第十三話 鍾一家

 麗孝は床に置いていた鞄を持ち上げ、中から何枚かの紙を取り出した。何かの書類のようで、つらつらと文字が並んでいる。


「あちらさんが法を犯す犯罪者なら、それを逆手に取ればいい。国には国民を守る法が存在する。だが侑浬と侑珠は法が適用されない」

「適用はされるよ。種族で扱いが変わることはない」

「種族ではな。だが立場の分類で変わる。まず、法が適用されるのは『翠煌国国民』だ。だが『国民である』という認識は感情じゃない。国籍という物理的証明だ」


 国籍といえば、雲嵐が叡秀を引き取った際に取得してくれた物だ。まるで当たり前のように取得してくれたから、どんな内容を指すのかなんて考えたことはなかった。


「人身売買をするのは無国籍の野良隊商だ。扱う商品も無国籍。悪事が明るみになっても逮捕されないからな。逆を言えば、国籍を持ってる奴は手出しされない」


 叡秀は麗孝が差し出す書類を受け取った。侑浬と侑珠は文字が読めなかったようで、こてんと首を傾げている。

 だが叡秀は何の書類か知っていた。雲嵐が胡家へ引き取ってくれた際に用意してくれた書類と同じ物だったからだ。

 ――書類には『養子縁組申請書』と書いてあった。養子縁組は、他人が家族になるための制度だった。

 だが叡秀は提出をしなかった。姓は『鍾』であり続けたかったからだ。

 叡秀にとって、雲嵐との養子縁組は両親との断絶を意味した。死亡した両親と養子縁組の書類を提出したわけではなかった。ただ拾われ一緒にいただけだ。

 それでも両親だった。姓が変わる程度で関係は変わらないが、法の下では変わる。

 人に『お前の両親はもういない』と言われるのが、たまらなく苦しかった。

 だが養子縁組は需要があるから設けられている。その利点が叡秀には利にならなかっただけで、必要とする者もいる。

 侑浬と侑珠を見ると、いつものように並んで首を傾げていた。血の繋がりはなくても、侑浬と侑珠は確かに兄弟だった。


「……雲嵐様がどんな気持ちで養子縁組書を用意したのか、考えたことなかった」

「そりゃ優しさだろうな。悪いが俺のは優しさじゃない。経営者として、侑浬と侑珠の所属を明確にしたいんだ。現時点、侑浬と侑珠はこの店の職員じゃない。家事手伝いみたいなもんで、俺が小遣いをやってるだけだ。どうしてか分かるか?」

「分からない。理由があるの?」

「ある。二人は無国籍だから就労者として登録ができないんだ。難民登録もしてないから生活保護も受けられない」

「それは何か問題になるの?」

「なる。国の立ち入り調査があった場合、店どころか国からを追い出される」

「えっ⁉ 何それ! 困るよ! どうしたらいいの!」

「簡単さ。国籍を取るんだよ」


 麗孝はとんっと養子縁組の書類を突いた。叡秀が拒否したから、雲嵐は違う方法で国籍を取得してくれた。


「侑浬と侑珠を叡秀の息子にしろ。親子なら自動的に国籍を得られる」



 ふと両親に拾われた日のことを思い出した。

 母は、行く所がないならここにいればいいと言った。父も母に賛成し、『俺たちの息子だ』と言ってくれた。

 ――侑浬と侑珠が息子になる。あの日、両親がそうしてくれたように。

 麗孝がくれた書類には叡秀と侑浬と侑珠の名前が記入済みだった。他にも項目がたくさんあるが、どれも記入が完了している。用意周到で、とても麗孝らしい。

 麗孝は優しさではないと言った。だがやることは優しさで動いた雲嵐と同じだ。

 侑浬と侑珠は書類の意味を分かっていないけれど、叡秀の息子にする、という端的な言葉は分かったようだった。


「俺と侑珠は、叡秀の子供になれるの……?」


 侑浬の瞳は不安げに揺れている。かつてこの書類を見た時、叡秀の気持ちも揺れた。期待と不安が入り混じり、叡秀は不安に負けた。両親との縁を失くしたくなかったからだ。

 だが侑浬と侑珠は過去との決別を望んでいる。ここにいたいと言ってくれた。


「侑浬と侑珠がずっと一緒にいてくれるなら、僕はとても嬉しいよ。一人の生活は味気ないと思ってたんだ」

「でも、きっと迷惑をかけるよ。押しかけて来る奴がもっといるかもしれない」

「それなら尚更だよ。侑浬と侑珠を守れる手段が欲しいと思ってたところだ」


 叡秀は侑浬と侑珠を撫でた。引き取ってくれた胡家の人々がそうしてくれたように、息子になるかもしれない子たちの頭を撫でた。


「侑浬と侑珠は僕の息子だ。僕は鍾叡秀だから、鍾侑浬と鍾侑珠になるね」


 ぼろっと侑浬の瞳から涙が落ちた。侑珠はいつものように侑浬の頬を舐めている。血も書類上も繋がりはないけれど、やはり仲の良い兄弟だ。

 仲の良い侑浬と侑珠が新しい繋がりを求めてくれるのは、とても嬉しかった。

 叡秀は侑浬と侑珠を強く抱きしめた。これまでも何度か抱きしめたけれど、これからは抱きしめる意味が変わってくるだろう。


「泣くのは後にしろ。役所がやってるうちに出しちまおう。受理されなきゃ戸籍は得られない。あ、保証人は俺がなってやるから安心しろ。胡老師だと無駄に権力争いに巻き込まれるからな」


 麗孝は万人向けの書類説明をしてくれた。どこまでも求めるのは利害の一致で、とても頼りになる。

 叡秀たちは四人で役所へ飛び込んだ。書類を出すとあっさり受理され、受付の女性は「ではお預かりします」とだけ言った。叡秀たちの想いが籠った書類をさっと棚に放り込み、無感情な笑顔で「次の方どうぞ」と暗に追い出した。

 手元に残ったのは控えの書類だ。控えといってもただの紙だ。けれど、しっかりと侑浬と侑珠の姓名が書かれている。


「これが二人の姓名だよ。鍾侑浬と鍾侑珠だ」

「鍾侑浬と鍾侑珠……」

「そう。息子だから僕の姓になるんだ。姓を訊ねられたら鍾って答えるんだよ」


 侑浬はぱあっと笑顔になった。今までで一番眩しい笑顔で、人間態の侑珠を力いっぱい抱きしめる。


「侑珠! 挨拶の練習しよう! 姓名を聞かれたら『鍾侑珠です』って答えるの!」

「しょうゆずです!」

「そうだよ! 叡秀の子供だから鍾っていうんだ! もう一度ね。姓名は!」

「しょうゆずです!」

「よくできました! これからは鍾侑珠って挨拶するんだよ!」


 侑浬はいつも侑珠のことが優先だ。自分が叡秀の息子になったことも喜んでくれているのだろうけれど、最も大切なのは侑珠が庇護を得られたことのようだ。

 幸せな気持ちで侑浬と侑珠を眺めていると、麗孝が場にそぐわない神妙な面持ちで耳打ちをしてきた。


「俺は隊商の方を調べる。隊商ごと逮捕してもらった方がいいだろう?」

「うん。でもいいの? 麗孝も巻き込まれるかもしれない」

「巻き込んでほしいんだよ。侑浬と侑珠がいなくちゃ店はやり直しだ。新規事業だって見込んでるのに手放してたまるか」

「あ、そうだね……」


 麗孝が優先するのは自分の利益だ。利害が一致するうちは、こうして手を尽くしてくれるのだろう。優しかった両親と雲嵐にはできない考え方だ。


「任せとけ。胡老師に誓って悪いようにはしない」

「うん。有難う」


 利害を優先する麗孝の誓う先が雲嵐なのは、嬉しい気がした。

 侑浬と侑珠を見ると、養子縁組の書類を見て何度も何度も名前を呼び合っている。


「鍾侑浬です!」

「しょうゆずです!」


 その日の夜、侑浬と侑珠は興奮でなかなか寝付けないようだった。いつもなら眠っている時間も姓名を呼び合い、養子縁組書類の控えを握りしめている。

 眠る二人を眺めながら、叡秀は紙と硯を取り出し手紙を――書類を作った。

 ――表題には『退職届』と綴った。

 叡秀の人生には二度転機があった。一度目は両親に拾われた時。二度目は雲嵐が薬膳を教えてくれた時。それが全てで、胡家が迎え入れてくれたことは嬉しかった。

 それでも叡秀は一人だった。誰も叡秀の家族にはなれなかった。

 宮廷を辞する文章を書きあげ、封をして机の引き出しにしまった。代わりに、侑浬と侑珠が握りしめている養子縁組書の控えを手に取った。

 ――たかが紙切れだ。でもきっと、ずっとこれが欲しかった。

 寝台に潜り込むと、侑浬と侑珠は眠りながら抱きしめてくれた。三人で眠るには少し狭い。でも今はまだ、二人の寝台を買うのは止めておこうと思った。

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