第十四話 国営福祉隊商、肉飽飽(一)

 侑浬と侑珠が息子になった翌日。

 落ち着かないだろうからと、麗孝が店を臨時休業にしてくれた。その通り、侑浬と侑珠は落ち着かずはしゃいでいた。

 姓名が書けるようになりたいと言うので、紙に見本を書いてやった。だが『鍾』は難しいようで、苦戦していたけれど兄弟並んで練習し続けている。

 姓名を口に出したいようだったので、涼成と陽紗に挨拶をしに行った。

 侑浬と侑珠は元気に鍾姓を名乗り、涼成は自分のことのように喜んでくれた。陽紗は涙を流して喜んでくれた。叡秀が胡姓を名乗らないことに一番がっかりしていたのも陽紗だった。

 だが雲嵐へは挨拶ができなかった。突如現れた子供と養子縁組を結んだ報告するのは、雲嵐を始め胡家への裏切りのような気がしたからだ。

 きっと喜んで認めてくれるだろう。それでも胡家へ足を運ぶことはできなかった。

 それから翌日、ようやく店を再開した。客は臨時休業を心配してくれていた。食事の充てにしていたなら迷惑をかけただろうに、皆が無事を喜んでくれた。

 けれど大きな変化があった。侑浬と侑珠の頼みで、二人は名札を作った。胸には『鍾侑浬』『鍾侑珠』の文字が掲げられている。

 名札に気付いた客は、今まで親子ではなかった事実に驚く者がほとんどだった。遅すぎる、と怒ってくれたのは狩猟で縁があった者たちだ。手続きをしてくれたのが麗孝だと知ると、今までが嘘のように仲良くしてくれた。

 紙切れ一枚がもたらした変化は大きかった。侑浬と侑珠の笑顔も日増しに輝きが強くなっていく。

 これなら何があっても大丈夫だと気持ちを強く持てた時、嵐は再びやって来た。

 叡秀と麗孝は閉店作業をし、侑浬と侑珠は遊具で遊んでいた。閉店の札を掲げた扉を蹴とばすような勢いで開き、それは飛び込んで来た。


「侑浬と侑珠を返して! 今日こそ絶対に連れて帰るわ!」


 依依は両手を腰に当て、食いつくように叡秀を睨みつけた。けれど、そんな勢いはもう怖くない。依依が何を言っても、もはや法的な正当性は叡秀にある。


「帰るってどこに? 侑浬と侑珠は僕の息子だ。帰る場所はここだよ」

「は? 息子? 何よそれ。侑浬も侑珠も、親はいないわ」

「僕の息子になったんだよ。だから僕が親だ。はい、じゃあご挨拶して」


 侑浬と侑珠も怯えてはいなかった。自信満々に胸を張り、叡秀が作ってやった名札を見せつける。


「鍾侑浬です!」

「しょうゆずです!」

「そう。上手だ」


 胸を張る侑浬と侑珠を撫でてやる。侑浬と侑珠は、してやったりと言わんばかりの笑みを依依に向けた。依依はぎりぎりと拳を握りしめ、ばんっと足を踏み鳴らす。


「違うわ! 《肉飽飽ろうばおばお》が家よ! みんな待ってるの!」

「肉飽飽? 何だいそれ」

「隊商の店名よ! 新しい馬車でやり直してるの! だから返して!」


 各隊商は何かしら名称を付ける。隊商は移動販売をする店なので、店名を付けるのが一般的だ。

 侑浬は店名を聞いたらびくりと震え、さっと叡秀の背に隠れた。

 これ以上息子を傷つけるのなら刑部へ通法する――依依にそう言ってやろうとしたが、叡秀よりも早くに麗孝が前に出た。目を丸くして依依を覗き込んでいる。


「肉飽飽って言ったか今。それはあれか。獣人料理専門隊商の肉飽飽か」

「そうよ。だから何?」

「侑浬。間違いないか。隊商名は肉飽飽だったか?」

「うん。そういう名前だった。でも、ここみたいにちゃんとしたお店じゃないよ」


 隊商は馬車だ。実店舗を構えている場合もあるが、そんなのは金持ちが道楽でやってるごく一部にすぎない。真に利益を求める隊商はやらない。家賃や土地代、人件費、全てが倍増するからだ。

 そんな事情は商人の麗孝が一番良く知っているだろう。だが麗孝はぽかんと口を開け、茫然と立ち尽くしている。


「麗孝? どうしたの。その隊商のこと知ってるの?」

「知ってるも何も、国営の福祉隊商の一つだ! 正真正銘、国営移動施設だぞ!」

「国営? 何それ」

「隊商には二種類ある。個人事業主の営利隊商と、国の非営利隊商だ。個人は売買で生計を立てるが国営は違う。隊商の機動力を生かして、国政を地方へ浸透させる役割を担うんだ。肉飽飽はその一つ。獣人の孤児難民を保護する福祉団体だ」


 福祉団体とは、簡単に言えば生活が安定する手助けをする組織だ。個人が国の補助金を得て事業として行う場合もあるが、国が国政に則り実施している場合もある。

 どちらにせよ、人を助けるための組織だ。叡秀は驚き前のめりに叫んだ。


「え⁉ 人身売買組織じゃないの⁉」

「まさか。国営福祉隊商は刑部の管轄で、取り締まる側だ。つまり密売組織の敵。密売犯から報復されることもある。侑浬たちが襲われたのはそれじゃないのか?」

「そうよ! うちで保護した子を奪いに来るのよ! あんたもそれじゃないの⁉」

「だから保護だって言ってるだろう。狩猟区域で行き倒れてたんだ」

「やっぱり! 侑浬と侑珠が入れる所なんて、あそこしかないと思ったのよ!」

「入れるって、外からは入れないでしょうが。入場資格が必要だ」

「は? 馬鹿じゃないの? 福祉隊商は入れるわよ。狩猟区域の巡回警備をしてるのは福祉隊商なんだから!」

「え? そうなの? 麗孝知ってる?」

「ああ。外部から狩猟区域へ出入りできる唯一の団体だ。両者国営だから問題無い」


 店内が静まり返った。侑浬は話が分からなかったのか、怯えて叡秀の背に隠れている。侑珠は全く分かっていないのか、笑顔で侑浬の背に隠れている。おそらく侑浬の行動を真似ているのだろう。


「えっと、じゃあ隊員がいなくなるっていうのは?」

「そりゃいなくなるわよ。役所に連れて行って、引き取り先を探してくれるのよ。大体は国営の養護施設だけどね」

「けど君は隊員と引き換えにお金を貰ってくるんだろう?」

「そりゃ貰うわよ。福祉隊商は国の助成金があって、助成金は役所で貰うの。何回も行くの面倒だから、孤児を預けた帰りに貰ってくわ」


 侑浬はまだ叡秀の背に隠れていた。だが侑珠は相変わらずの笑顔だ。

 思い返せば、侑珠は隊商を怖がっていなかった。依依の来訪にも怯えていない。事情が分かっていないだけと思っていたが、見ても怯えないのは怖い想いをさせられたことがないということだ。


「侑浬。福祉隊商って知ってる? 肉飽飽は販売以外のお仕事もやってるんだ」

「知らない。俺は販売員しかやってなかったから」


 侑浬は肉飽飽内部の情報と、世に人身売買があるという情報を手に入れた。

 だが得た情報を正しく理解できなかったのなら、表面上で発生した恐怖を信じるのは当然だ。


「つまり、侑浬は福祉隊商について知らないから不信に感じたんじゃないの? どうして教えてなかったのさ」

「だって侑浬は福祉隊員じゃないもの。福祉隊員になれるのは翠煌国の国籍を持ってる人だけ。侑浬は無国籍だから、肉飽飽の従業員として教育をしてるのよ」

「あ、だから販売に詳しかったんだ。なるほどね……」


 国の指導員から教育を受けたのならきちんとしてても不思議はない。すべての違和感に筋が通った。


「さ、分かったわね。分かったら返して。侑浬と侑珠はうちの隊員よ!」

「それとこれとは話が違うよ。侑浬。侑珠。どうやら伝わってないみたいだから、もう一度ご挨拶してあげよう」

「鍾侑浬です! 叡秀の子供です!」

「しょうゆずです! こどもです!」

「うんうん。上手だね。さすが僕の息子だ」

「違うって言ってるじゃない! 侑浬と侑珠は肉飽飽の隊員なの!」


 依依は一歩も引かない。それも当然だ。依依なりに正当性のある主張で、間違ってはいない。だからといって侑浬と侑珠を渡すわけにはいかない。

 今度こそ守ってやらなければと、侑浬と侑珠を抱きしめた。だが、仲裁するように割って入ったのは麗孝だ。


「それじゃあこうしよう。今から肉飽飽へ行って、育ての親へ挨拶をする。養子を認めてもらえなければ、侑浬と侑珠は肉飽飽へ返す」

「は⁉ 駄目だよ! そんなことさせるもんか!」

「けど必要なことだ。孤児なら一方的な養子縁組でいいが、隊商隊員として登録があるなら引き取りの許可をもらわなきゃ誘拐だぞ」

「げ。そんなことあるの?」

「あるな。だが養子縁組を解消させられるわけじゃない。ただ離隊手続きは取ってもらわないと俺が困る。従業員にできないからな」



 麗孝にとって重要なのは『人間と肉食獣人と草食獣人の親子従業員』だ。ならば最後まで叡秀とは利害が一致する。全力で手を尽くしてくれるだろう。


「僕が守ってやれないのは悔しいけど、こればっかりは麗孝の方が強そうだね」

「別に勝ち負けじゃないだろ。あんたは良いとこ取りしてりゃいい。それが俺の利益になる。と、いうわけで。挨拶に行こうじゃないか。なあに。うまくまとめるさ」


 麗孝はにこりと微笑んだ。依依に軽く頭を下げ、低姿勢で肉飽飽へ案内するように頼んでいる。だが足取りはいつになく軽快で、ご機嫌な様子は侑浬も目を丸くした。

 きっと何か考えがあるのだろう。友愛ではなく商人として、多大な利益が見込めているに違いない。自分ではできない戦いに、叡秀は大人しく乗っかることにした。

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