莉劉帆という男は、名は初めて聞いたが顔はどこかで見た覚えがあった。それもごく最近、店の中でだ。
「違ったら申し訳ないんですが、劉帆さんは店へ買いに来てくださってませんか」
「えっ、あ、えっと~……」
「ええ⁉ あんた行ってたの⁉ 駄目って言われてたでしょうが!」
「だって心配だったんだよ! いくら胡老師のお墨付きとはいえ、いきなり他人と生活なんて!」
「胡老師? 胡雲嵐老師のことですか? 雲嵐は養父です。お知り合いですか?」
劉帆は気まずさを前面に押し出して、玲玲は呆れ顔で頭を抱えて頷いた。
「私たちは街で作ったお弁当を配って回る営業なんです。お弁当を作ってるのは、胡老師のお声掛けで集まった元御膳官の方なんですよ」
「胡老師は獣人福祉に協力的な方でしてね。養護施設の改善もしてるそうです」
叡秀の中で、全てがすとんと腑に落ちた。
雲嵐と出会った場所は養護施設だ。職員ではない雲嵐がやって来ていたのは、獣人福祉を充実させるためだった。薬膳店を開くことができたのは、雲嵐が麗孝を紹介してくれたからだ。
侑浬と侑珠を守った気になっていた。だが全ては雲嵐が土台を作ってくれていた。
両親を失った叡秀に息子ができた。繋いでくれたのは、親に選ばなかった雲嵐だ。
謹慎を言い渡され、店を始めてからは一度も雲嵐に会っていない。息子を紹介しにすら行っていない。
途端に自分が愚かに思えた。とても、とても悔しかった。
「……声をかけてくださればよかったのに。雲嵐様も何で黙ってたんだか」
「私たちも会わせて欲しいとお願いしました。でも、しばらく様子を見てほしいと言われたんです。多くの獣人を助けるためにも」
「助ける、ですか。それはどういう……?」
「そうだよ! 叡秀は獣人を助けてくれる御膳官なんだ! すごいんだよ!」
ぴんとこない叡秀に代わって叫んだのは侑浬だ。飛び跳ねる侑浬の隣で侑珠も一緒に飛び跳ねている。
劉帆は侑浬と侑珠の頭を撫でた。きっと息子のように育ててきたのだろう。
「胡老師はずっとおっしゃってました。獣人を救える御膳官がいるけれど、きっかけがなく燻っていると。でも、ようやくきっかけを手にしたそうです」
玲玲はそっと侑浬と侑珠の背を押して叡秀の前に立たせた。侑浬と侑珠はぴょんと飛びついて抱きしめてくれる。
「あなたには侑浬と侑珠が必要なんですね」
必要だと思ってくれたのは、猫玲王子の一件で謹慎となった時だろうか。侑浬が恐れず皇帝へ立ち向かった言葉は、あの場の全員に突き刺さっていた。
「さすが胡老師の目は確かだ。これでも父親のつもりだったんですよ。けど、こんな幸せそうな二人は初めて見ましたよ。可愛い衣と耳飾りだ」
「そうでしょ! 叡秀が買ってくれたの! お医者様にも診てもらったんだ。文字も教えてくれてるよ。侑珠もずっと人間態でいられるように頑張ってるんだ」
「しょうゆずです! やくぜんおいしいよ! どうぞしてるの!」
侑珠はふにゃふにゃと愛らしい笑顔で胸を張っている。赤ん坊の頃に拾われたと言っていた。ここまで育てて、これからは肉飽飽の販売員として教育をするつもりだったのだろう。
劉帆と玲玲は叡秀に頭を下げた。
「侑浬と侑珠をよろしくお願いします」
頭を上げて、見えた微笑みは寂しそうだった。
突如現れ息子になってくれた侑浬と侑珠には育て親がいた。結果的には叡秀を選んでくれたけれど、肉飽飽で生きる道もあった。
それでも侑浬と侑珠は、今叡秀に抱き着いてくれている。小さいけれど力強い腕を抱き返し、劉帆と玲玲へ頭を下げた。
「きちんと育てます。ご心配があればいつでも様子を見にいらしてください」
完全に離別させるわけではない。肉飽飽が立ち寄った時は、共に食事をするのもいいだろう。肉料理を専門に扱う肉飽飽なら相談にも乗ってもらえそうだ――と考えたその時、にゅっと麗孝が横入りして来た。
「姚麗孝といいます。胡老師の縁で叡秀の店を経営してるんですが、獣人用肉料理を提供してくれる店を探してるんです。もしよければご相談させていただけませんか」
「獣人薬膳でしたよね。ええ。もちろんですよ」
感動の挨拶にあっさりと幕を引き、麗孝は即座に営業を始めた。
以前に肉料理をどうするかの問題が浮上したが、侑浬の動揺があったため頓挫した。そういえば、麗孝は肉料理専門の隊商がいると言っていた。
「さては最初から目を付けてたな。どうりでやる気を出してるわけだ」
どこまで行っても麗孝は商人だった。契約や納品といった経営の話になってきたので、叡秀は侑浬と侑珠を肉飽飽の友人と遊ばせた。もうじき日が暮れる頃になっても麗孝の商談は終わらず、うとうとし始めた侑浬と侑珠を連れて先に帰ることにした。
肉飽飽は数日この場所に停留するらしく、出立までは遊びに来ると約束をして自宅に帰った。
すっかり遊び疲れたのか、侑浬と侑珠は湯浴みをする前に眠ってしまった。長椅子で横になってしまったため、寝台へ抱いて移す。すると、机の引き出しに目が行った。引き出しを開けると、中には退職届が入っている。
――いつからだっただろう。御膳官に興味が失せたのは。
雲嵐に教わったことは今でも大切に思っている。今の叡秀は雲嵐の教えでできているといっても良い。けれど雲嵐の言った言葉からは大きく外れた。
「何で御膳官だったんだろう。薬膳を作るだけなら御膳官じゃなくてもいいのに」
雲嵐は「お前はきっと素晴らしい御膳官になる」と言った。雲嵐にとって御膳官は何をする者なのだろうか。
侑浬と侑珠の傍に退職届を置いておくのは何となく嫌で、持って寝室を出た。その時、こんこん、と扉を叩く音がした。
日が落ち子供が眠る時間の来訪とはいただけない。だが肉飽飽の人々だったら悪し様にするわけにもいかない。俄かに億劫さを感じたが、叡秀は退職届を机に伏して扉を開けた。
「はいはい。こんな時間にどちら様ですか」
「夜分にすまんね」
申し訳なさそうに微笑んでいるのは、今まさに考えを向けていた雲嵐だった。
「雲嵐様! どうしたんですか一体。どうぞ、上がってください」
「失礼するよ。侑浬と侑珠は寝てしまったかな」
「ええ。今日は肉飽飽へ行ったんで――そうだ。聞きましたよ。侑浬と侑珠と肉飽飽のこと、知っていて黙ってたそうですね」
「ああ。お前とあの子らが何をするか見ていたかった」
叡秀は雲嵐に座るよう椅子を引いたが、雲嵐は座らずに封筒を差し出してきた。
封筒は宮廷で備品として配られている上質な物だった。
「陛下のお許しが出た。御膳房へ戻ってきなさい」
「……は?」
叡秀はこのわずかな一瞬で考えていた。
――雲嵐が差し伸べてくれる手を、二度も拒否するのか。
考えが巡るのは受け取るか受け取らないかではなかった。どう断るのが一番失礼にならないか――それだけだった。
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